財務省への抗議風景
 昭和34年4月10日、皇太子妃殿下として民間から初めて皇室に輿入れされた美智子皇后陛下。戦後の暗い世相の中で、どれだけ日本国民の心に希望と勇気を与えられたことか。日本国民の全てが心から御祝いし喜んだ御成婚だった。以来ミッチーブームは永遠に続き今尚多くの国民の心の支えとなっている。今では美智子皇后陛下の御人柄は国内に止まらず広く海外にまでその優しさが知れ渡っている。特に幼い世界中の子供達に対する慈しみの心は別け隔てなく、観世音菩薩様のような悟りをされた方である。
 天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する日本国民の総意に基く。と日本国憲法第一条で謳ってある。その天皇家へ嫁がれた現皇后陛下であ
る。
 宮内庁は「皇后陛下は、保存を望む人々の気持ちを本当に有難く思われながらも、これを残してほしいとのお気持ちのないことを常常申されている。終生静かに身を持されたご両親の願いもそうであろうとのお気持ちが強くおありになる」という皇后陛下の意向として発表した。果たしてそうだろうか。近隣の方々は只只純粋に御生家を保存して町の誇りとして語り継ぎたい、という気持ちで保存運動に取り組まれた。それを途中から売名行為的な市町村長が出現したりして心ならずも皇后陛下の御心を煩わす結果となった。
 筆者も四十数年前、心から喜び家族中でお祝いしたことを鮮明に覚えている。ふる里や生まれた家がなくなることを誰が望むだろうか。皇后様が御言葉に出されなくとも、その胸中を慮って行動することこそ我々国民の恩返しではなかろうか。解体工事入札に参加し落札した(株)フジムラの藤村一人社長は我々の運動の意義をしっかり見つめ理解して、自ら解体工事を辞退してくれた。「金だけが人生じゃない」という人もいるのだ。日本人の血が彼を奮い立たせたのだろう。

 
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