社主の独り言(薄塩味)

(敬天新聞12月号)


▼詐欺師にとっては全てが飯の種である。先月三十日、六十三歳になる男が放火で捕まり、懲役七年の判決を受けたと言う記事を見つけた。この放火犯は常習犯だったらしく三度目で御用になったらしいのだが、私との縁は一回目の芝パークホテルが舞台である。
 私はこのホテルの火事の話は知らなかった。長崎の友人から突然電話があって「芝パークホテルの解体工事が直に出来るんですが、竹入義勝元公明党委員長に前金で数百万の謝礼が必要なんですよ」と言う。
「本当の話なら出す会社はあるんじゃないの?」と答えたら、竹入氏と直接会えて、尚且つ、その芝パークホテルの総支配人、芝パークホテルの大株主の安藤建設の代表にも会えると言う。

 それなら、と話を進めて当日、芝パークホテルの喫茶店で友人と友人に話を持ってきた青年と待ち合わせして待ったが、時間になっても竹入先生は現れない。その間、何度か竹入先生の秘書から電話が入る。
 竹入先生も政治の表舞台から去って十年は経ち、その間、党友であった筈の創価学会から袋叩きにされて晩年は厳しい生活を強いられ、こんな所で小遣い稼ぎをしながら生活をしているんだ、と思いながら小太りなまぁーるい顔が浮かんで来た。
 もう帰ろう、と思った頃、秘書と称する二人の兄弟が到着し、「今お着きになられましたので案内します」と我々を会議室のような所へ案内した。そこに関係者らしき者がまた二人。恭しく待たされた事、五分。また二人の老人が入って来た。まだ竹入先生が現れない。

 暫く沈黙が続いた後、その老人が立ち上がり「竹入です」と言う。「えっ?」と声が出たが、私も本物はテレビでしか見た事はなく、この十年散々創価学会に虐められたという話は聴いているので、生活にやつれて、人相も変わったのかなぁー、それにしても似ても似付かぬ人相風体。
 名刺交換をしたら「竹入禎一郎」と書いてある。私が竹入義勝ではない事を見抜いた事を感じたのか、別の竹入を名乗り、それでも解体の話は本当のような素振りで話を続ける。その場で受話器を取り「竹入だけど総支配人はいるかね。出掛けてる、じゃ、帰ってきたら私の方に電話をくれるように」。

 話が長くなるので割愛するが、結論から言うとその場を繕って逃げたのである。勿論その後、パークホテルに問い合わせをしたり、当局へも報告済み。全くの作り話で火事話を機会として解体工事屋さんから金を騙し取ろうとした詐欺師連中だったのである。
 持ち込まれた話は、芝パークホテルの5Fフロアで放火があり、そこから上階が使い物にならなくなった。建物も古いし、この際、建て変える事になった。総支配人が竹入前委員長と親しく全てを任せると言っている。先生も何かと今苦しいので謝礼を前金で頂きたい、と言うものだった。もちろん放火をした犯人と詐欺師連中とは接点はない。

 一方放火犯の男だが、毎月百万も入ってくる悠々自適の生活だったらしいのだが、脳梗塞倒れ、オムツをはめる生活だったらしく妻から「臭いから寄って来るな」と言われ、眠れなくなりイライラしていたと言うのである。
 毎月百万円入ってきたらなぁー、と思うのは庶民の夢のまた夢である。しかし百万円入って来ても現実にはこういう事もある。百万円より大事なものは健康であり、妻との仲なのである。
▼音楽プロデューサーの小室哲哉が詐欺で逮捕された。全盛期には年間二十億円を稼いでいたと言うし、今でも二億円を稼ぐというのに、何で金が足りないのだろうか、と庶民は考える。二億円でも普通の人の一生分である。
 人の欲とは限りない物だというのがよく分る。恐らくこの話を聴いて「俺だったら五億あったらもう充分だよ、いや三億でもいい」、「私なら一億でいいね」とかあっちこっちで世の貧乏人の溜息が聞こえてくる。百万円のスーツを着て、一千万円の時計をはめて一億円の車に乗らなければ落ち着かなかったのだろうか。
 そういえば三億円の宝くじに当って殺された女性がいた。その一方でその金を騙し取った男から貢がれた女性がいた。その貢がれた女性というのが、当紙が十年前に叩いた女性で、その時の記事がないかと某週刊誌から問い合わせがあった。金は人の運命を変える。
 足りなくても度を越えても金は人も運命も変えてしまう力がある。金は程々がいいのであるが、その程々が分らない。今の生活にあと十万円あれば、いや二十万円あれば、いや借金さえなくなれば、もう天国。この辺が庶民の程々のような気がするのだが、御同輩如何かな。もう一声。
▼麻生総理はオリンピック選手でもあるし、坊ちゃんにしては骨もありそうだし、口をひん曲げた浪花節的な所が気にいっていたのだが、程度の低さがちょっと度を超えて来た。マンガ好きを強調していたのは、あくまでも若者に対する受け狙いと思っての言動、と思っていたのだが、どうもただのマンガ好きの様相を呈して来た。
 マンガは疲れた時には読み易く、確かに夢もあるし勉強にもなる。しかし少年の域を出る物ではなく、大人が夢中になる物ではない。話術の中に受け狙いや笑いや四文字熟語的なワンフレーズは必要だろう。だが終始そればかりでは落語家や講談師で充分である。
 日本の政治家の場合、話し上手が、=いい政治家と思われがちである。勿論話は上手に越した事はない。だが話にはTPOが必要であり、しかも言葉に責任を持って貰わなくては困る。やはり、総理たる者、マンガではなく書物を沢山読んで知識を豊富に持って頂かなくては困るのである。

