何が何でも合併前に?
貴方の取り柄は「人の良さ」と「聞く耳を持っていること」だった筈では…。
 町長は、やっぱりまだ勘違いをしている。資料館だけならともかく、必要性の無い『図書館』まで建設しようとしているのだ。
 町の施設は町の皆の為にあるのに、自分の在任中に何某かの「かたち」を残す事にばかり躍起になっているのだろう。
 こういった文化的施設の存在意義を否定する気はさらさら無いが、現在の南有馬町に図書館は必要ない。

 例えば『原城文化センター』と『オアシス』という2つの施設があるが、これらの用途は殆んど同じである。どちらも集会や催事が行える、言わば「コミュニティーセンター」的な要素を持った施設だ。
 しかも、どちらの施設も客足はまばらで閑散としている。仮に「閑散」が言い過ぎだとしたら、客でごった返すような賑わいを見たことが無い、と表現しておこう(原城温泉『真砂』はヒットしたみたいだが)。
 いずれにしたってこの町の行政は、大した利用客数でもない、しかも似たような用途の施設を二つも造っておきながら、有効活用の為に知恵を絞るでも無く、ただこの2施設を温存させて安穏としているのだ。

 これだけでも「ムダな箱物行政」と呼ぶに充分だ。
 町長がどうしても図書館が必要だと言うなら、この閑古鳥が鳴く両施設内に、図書館に代わる設備を設ければ良いではないか。極めて合理的且つ有効な利用法であり、充分に実現可能な筈である。
 しかしこのような「有効活用術」を馬鹿にしているのか、それとも単に馬鹿だから思いつかないのか、或いは自分の名前を残すことしか頭に無いのか、町長は何が何でも合併前に「自分の意向」で図書館と資料館を建てたいらしい。

 そもそも、合併する予定の口之津町には既に立派な図書館が存在するし、お隣りの西有家町でも十数億円をかけた図書館建設に着手したと聞く。それでも尚、まるで競合するコンビニエンス・ストアーのライバル店同士みたいに、数百メートル置きに図書館を建てる必要があるのか?
 そんな訳はあるまい。
 このように、冷静に考えれば、せいぜい既存の施設を活かして代替施設にする程度の方法が望ましく、少なくとも新たに大掛かりな図書館建設を行う必要が無い事は明白だ。
 そんな、建てる必要の無い施設の建設に躍起になっている町長だが、その一方で、町制70周年記念事業の一環として建設された武道館の『空調設備工事』などという、図書館建設に比べたら10分の1以下の金額で出来る、重要且つ有意義な設備工事を意固地になって渋ってみたりするのだから、町民の感覚と著しく懸け離れたこの御仁の感覚には、ただただ呆れるばかりである。

 と言いたいところだが、実はそう呆れてばかりもいられないのだ。既に長崎県市町村課には南有馬町の平成15、16年度市町村振興計画が提出されており、その中に図書館建設の計画も約3億円の予算で予定されているのだ。
 これは飽くまでも計画の段階ではあるが、この5月にも地方債の正式な申し込みにあたる『起債申請』がなされる見込みである。

 
 地方債とは?

 ここらでちょっと、地方債についてお勉強してみよう。
 財団法人『地方財務協会』発行「地方債のあらまし」(以下「同書」という)によると、地方債とは、地方公共団体が財政上必要とする資金を外部から調達することによって負担する債務で、その履行が一会計年度を超えて行われるものをいい、その性格として次のような側面を有している。
@ 地方公共団体が負担する債務であること
A 資金調達によって負担する債務であること
B 証書借入又は証券発行の形式を有すること
C 地方公共団体の課税権を実質的な担保とした債務であること
D 債務の履行が一会計年度を超えて行われるものであること

―ということだそうだ。
 この説明で理解できた方は恐らく少ないであろうから、筆者なりに噛み砕いて説明しよう。
 要するに地方債とは、文字通り地方公共団体が政府や金融機関などから借金することで、それには都道府県知事や総務大臣等の許可が必要となる。
 原則的には市町村の場合は都道府県知事の許可を、都道府県の場合は総務大臣の許可を取ればOKというわけだ。

 具体的な例の方が分かり易いので、南有馬町の場合に例えてもう少し詳しく説明してみよう。
 まずは南有馬町が、地方債を申し込むための『起債申請書』を県・島原振興局に提出する。
 島原振興局は『何のためにお金を借りるのか、いくら必要か』等といった計画の説明を南有馬町から受けて、県・市町村課に内容を説明する。実際には、この市町村課が事務的な手続き(判断や許可も含めて)を最後まで行う事になる。

