社主の独り言(中辛)

敬天新聞8月号

▼八千矛社の犬塚哲爾氏から久しぶりに電話があって、一献やりましょうという事になった。金はなくとも顔は効くらしく、新宿のとある料亭に招待された。前にも二、三度この店に招待された事がある。二人で飲んでいると品のある年増のお姉さんが挨拶に来たり、若くて可愛い女性が挨拶に来たりと、常連客なのか上客なのか、気遣いが伝わる。
 私は飲む時、つまみを食べる派だが、犬塚氏は殆ど食べない人である。犬塚氏は民族派陣営の中では間違いなく優秀な論客の一人で万歳三唱をさせたら日本一(中尾征秀郎氏談)という声もある。
 私はと言えば聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、ここぞとばかり、疑問に感じる事、知らぬ事は何でも訊ねる。例えばサミット反対と言って、北海道に行ってる右翼は何に反対しているのか、とか。犬塚氏は人望があるのか、色んな所に人脈がある。
 ひとしきり飲んで阿形会長を呼んでカラオケに行こうという事になった。阿形会長は突然の電話にも拘らず、二つ返事で合流する事になった。そのスナックの酒豪らしきちょっと太目の魅力的なママは、もう既に酔っ払っていたが、話を聴いているとどうも一水会のファンもしくは会員らしかった。
 この店に来たら犬塚氏も大分酔いが回り出し、酔っ払い独特の同じ事を何度も言う、呂律が回らなくなり、何を言ってるのか分らない状態になって来たが、そんな中話を聞いていると、ママと犬塚氏ともう一人と三人で誰が酒が一番強いのか飲み比べたら、二人がダウンしママが勝った。だけどその時、飲みながらママが脱糞した、とか何とか言っていた。いやはや一水会には凄い豪傑がいるもんだ。

 七、八人入れば満席になるその店では先客が五名入って唄い捲くっていた。常連さんらしい。阿形会長が合流してから一時間も経っただろうか、一向に唄い終わらないグループ(犬塚氏を知ってる人もいた)にも聞こえていたのだが、犬塚氏がママに「早く店を閉めろ、客を帰せ」と言い出した。一瞬、「アレッ、自分の店なのかな?彼女なのかな?」と思ったが、前にも違う店でこういう光景を見たような気がしたので、酔うとこういう人なんだなぁー、で一件落着。
 この雰囲気に気付いた紳士な客が帰ろうとしながら、「誰か最後に『吾亦紅(われもこう)』を唄えませんか」と言い出した。この唄は難しくて唄えない。上手く歌うというより、心で歌わないと味の出ない歌である。男の哀愁というか、人生の残り少なくなった時をどう生きていくか迷った時、再出発への誓いの叫びである。
 一瞬、場が静まった時、阿形会長が「私が唄いましょう」とマイクを握られた。帰ろうとした五人グループは偶然にも阿形会長と同年齢の人達で、その日はこの店で同窓会だったらしい。座持ちの上手さ、場読みの早さ、気遣いとどれを取っても当代随一といわれる程の配慮のある人である。酔っ払って失礼な物言いの輩もいたが、意にも介さず受け流して応え、最後にはこの配慮である。また一人ファンが増えた事だろう。
 私はこの歌のメロディーをなかなか覚えられなかったのだが、今回ハッキリと覚えたような気がした。取りあえず、犬塚氏の我が家のような我侭のお陰で、お客が帰り、やっと三人で歌えるようになって何曲づつか歌って、もう帰ろうという時間になったのだが、若干一名まだ帰らない、と駄々を捏ねるので酔っ払いを置いたまま二人で退店し、帰路に着いた爽やかな初夏の夜だった。

