アンフェアプレイで勝利した松尾町長
せっかくの住民投票も「単なるポーズ」では意味がない。

 1年半の任期をかけた南有馬町長選挙が終った。ちょっとした旋風は巻き起こしたが、ハリケーンにまでは成長しなかった。勝因、敗因と町民の胸の内を語って見よう。

 破れた井上安彦氏が立候補表明した時は多くの人が拍手喝采で迎え胸躍らせた事は事実だった。そして風も間違いなく井上氏に吹いた。ところが井上氏はまじめで清貧な人らしい。町外からの8町合併推進議員や有識者からの一切の支援を断り、また町内の数少い有識者グループの支援をも断っての運動だったらしい。

 町議の時は、今回同様、直前の(突然の)出馬にも拘らず第1位当選だったらしいが、14人受かる町議と違って、町内から1人を選ぶ町長選には、その清貧さと気まじめさが、頼りなく、消極的に映ったのではないか。

片や勝利した松尾町長陣営は、井上氏が立候補を表明した時こそあわてたもののすぐに態勢を整え、積極的に町内の全家庭を回ったという。ほとんどの町議が手分けして全家庭を回ったら、やはり余程でなければ太刀打ちできない。
 しかも現職の町長と現職の町議だ。中には意地の悪い議員もいて、相手側議員の演説会場に行ってビデオを回したり、付いて回る者もいたらしい。これは町民に取って恐怖だろう。田舎では血縁、地縁、義理やしがらみで生活をしている。腹の中は兎も角、表面上は町長様や町議様には逆らえない。表立って物の言える人もいない。

 今回「南有馬の将来を考える会」の人達も、学校の先生を退職された方々が中心だった。仕事を終えた年金生活者だから、直接町との利害が絡まない立場だからこそ立ち上がれたのだろう。
 但し、若い人達の中から「直接」反対意見を言う人が出なかったのは残念なことである。できるなら平穏な第2の人生を送りたかっただろうことは容易に推察できる。もう老年の域に入ってる方が中心だ。そんな方達が立ち上がるには相当なそれなりの理由や覚悟が要ったことだろう。負けたとはいえ、井上氏や南有馬の将来を考える会の人達には惜しみない拍手を送りたい。

 先月号の予測でも書いたが、井上氏の立候補がわかった後、直ぐ現役町長側は「10月半ばに2町合併か8町合併かの住民投票をします」と発表した(かたくなに拒否していた住民投票を実施するということになっただけで、井上氏の立候補は価値があったことは事実だ)。
 これ一つとっても現職町長の成せる技で、町長選挙中の運動方法としてはフェアプレーとは思えない。しかも続いて議員有志という実名を名乗らない、いかにも卑怯なゴマ摺り議員とは思うが「町長は実は8町合併推進の考えを持っていましたが、議会で否決されました。2町合併は町長の本意ではありません」という主旨のチラシを各家庭に折り込んだ。この2つの策で町民に迷いが出て、風の流れが変わり出した。

 元来田舎の人は「変化」を好まない。慣れ親しんだ体制が好きで、穏やかな風或いは無風が好きなのだ。余程腹にすえかねた末の旋風であった筈が優秀な策士の奇策にまんまと嵌ったのである。
 この策士、してやったりとニンマリ微笑んで二階級特進の論巧行賞は間違いなかろう。

 
 町民に混乱招くまやかし怪文書
策士=松尾町長

 ところで、町民は混乱した。松尾町長も8町合併推進者だと勝手に思い込む人も出てきた。よくよく文章を読み返せば、住民投票の「結果に従います」ではなく「結果を尊重します」と表現してある。ということは「尊重して再生議会で話し合ったけど駄目だった」という結論がその先に見えている。所謂、選挙の為の「嘘」や「まやかし」があったのではないか。だから現に、中には「8町合併になると思って松尾氏に入れた」という人も出ている。

 また「8町合併になれば住民税が上がるから町民の生活は苦しくなる」と言って回った議員もいたらしいが、確かに今よりも500円程上がるのは事実らしい。しかし国や県の意向に逆らえば、おいてけぼりにされて、許認可権や裁量権でいじめられ、予算配分も削られるだろう。
 南串から先は、国見まで「雲仙市」として合併が決定したというし、島原半島は島原市を入れて3つにされるように「勢い」は来ている。雲仙市という名を取られたら、もう「有明海」市ぐらいしかないだろう。

 余談だが、一応天草四郎の原城も有名ではあるが他町が反対するだろうし、東京では原城より天草四郎の方が有名で、しかも天草四郎は熊本の天草というイメージから原城は熊本県と思っている人が意外と多い。
 これといった特産や資源財源がないまま、おいてけぼりにされても住民税が500円安い今のままが良いのか。

 例えば町長がどうしても建てたい図書館を引き合いに出せば、今確かに箱物としての図書館はつくることも可能だろう。それなりの蔵書も揃えることもできよう。しかし2年後からの維持、管理費はどうする。新書を購入する予算はどうする。国や県からの支援がなければ間違いなくやっていけないだろう。だから計画性のない事業は失敗するのである。
 民間に比べて、公営の計画性のずさんさは「痛み」を知らないことである。自分で身を粉にして働いて得た血のにじむ貴重なお金であるという自覚がない。所詮は他人の金という思いがあり、使う責任も結果責任もないのである。

 さて町長の公約通り、10月19日に8町合併か否かの住民投票があるらしいのだが、投票率が50%以下なら開封しないのだそうである。そういう規定があるのかどうか筆者はよく知らないが、せめて法的拘束力のない住民投票ぐらいフェアにやって貰いたい。おじいさん、おばあさんの所へ行って「税金高くなる」と大幅アップを予想させるような話をしたり、「住民投票そのものは法的拘束力がないのでやっても意味はない」とか言って住民投票に行く人達を阻止しようとする動きもあるらしいが、町民にすれば生涯に1度か2度かという「変革」の時である。せめて堂々と真実の話をして住民投票を受けさせるべきだ。

 また住民の皆さんも今だけの判断で参加するのではなく、町の未来や子孫のことを考えた末の判断で投票して欲しい。あとで「ああだった」「こうだった」は愚の骨頂である。その結果は町民の意思として町も尊重するだろうし、どちらになったとしても、すがすがしくお互いに協力すべきである。

町長の取り巻き連中が「町民のごキゲン伺い」のためにバラまいた「まやかし」の怪文書
 
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