 市町村課は資金配分について、財務省、総務省それぞれに相談し、協議をおこなう。
 まず財務省の方から説明すると、財務省とは言っても本省ではなく『財務省・福岡財務支局・長崎財務事務所・財務課』と共に協議することになる。
 長崎財務事務所は資金配分についての意見を述べる立場にある。ここでいう資金配分とは具体的な資金のことで、例えば資金の何割を簡保から借りて、残りの何割を民間の金融機関から借りる方が良い、などといった助言をするのが同財務事務所の役目と言える。
 ただ、実際には県・市町村課の方で予め決められていることが多いので、その計画を聞いて同意する、というのが実際の役目となっている。もちろん意見する場合もあるが。

 一方の総務省の方は具体的な資金配分についての協議ではなく、全体的な(長崎県としての)大きな枠組みでの資金配分の話をすることになる。
 つまり、南有馬の図書館の為に何億円の地方債を発行しましょう等というレベルの話ではなくて、県内全域(各自治体)のこういった事業をトータルで見て、総務省(国)の立場から地方財政を考えるということだ。
 例えば現在、国の何とかカントカのお金が何兆円であり、郵貯が何千億円、簡保が何千億円ある中の幾らぐらいを充てるのが適当だとか、或いは全国の自治体の中で長崎県に充てられる資金は幾らまでで云々といった、大きな枠組みを決めるのである。
 その枠の中で県内各地の様々な施設建設等に割り当てられるといった具合だ。

 さあ、このようにして長崎財務事務所に具体的な資金配分の相談を行い、また総務省に全体的な地方財政の助言を受けた県・市町村課は、最終的な判断を下す事になる。
 ここで下される許可は一応は県知事の許可という事になっているが、一つ一つの案件を県知事が聞いて、把握して、検討してハンコを押す訳ではない。
 金額や規模や内容によっては県知事まで書類が上がっていく事もあるが、そのような必要性の無いものは県の市町村課が県知事に代わって許認可を与える権限を授けられている。
 従って、以上のプロセスを経て県が許可すれば地方債が発行される事になる。

 
 驕り昂ぶり

 お勉強はこのくらいにして、ともかく南有馬町の図書館建設計画は、計画として県に上がっている。県知事は最終的に、このような必要性のない図書館建設の為の地方債発行を認めるつもりなのだろうか。
 県知事の意向を探るべく県知事宛てに(県庁へ)電話を入れたところ、秘書課の女性が応対してくれた。
 『南有馬町が計画している図書館の建設は無駄な箱物行政の典型例であり、地方債は断じて発行するべきでない』旨を県知事に直訴したい、と訴えたところ、秘書課の女性は「ただいま受け賜りましたご意見を必ず知事に伝えるよう、私の上司である秘書課長のカナハタに報告しておきます」との事だった。

 引き続き、担当部署である市町村課に電話を回してもらい、同課のヨシダ氏に同様の話をしたところ「確かに南有馬町からは計画として図書館の話は出ておりますが、起債申請自体は通常毎年5月頃に行われるものですので、まだなされていません。その申請が正式になされて初めて具体的な説明を南有馬町から受ける事になります。その説明を聞き、関係各所と協議した結果、無意味に大規模な施設であったりした場合にはもっと小規模なものでも充分ではないかとか助言する場合もあります。何れに致しましても市町村から具体的な説明を受け、どのような計画性と必然性を持っているのか、例えば近隣にそういった施設が全く無いだとか、市町村民の皆さんからこれだけ多くの要望があっただとか、或いはどれぐらいの規模の図書館で蔵書はどれぐらいで、利用率はどれぐらいを予測しているなどといった具体的なデータ等を踏まえた上で、それらに見合った有意義で必要な規模の施設かどうかを検討する、ということになりますので、正式な申請がなされていない現時点では何ともコメントのしようが無いと言うのが正直なところです」との事だった。

 すかさず本紙は『いま、無駄な箱物行政が全国的に問題視され、あちこちの自治体で赤字の原因になって閉鎖に追い込まれたり、中には数百億円もの莫大な費用を投じて建設したにもかかわらず、1万円や1,000円で売り飛ばすようなところもあります。これは税金の無駄遣い以外の何物でもありません。こうした現象を未然に食い止めるためにも、是非厳正な審査を行い、無駄な図書館のための起債申請を却下してください』と釘をさしておいた。
 ヨシダ氏は「御もっともなご意見です。税金の無駄遣いにならないように厳正に審査を行います」と答えられた。

