悲劇と呼ぶべき政府要人の見識
威風堂々、石原閣下
 去る5月26日、森岡正宏衆院議員は自民党代議士会に於いて、概ね以下の如く発言した。

 ―極東国際軍事裁判は、日本が占領下にあったとき、勝者である連合軍が国際法違反の軍事裁判で敗戦国日本を裁いたもの―A級戦犯の中には絞首刑になった人も禁固刑になった人もいたが、皆罪を償い、のちに大臣になった人もいる。A級戦犯はもはや罪人ではない―中国や韓国に媚びてA級戦犯の分祀や新たな追悼施設建設をめざすのではなく『東京裁判は国際法上違法であった』と世界に向かって主張すべき―

 この発言に対し中国共産党政府(以下「中共」)の孔泉報道局長は、例によって例の如く「強烈な憤慨を表明し、厳しく譴責(けんせき)する」と述べた。

 本来こういったことに関して中共や韓国が意見するのは筋違いである。

 我が国が嘗て戦った相手は支那国民政府(蒋介石)であって、中共(毛沢東)は我が国との正式な交戦相手でもなければサンフランシスコ平和条約調印にも参加していない。韓国に至っては我が国と戦った訳でもなければ(善し悪しはさておき当時は日本の一部だった)、東京裁判や平和条約の当事国でもない。従ってそのような国々が『トウキョウサイバン』がどうだの『エーキュウセンパン』がこうだのとゴネるのは、そもそも筋違いである。

 但し、我が国とこれらの国々との間には不幸な過去があるのも事実だから、法的な議論は別として“感情論”で語るならば、これらの国々による批判は「気持ちとしては」理解できなくもない。

 しかし一番の問題点は、我が国の為政者、取り分け首相や官房長官の口から、正しい歴史認識に立脚したコメントが発せられないことである。

 冒頭の森岡正宏衆院議員の発言を受けて小泉首相は「それはもう東京裁判で済んでいるじゃないですか。日本は(東京裁判を)受け入れているわけですから」と述べ、また細田官房長官は「自分の思いを言ったと思うが、事実関係に種々誤りが含まれていて論評する必要のない発言だ」と述べた。一国の首相と官房長官ともあろう者が、何たる不見識だ。これは悲劇といって良い。

 
 誰が認めた?東京裁判史観
閣下のように堂々と参拝されたし
 確かに我が国は昭和26年9月8日、平和条約に調印(同27年4月28日発効)した。小泉首相も細田官房長官も同条約第11条のaccepts the judgmentsを以って「日本は『裁判』を受け入れた」と理解しているのだろう。

 しかし最近、多くの国際法学者が「『judgments』を『裁判』と訳したのは明らかな誤訳で『諸判決』と訳すべき」と述べている。即ち、我が国は個々の判決とそれら刑の執行を受け入れたのであって、東京裁判史観を含む『裁判全て』を受け入れたのではない。このことは、少なくとも当時の国民と為政者は正しく理解していたはずだ。その根拠を幾つか挙げよう。

 外務省の西村熊雄条約局長(当時)は昭和26年10月17日、衆議院平和条約特別委員会に於いて「平和条約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向かって効力を失い、裁判がまだ終っていない者は釈放しなければならないというのが国際法の原則」「従って11条はそういう当然の結果にならないために置かれたもの」と答弁した。

 この「国際法の原則」に従う限り、我が国は平和条約調印を根拠に、それ以前の“戦時”に行われた裁判を「無かったこと」にできてしまう(ここで東京裁判が行われた昭和21〜23年を“戦時”と呼んだのは、ポツダム宣言を受諾した昭和20年8月15日は戦闘行為を停止した日であって、国際法上の戦争の終了は、平和条約が発効した同27年4月28日であるため)。

 しかしそれでは、せっかく日本を悪者に仕立て上げた東京裁判全てが無意味となり、延いては“戦犯”の汚名を着せた者たちを無罪放免にする理由を日本に与えてしまうことになる。これでは連合国(特にアメリカ)は困る。

 
 名誉回復は周知の事実
貴様に理念や信条はありや
貴様は何処の国の政治家だ
 だからこそ米国は、文脈によっては『裁判』とも訳せるjudgment を用いず、殆どの場合に於いて『判決』としか訳しようのない、複数形のSを付したjudgmentsを敢えて用いたのだ。それによって日本に『諸判決』を受け入れさせ、平和条約発効後も刑の執行を継続させることが目的だったのである。

 先述した西村条約局長の答弁は、当時の政府がこのことを正しく理解していたことを示す一つの証左である。

 また、我が国政府は昭和27年から同30年にかけて、戦争裁判受刑者の釈放を求める内容の決議を5回にわたって採択し、これを契機として赦免を求める署名が全国で集まり、その数は4,000万を超えた。これも、多くの為政者と国民が“戦犯”の名誉回復を願っていたことを端的に示していると言えよう。

 かくして終身禁固刑を宣告された賀屋興宣氏は後に法相に就任し、禁固7年を宣告された重光葵氏は副総理・外相を務め、我が国が国連加盟を承認された第11回国連総会(昭和31年)には代表として出席し演説した。為政者と国民の大多数が彼らを“戦犯”扱いしていれば、こうなるはずが無い。

 また、このような政府中枢への復帰に関して、米国を始めとする連合国からは反対や抗議は何一つ起こっていない。況してや中共にしてみれば、“戦犯”が国を代表し国連総会で演説するなど以ての外で徹底抗議する絶好の機会だったはずだが何もしなかった。つまり当時の中共は、これら受刑者が罪を償って名誉を回復したとする我が国の立場を認めていたことになる。

 それを今頃になって戦犯が云々、靖国がかんぬんというのだからその神経を疑う。

 兎も角も小泉首相には、「我が国に戦犯は存在しない」という正しい歴史認識に立脚し毅然と靖国神社に参拝して頂きたい。国家の為に殉じた者を国家が手厚く慰霊するのは当然のことなのだから。

 
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