【ビルメンテナンス業界事件簿】
三鷹式鎖国制度の全容
安田養次郎・三鷹市長引退を示唆

 
自分の器量でお妾さんを囲った迄はいいが、常に御手当を要求され今ではいいなりの生活。
本妻には何時三行半を叩き付けられるか、こちらも戦々恐々の日々。
さて、妾=鴻社長と本妻=三鷹市民との板挟みにある安田市長の決断は?
 
 随契保守の改革派?
夢は、三鷹にハリマ王国の建設
 三鷹市への糾弾も今号で3回目となるが、ここに来て安田養次郎市長を擁護する声?が挙がってきた。
 これ迄、三十有余年にわたり、三鷹市を喰い物にしてきたハリマビステム(鴻義久社長)に対しては、当紙の活動主旨が理解されたのか、市民や業者から賞賛と激励の声が寄せられ、今後の活動の励みとなっている。しかし、一方の安田市長に関しては、全く違う反応が起こっている。

 安田市長が現職に就く以前は、同市の職員として長年勤務していたことから、現状に至るまでの、ハリマビステムと市の関り合いを具に見てきた、言わば“生き証人”である。
 それが、市民の代表として首長となった今日も、一民間企業を偏向的に優遇し続けており、ハリマビステムと共に糾弾されて当然と当紙は考えてきた。

 ところが「市長はどちらかと言えば改革派で、現行の随意契約方式も、競争入札に切り替えようと頑張ってきた」と、極僅かではあるが、当紙の掲載内容に異を唱える者も現れた。
 しかし、その頑張ってきたという証が、全体から見れば零コンマ数パーセントの市場開放では、幾ら何でも、改革派を名乗るにはおこがましいにも程がある。

 なかには一部の職員(ハリマビステム後援者)からの、強固な開放反対意見に押されているとの情報もあったが、其れこそ指導力の欠如を自他共に認めているようなものだ。
 極め付きは、これら市長擁護派の少数意見に混じって「心臓を患っている72才の老人を苛めるとは何事か!」と、心優しい市民の方からお叱りを受けるに至っては、戦う気概も削がれる思いだ。
 安田市長はここ数年、心臓の具合が芳しくないようで、首長としての激務が相当堪えている模様で、任期満了(現在3期目)をもって市政からの引退を決意しているとの話である。
 この様な同情を寄せられるようでは、“安田体制”も既に末期であると言う他ない。

 
 “三鷹のトトロ”
ハリマの本社?正解は三鷹市役所
 しかし、気力が失せたからといって、潔く退陣することさえ侭ならない状況も抱えているようだ。
 安田市長が任期途中で辞める事にでもなれば、既存路線である現助役へのバトンタッチにも、少なからず悪影響を及ぼすことが危惧されるからだ。

 安田市長が本音とするところは、残りの任期中は波風立てずに、静かに過ごしたいとの想いに違いない。だが、市長の目先に突きつけた今回の問題を『市長の椅子』共々先送りされる事態だけは、断固阻止しなければならない。
 現行の随意契約方式を早急に改めなければ“三鷹市のお妾企業”ハリマビステムに、変わることなく銭を吸い上げられ続ける事は明らかなのだ。

 市職出身の市長として常に元同僚の顔色を伺いながら、時には言いなりとなっての市政運営の最後の仕上げが、後輩助役への市長椅子の横流しでは、市民が余りに哀れで仕方ない。
 半世紀もの間、三鷹市の公僕として勤め上げてきた自負と誇りが多少なりとも有ると言うなら、自身でその老体に鞭を振るってでも最後の大仕事をやって頂きたいものだ。
 三十有余年、先人首長誰しもが為しえなかった入札改革に着手し、有意義な公金使途の道を示すことが出来たなら、その功績は輝かしいものとして語り継がれていくに違いない(たぶんネ)。

夢は、ジブリ美術館の名誉館長


 実際、三鷹市が『全国初の下水道完備都市』を達成した昭和48年、当時の市長だった鈴木平三郎氏の名声は、30年ほど経った今でも色あせることなく、三鷹市民の誇りとして心に刻まれている。
 安田市長もこのまま引退となれば、任期中の功績として残るのは『三鷹の森ジブリ美術館』の誘致ぐらいしか無いのでは?

 無垢な子供たちは親しみを込めて、そして心ない大人達は揶揄する意味で、市長のことを“トトロのお爺ちゃん”と呼んでおりますが、市長はお気付きでいらっしゃいますか?

 さて、ハリマビステムが単独受注している市の委託業務について市民が一番関心を持つのは、その受注金額だろう。
 競争入札を行なわずに同社の言い値によって決定されてきた金額が本当に適正なものなのかを、近隣の物件と比較しながら次回の紙面で検証しよう。
〔続く〕

 
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