話題呼んだ当選

 菖蒲白岡町(埼玉県南埼玉郡)、菖蒲町(同郡)との合併協議を進める蓮田市に異変が起きている。

 今年3月に、市長との手法の相違などを理由に、市4役のうち助役と教育長が相次いで辞職した蓮田市では、それから半年余りが経過した現在でも、市長と議会の対立により2役不在という前代未聞の状態が続いているのだ。

 9月3日の議会では、市長から、問題の終結を図る為に「市民に対して市政混乱を招いた責任を取る」とした自らの減給案と空席を埋める人事案件が提案されたが、「反省がない」と議会で承認を得ることが出来なかった。市長提出議案が尽く議会で否定されてしまうので、女性市長ということもあってか、一見すると議員サイドが一方的に市長を苛めている様な印象を受けるのだが、真相はチョット違うらしい。

 蓮田市の樋口暁子市長は今から6年前に行われた市長選挙で、3期目を目指した前市長石川勝夫氏を破って当選した。女性市長の誕生は全国でも3人目ということと、「現職が強い」という地方政治の壁を無党派の女性が破ったことで、当時大きな話題となった。

 樋口市長は、公共事業に力を入れてきた石川市政を「ハコモノ優先では子供たちに借金を残すだけ」と批判し、ボランティア活動などの経験から教育や福祉の充実を訴えた。それを、主婦ら約70人が中心となって結成した「女性市長を誕生させる会=ひまわり」が盛り上げ、現職に批判的な保守層と無党派層などから広く支持を得て「地方政治の悪習=『官僚システム』に胡座をかいている勢力図を変革するチャンス」と、鳴り物入りで誕生した女性市長である。

 しかし、その蓮田市民に圧倒的支持を受けていたと思われていた市長に対し、9月28日の定例議会本会議最終日、「市長不信任決議の動議」が議員から提出された。無会派の3名の議員が退席する中、残り19名の議員によって無記名投票による採決が行われたが、可決に必要な出席議員の4分の3以上となる15票に達せず、動議は否決され市長は難を逃れた。

 それにしても、幅の広い支持者を持っていた(?)樋口市長に「不信任決議」が提出されるまでに至ったのは何故なのか…。他市の議会関係者から「低レベルなアホ議会」とまで酷評されている蓮田市に、一刻も早い問題終結と名誉挽回を促すべく、その真相に迫ってみることにする。

 
 辞めさせられた
何故かカメラ目線の市議のお歴々。その視線
の先にあるのは「市民」、だと良いのだが…
 事の発端は、冒頭でも触れたが、今年3月の関口章助役、野崎好雄教育長という市4役の内の2人の辞職だ。

 この辞職について、議員らは3月の議会で「県庁筆頭部長の総合政策部長を務め、識見、能力とも豊かな人をなぜ市長は慰留しないのか」「1市2町の合併を控え、なぜ突然辞めるのか」などと質した。これに対し市長は「辞表は昨年10月2日に承認した。突然の辞職願いに残念。しかし慰留する意思はない」と答弁している。

 一方、当の関口助役によると「辞表を出した後、合併が実現する来年3月まで務めさせていただくよう市長に話し、そのつもりでいた」「しかし辞表はその後無効になった中で市長から解職の申し出がなされた」というのである。

 つまり市長は、辞表を出されたのだから、やる気がない人にいてもらっても仕方ないから「辞表を受理した」というもので、それに対して関口助役は、辞表は出したけれども合併協議の続いている大事な時期だから、せめて合併が実現する来年3月までは頑張りたいという思いがあり、その意思は(市長に)理解してもらっていた、と思っていたようである。

 にも拘らず今年3月、市長に突然呼ばれ「解職の申し出がなされた」ので承知したという風に、「辞めた」と「辞めさせられた」で両者の認識が大きく食い違いを見せている。議会としては、何れにしてもこの大事な時期に助役の辞意を慰留するべき立場ではないのかという意見が強く、市長が反発を受ける要因となったようだ。

 また野崎教育長の辞職にしても、3月は小中学校の卒業・入学を目前に控えていた大切な時期であり、とても尋常ではない。

 野崎教育長は昨年12月いっぱいで任期満了を迎えたが、12月議会で樋口市長の強い意向で再任を求められ、反対議員との激論の末、議会の同意を得て引き続き教育長となられた御仁である。なのに僅か3ヶ月で辞職とは理不尽にも程がある。市長に対して「議会軽視」と議員が怒り出すのも無理はない。

 
 教育長人事の裏
支離滅裂はオンナの特権?
(樋口市長)
 この教育長の人事には、こんな裏話が巷を賑わせている。ある情報通A氏によれば「3月に野崎教育長が辞表を出すことは、市長と教育長との間で事前に話がなされていた」というのである。つまり絵が描かれていたというのだ。