▼右翼民族派の定義や位置付けを言葉に出して理論的に説明しろ、と言われてスラスラと言える人は少ない。それを分り易く表現できる一人が八千矛社の犬塚哲爾氏である。その説明を一水会の三五〇号記念紙の巻頭で木村三浩代表の質問に答える形で説明しているが、全く持ってその通り、と言う程の的確さで表現してある。
 元来右翼は細かく分ければ一人一党と言われる位、多岐に亘って主義主張が違う。主眼とするテーマをどこに置いているか、で進む方向が大いに変わってくる。政治思想とは言いながらその人の哲学であり、宗教であり、倫理も含まれているだろうし、その上に利権であり、しがらみであり、義理が絡まって、時には任侠に飲み込まれる時さえある。
 今は任侠イコール暴力という図式であるが、しかし名前こそ時代によって変っているが、戦争も革命もテロも暗殺も全て暴力である。軍隊も公権力、公共性を正当化した暴力団である。中国も北朝鮮も市民の意見や自由を強制的に弾圧している公共的暴力団と言えるし、アメリカだって敵対する所を力で捻じ伏せ、暴力で乗っ取ってしまう。広域暴力団と言っていいだろう。
 だから体制を打破しようとする時、暴力は付いて回るのである。安倍総理を倒した時のように言論で精神的に追い込んで引っくり返すとか、世論を喚起して体制を倒すとか、という手法もあるにはあるが、事無かれ主義を望む国民や逆にヒットラーや金正日のような体制を倒す時にはやはり暴力しか通用しないだろう。言葉は悪いが世の中が弱肉強食で成り立っている以上、暴力は否定出来ないのである。
 それを踏まえて親米であれ、反米であれ、その裏にあるものは日本主義であって、例えば親米であれば「アメリカのお陰様でこれだけの経済発展をさせて頂いた事は感謝する。しかし余り無茶は言いなさるな。これからも長くいい付き合いをする為にも程々の気配りを頼みますよ」という思いであり、反米なら「先ずは日本に原爆を落とした事を謝罪しろ、日本は貴国の属国でもなければ州国でもない、勘違いするな」という事だろう。
 今後、右翼民族派の課題として、尊皇、愛国、反共の三本柱に加えて他宗教を弾圧批判するような過激宗教を排除する意味での反宗教も掲げるべきだろう。信仰の自由を妨げる必要はないが、宗教で政治や司法や行政を乗っ取ろうとしている創価学会などは看過出来ない程、力を付けている。
 是非、一度乱暴狼藉な程、名誉毀損を犯している聖教新聞や、安い金で買収されているミニコミ誌を一読して頂き、自分の目や頭で判断して頂きたいのである。自宗教団(宗門から破門されている檀徒の集まりを果たして宗教団体と呼べるのか疑問だが)以外は認めないような教団に権力を持たせたらどうなるか。当然、自教団を優先するような法律を創るだろうし、信仰の自由が奪われる危険性も多いにある。もう一つ危険なのは外国人参政権付与に殊の外熱心な事だ。外国人に参政権を与えれば、その外国と日本に利害関係が生じた時、人間そのものが本能的に持つ祖国愛の立場から、当然のように外国人は自国支援の立場を取るだろう。そうなれば先ず日本国内で内乱が起こる。獅子身中の虫である。
 外国人に対する差別や不平等はよくないけれど、政治参加は軽々に許可すべきものではないのだ。学会員に外国人が多いのか、教団拡大の為、外国人を取り込もうとしているのか分らないが、宗教を中心に国境がなくなる危険性もあるわけだ。外国で宗教が中心の国を参考にすれば、その恐さは一目瞭然である。創価学会の今後は最重要注意団体といえるだろう。

▼秋山直紀という日米防衛利権に絡んだブローカーが脱税で逮捕されたが、この男は詐欺師というか性格破綻者というか、他人から借りた物は返さない、買った代金は払わないと、とにかく飛んでもない悪党である。そんな男の周りに国会議員がうろつけばそれだけでも疑われる訳だが、最後までくっついていたのが、久間章生議員だった。
 私は何度も、秋山はパクられるから注意した方がいいですよ、と助言したのだが「他人が言う程、悪い奴じゃないんだけどねー」と本当に無防備なのである。みんなが危険を感じてそそくさと逃げる中、一人だけ今年もアメリカに同行している。人がいいといえばそれまでだが、もう少し国会議員としての自覚を持って貰わないと。
 この事件の発端は前防衛次官の守屋武昌氏への贈賄事件だった。久間氏は宴席に出て一緒に飯を食った事があると認めたが、同じ派閥の額賀福志郎氏は宴席に出た事はないと否定した。その日は家族と食事をした日だったと言っていた。家族と食事をした、というのは事実らしいが、その席を抜けて守屋氏等の席に出たのも事実らしい。
 元某団体の新聞主幹であった早大のOBで額賀氏の一期先輩であった某氏に電話で呼ばれ、その席に義理で顔を出したというのが真相らしい。例えそれが三十分であってもそこに出席した事にはなるだろう。守屋氏の発言が正しい事になる。額賀氏も利権に絡んでいなければ堂々と「こういう事で行った」と正直に答えても大した事ではないと思うのだが。
 君子危うきに近寄らず、という事で疑われる事さえ避けるのが得策と考えたのだろう。一方、久間氏は正直に食事した事を認めた。庶民として見た時、国民として見た時、選挙民として見た時、必ずしも同じ答えにならない可能性はある。さて皆さんはどう判断しますか。


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