 財務省福岡財務局長崎財務事務所にも電話を入れ、所長のムラカワ氏が不在だったので、前記と同様の話を伝言してくれるよう財務課に頼んでおいた。
 既に詳述した通り、同財務事務所は許可を与えるか否かの判断をする訳では無いのだが、地方債発行に際して資金配分に助言を加える公機関として知っておいて頂きたいので、本紙の活動趣旨と南有馬町政の実態を説明した。

 何はともあれ、公的な財源によって行われる公共の為の施設建設等の事業を、個人的な“名誉”の為に濫用・悪用され、税金が無駄遣いされるような事態は、何としても避けねばならない。総務省や金融庁、その他関係する各行政機関に対する取材と、場合によってはその後の抗議行動が不可欠であることは言うまでもあるまい。
 まったく、町長も本紙の“気概”を知りつつ、よくもこの魂に火を点けてくれたものだ。

 それに、そもそも今回の問題は、自らの力を過信して横着な手法を用いた松尾町長に、やっぱり問題がある。
 物事を決めて実行に移すためにはそれなりのプロセス(過程)というものが不可欠だ。物事には順番や段取りというものがあって、たとえ結果が分かりきっていたとしても、その過程を踏まえる必要があるのだ。
 そのために町議会があるのである。なのに町長は、その町議会の存在を無視するとまでは言わないが、軽視するかのような行動を取った。

 既に平成15年度町政予算の中に、図書館建設に関する調査費としてしっかり計上してあるようだが、そのための話し合いは行ったのか?
 しかも既述したように、既に県の方へは計画が報告されているが、何か大事なプロセスが2〜3工程ぐらい抜け落ちてはいないか?
 本来ならば、図書館建設に関する町民の意見をひろく募り、町議会の中に『図書館建設準備委員会』のような委員会を設け、賛成派と反対派がなるべく同人数になるように人選して何度も議論を重ね、それから町議会に掛けて方向性を決めて、決まったらその候補地をどこにするかとか、規模をどれぐらいにするかなどの調査を行うための調査費を予算に計上し、その後ぐらいに県に報告するとか、まあケース・バイ・ケースだとは思うが、それなりに踏まえるべきプロセスというものがある筈だ。

 それを松尾町長は、自分の側近に「図書館ば建てたかとばってん、幾らぐらい掛かるじゃろうか。ちょっと調べてみてくれんね」と下調べをさせて自分達だけで勝手に計画の大筋を決めておき、予め県にも計画を出しておき、準備委員会などは一切設けない。
 そして一応形だけは町議会に掛けるが、議員の大半は町長派なので、賛成多数で即決される(というより余程のことが無い限り、誰も反対意見など言わないし言えない)。
 そう、つまりこの結果を町長が確信しているからこそ、プロセスを省き、少数派意見者の存在を軽侮しているのだ。
こういうのを日本語で驕り、昂ぶりと言う。

 それに、通常なら図書館建設となれば文教委員(委員長=平石孝春議員)が中心になる筈なのに、実際には町長側近である宮崎和孝議員が中心になって動いている。何故だ?
 町長の側近中の側近だから選ばれたのか、或いは、問題は多いが自民党長崎県連の広報担当で「口のうまさ」を買われ、県への陳情には打って付けという得意技を評価されたのかわからぬが、首をひねってる町民は多い。ここらへんも町長の独断か?

 
 風の流れ

 さて、これは当社のホームページ掲示板にあった書き込み(上)だが、これが本当なら町民に誤解を与えるだろう。
 元町長の松尾康正氏も、町内では絶対的な力を保持しながら『右翼の一刺し』で全く無名の新人に敗れたことは記憶に新しい。これが“政治は生き物だ”と言われる所以である。
 それに比べたら現町長は基盤が余りに弱い。強いて現町長の強みを挙げるなら次期町長の任期が2年しかないことだ。それで対立候補が出ないだろう、との読みである。政治をナメてはいけない。

 面と向かっては物言わぬ町民も「風の流れ」はしっかり感じるのである。どんなに力のある人でさえ、いつかは滅びる時が来る。
 ましてや、実力も無いのに錯覚している人間なんて論外だ。町長選まであと半年ある。丁度いい運動期間であろう。
2期8年間の実績と評価の真実が、いろんな形で今後半年間に出回ることだろう。それが吉と出るか凶と出るかは貴方次第だよ。
 松尾町長さん。
〔つづく〕

 
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