 また、「市長は野崎教育長の任期満了に伴い、後任は○○氏にすると決めていました。しかし、○○氏は現在の職をどうしても今年3月一杯まで務めなければならなかった為に、野崎教育長を12月で辞めさせて3ヶ月間の空席を作るわけに行かなかったので、再任を推すが、3月になったら辞表を出すようにという話がしてあったのです」というのは、蓮田市に生まれ育ち、10月に還暦を迎える情報通Y氏の話である。

 尚、この教育長の辞職については、市長不信任が出された先の9月議会で市長派の黒須喜一議員(7期)が、「昨年12月の議会で市長が再任の同意を求めたときに反対意見を訴えた、ある議員の発言が原因である」(つまり市長のせいではない)と擁護したが、抽象的で説得力に欠けたものであった。

 また前出の情報通A氏によれば、以前、消防庁舎の建設に伴い、建設当初に予定されていた予算を大幅にオーバーしたことがあったが、樋口市長は議会に掛けずに支出を決めてしまい、今年の6月議会で「議会無視」と追及される一幕もあったとか。

 他にも、ハコモノ反対を訴えていたのに、前市長が手掛けていた図書館建設を引継ぎ、出来上がった途端に自分の手柄を唱えたこともあったという。こんな話を聞くと、樋口市長の政治手法が「専制的独善的」という議員の声にも頷ける。

 また、公務とはいえ宴の席で、大好きなカラオケがあると時を忘れるほど夢中になってしまい、カラオケで夜遅くまで待たすのはやめて欲しいと公用車の運転手が嘆いているというが、樋口市長、こんな話が出るようじゃチョット脇があまいかも。

 初の市長選挙で支援母体となった「女性市長を誕生させる会=ひまわり」でさえも2期目の選挙では支持しなかったという。これまた尋常ではない話だが、この支持母体は共産党系との噂がある。

 そもそも樋口市長は初の選挙で、当時物議を醸していた地下鉄「埼玉高速鉄道線」の蓮田市開通を共産党と同様に反対していて、共産党の後押しで当選に結びついたのだという。しかし当時の埼玉県知事土屋義彦が「地下鉄は蓮田市まで」と訴えた途端、賛成派に回り、今では共産党と犬猿の仲となり、最近では共産党から「兄弟の経営する会社を非課税にした」などの不正行為を追及され、高裁で争っているそうである。

 そんなこんなで、悪気があるのかないのか分からないが、ご自身の気まぐれな性格(立場上気まぐれは市政混乱を招く元)で敵を増やし続けてしまった樋口市長に、ついに9月議会最終日「市長不信任決議」の動議が提出されるに至った。動議を発した代表として壇上に上がった山崎享一議員(2期)は、動議文をビシッと読んで不信任決議の必要性を訴えてくれるかと思いきや、そんな期待を裏切り、初っ端から「ショ、昭和16年9月…キキ、緊張しちゃいまして…あはは…(クネクネ)」ってな具合で、緊張してると言っている割には、これから議論されるべき重要な問題に対する緊張感というものを微塵も感じさせなかった。

 動議の理由として「県の不振を招いた」とあったが具体性がなく、単に『助役が元県庁の総合政策部長上がりだったから、そのような人の機嫌を損ねては県から目をつけられてしまい、今後、県の同意を得なければならない様な事業を蓮田市で抱えたときに仕事が遂行しにくい』といったような、何だか利権にすがりたい気持ちの表れにしか聞こえなかったのは筆者だけだろうか。

 
 弱腰の理由は…

 反対派も賛成派も、今ひとつ抽象的で意見が理解しがたい。市民感情にも全く触れていないあたりは、市長も議員も最後まで自分達の喧嘩に夢中といった感じで、喧嘩両成敗と言わざるを得ない。傍聴席から「市民不在だ」とヤジられても仕方ないことだ。選挙の際に票を投じ、蓮田市を故郷とする市民にしてみれば、県下に生き恥をさらされ断腸の思いであろう。

 議員がどこか弱腰なのは「市長の不信任が可決されても、市長が最終権限で議会を解散させたら総辞職になって自分達が困る、という保身の気持ちがあるからだ」という傍聴者からの声もあり、市民は結構冷めた目で見ているようだ。

 市長を擁護する訳ではないが、市長だけではなく議員の信頼も無いのだということを各先生方に自覚して頂きたい。この際、解散総辞職で一掃してしまえ!と言いたいところだが、選挙をするにも莫大な費用(血税)がかかるし、そのツケはまた市民が背負うことになってしまうし、合併協議会もぶち壊れてしまう。

 市長も議員も、市民の負託を受けて、市民の生命と財産を守るべき立場にあるのだから、つまらない意地の張り合いで市民に不利益を与えるようなことはしてはならない。

 斯くして、9月議会で樋口市長不信任決議が否決され、今も尚、市2役の欠員が続く蓮田市は、市民の生活発展と合併という未来を犠牲にしてまでも、この前代未聞の低俗な争いを続けていくのだろうか…。
「喝っ!」 (つづく)

 
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