かつては「召田市長に斉藤助役」と揶揄(やゆ)されるほどの権限をお持ちだった召田先生。さすがに色んな場面にご登場なさいますね。今後も戸田市議会の重鎮として益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
神保将軍様の統制下にめっきり影をひそめた召田先生
 最近当紙が本拠を置く戸田市の神保国男市長の周辺に異変が起きている。多くの市役所職員の間で、2期目に入った神保市長の横暴さが目に余ると囁かれている。なんでも神保派といわれる議員、職員以外の意見には全く耳を傾けず、その横暴振りが人事に顕著に表れるだけに、昇格を夢見る職員は、神保市長の「喜び組み」に入れていただこうと、金正日将軍様さながらに、神保将軍様と奉らなければならないのだとか?

 そういえば、去年の暮れに伊藤某教育長選任を告げた神保市長の人事案件を巡って怪文書が流れ、贈収賄疑惑が浮上していたっけ。事の真相を究明しようと奮起し、議会の一般質問を予定していた高橋秀樹市議も神保将軍様の圧力に制圧されたのか腰砕けに終ってしまった。又、神保派なのに怪文書を流した犯人ではないかと疑われてしまった本橋健造市議は本当にお気の毒でした。真相は如何に?

 さて、5ヶ月前に突如戸田市役所の地下に20年あまりも君臨し続けてきた食堂「むさしの」が営業を止めてしまった。なんでも担当部署である人事課に事あるごとに罵倒され、止めざるを得ない状況に追いやられたらしい。元々因縁のある食堂だったから機会があれば止めさせようと狙ってはいたようだ。

 というのは戸田市に新幹線が通過するという話が浮上した当時、地元民による新幹線通過の反対運動が盛んとなった昭和47〜55年頃に掛けて、ヨコチョウこと細野某会長の率いる新幹線反対期成同盟会とか何とかの事務局長となって稲葉某(反対撤回直後に市議当選)と共に新幹線の通過を激しく反対していたのがこの食堂の里吉社長で、推進派にとってはどうしても取り込まなければならない一人であった。
 そこで自民党系守旧派である自民クラブで売り出し中だった召田均市議が反対運動に終止符を打つという確約の見返りに与えた利権がこの食堂だったというのが定説となっている。

 これを裏付けるようにベテラン議員や職員の間では「新幹線食堂」と呼ばれていたし、食堂の業者選定においても、当時の斎藤市長と敵対していた里吉社長が新幹線の工事が開始された直後に抜擢されることは、食堂の経営実績がないことからも普通ではありえない選定と言えよう。
 「召田市長に斎藤助役」と揶揄される典型ともいえる一件である。
 前市長の斎藤純忠氏は、恨み骨髄だったのか、在職中の24年間一度もこの食堂に足を運ばなかったようだ。

 最近は同じ自民党系でも自民クラブに代わって神保派と言われる「平成会」が力を付けており、今回の食堂「むさしの」排除は前市長の仇を現市長が打ったということかな?里吉社長はもう80歳だというし、裏取引は決して良い事ではないけれど、あの当時では最良の方法として選ばれた結果なのだから、せめて一代限りとしてやらせてあげてもよかったと思うが。
 突然の閉鎖に戸惑っている職員も多く、何と言っても5ヶ月あまりも閉鎖したままなので、市民の中からも尋常ではないと疑念を抱く声もちらほら出始めている。本当の理由は職員にも知らされていない。

 
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