 自民党最後のエースに見えた麻生総理も先が見えた感がある。堂々と衆議院解散を宣言すると思ったら、一人一万二〇〇〇円を配るとか言い出して、一万二〇〇〇円貰って何の役に立つんだよ。寿司か焼肉一回食ったら終わりだよ。そんなのが国民救済かい?それは金正日がすることだよ。北朝鮮なら国民全員に一万二〇〇〇円あげれば大助かりでみんな喜ぶだろうよ。
 二兆円も使うんなら、もっと将来的なこと考えられないかね。せめて配るなら貧しい人達だけでいいよ。少なくとも俺は辞退して、その分どこか施設に寄付したい。こう思っている人、国民の半分以上いるんじゃないの?
 いよいよ自民党の人材も政策も制度も万策尽きたという断末魔現象の始まりって所だね。政官財の癒着、利権構造の解体。政治、行政改革を実現するには二大政党になって交互に政権担当を行う事が理想かも知れない。
  ▼また暮れがやって来た。普段は生活に追われていて、哀愁を噛み締める余裕はないのだが、暮れだけはどうしても普段の月とは違うのである。けじめと思うのか節目と考えるのか、単に年老いたせいか、妙に子供の頃や郷愁が浮かんで来る。
 昔は秋から冬にかけて一度は落ち葉を集めて焼き芋を焼いたものだが、今では落ち葉を燃やしたりするのも許可が要るらしい。昔は燃やす物も紙か木か葉っぱとか単純な物だったが、今は化学製品とかが多く煙に毒が出てくるらしい。子供の頃と今とでは環境が多いに変り、途惑う事も多いのだが、昔の人も子供の頃から五十年経って昔と環境が変わったなぁー、と思ったのだろうか。
 例えば二六六八年前から今までを振り返ると、この百五十年位の文明が劇的に変り、それまでの二五〇〇年位は自然環境に余り変化のなかった時代のように見えるのだが。それでもその時代に生きた人達から見れば、子供の頃感じた環境と老人になってからの環境は格段の変化を感じたのだろうか。
 都会に居れば故郷が恋しくなり、故郷に居れば都会が恋しくなる。若い頃には気にも掛けなかった父や母の思いをふと思い出す機会が多くなるのも暮れの現象の一つである。

▼今年の夏に私に取って大切な人が亡くなった。私の良き理解者であり支援者でもあった。名古屋大学医学部大学院を卒業した後、私の姉と一緒になり、その後ドイツの財団に奨学生として留学し、帰国後は名古屋大学に戻る。その後静岡県下の市立病院の整形外科部長を経て、小さな医院を開業していた。
 西洋医学だけでなく東洋医学も取り入れた治療で人気があり、とにかく真面目で勉強、研究一筋の人だった。名古屋大学名誉教授の方が友人代表で挨拶されていたが、今でこそヒアルロン酸というのが有名になったが、今から三十年も前に彼は研究していたと仰っていた。

 そんな勉強一筋の義兄が何故か私のファンとして、ずっと支えてくれたのである。私の友人が空き缶粉砕機を作って日立が買ってくれそうになった時も、開発費が足りなくてその機械をわざわざトラックに積んで見せに行ったら、その費用を用立ててくれたのだ。
 小さく粉砕する技術アイデァはその時点で一番だったんだが、ジュース缶の中には残り液があるから、機械の中で粉砕してしまうと機械の中に蟻が入り込んで来るのではないか、という事で最後の最後で日立から断られたのである。

 もう十年以上も前の話であるが、その時借りた金も返済しないままだった。「出世払いだから出世しなかったら払わなくていいんだよ」と言って、一度も催促はされなかった。未だ出世途上と言う事でそのままになっているが、いつかは約束を守ろうと思っている。
 幸い息子が防衛医科大を出て医者になってくれたので、閉院していた医院も来春には再開できそう出し、家族も元気である。来年こそいい年にしたいものである。読者の皆様、今年も一年間有難う御座いました。

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