一個人の為の土地緩和施策
関眞市長「小谷野君、大本君の件何とかしてくれんかね」
小谷野五雄県議「丸木先生、ひとつよろしくおねがいします」
丸木清浩理事長「土屋知事頼みましたぞ」
土屋義彦知事(当時)「その代わりと言っちゃなんだが、またアレ頼むよ」
 本紙5月号で、学校法人『埼玉医科大学』理事長埼玉県議丸木清浩を巡る告発文騒動についてお伝えした(詳細については、本紙5月号をご覧下さい)。

 噂によると、この告発文や本紙報道がキッカケとなったのか、今まさに、丸木理事長の足下から火の手が上がっているらしい。しかし敵も然る者、批判の矛先をかわすために、何の関係もない東博彦学長や「付属病院」の尾本良三院長、そして「総合医療センター」の飯沼壽孝センター長の首を挿げ替えてまで、火消しに躍起だそうだ。

 まあ本紙としても、燃えさかる火に敢えて油を注ぐつもりは更々ないが、読者諸兄の切なるご要望にお応えして「丸木・埼玉医大シリーズ」の第2弾をお届けしよう。

 さて、本稿で取り上げる話題は、丸木県議に纏(まつ)わる幾つかの噂話である。直接的に「丸木清浩」の名前は登場はしないが、その関与が密かに囁かれていたものを、2つご紹介したい。但し、これらは飽くまで噂話に過ぎない。残念ながら、確たる証拠がある訳ではないので、その点だけは予めご容赦願いたい。

 噂話、其の壱―「むさしの研究の里」は個人的な思惑の結晶?―

 埼玉医大の研究施設のひとつに『ゲノム医学研究センター』(日高市大字山根1397-1・村松正實所長)なるものがある。その名が示すとおり、昨今流行りの「遺伝子研究」を行なう施設らしいのだが、平成13年3月、私設の射撃場跡地に開設された。

 その射撃場の経営者というのが、本紙でも過去幾度となく取り上げたことがある、大本将太郎(西部金融社長)という男。関眞日高市長(この男も幾度なく取り上げた)と共謀して、川越市在住の未亡人から2,200坪余りの土地を騙し取った大悪党である。埼玉医大が如何なる経緯でこの土地を取得したかは知らないが、その取得方法は問題ではない。

 約1年か1年半前であったろうか、この大本の自宅(日高市大字旭ヶ丘56番地)が「整理回収機構」に差し押さえられ、競売に付されることとなった。それに呼応するかのように、平成15年8月、それまで単なる「市街化調整区域」だった大本の自宅周辺(旭ヶ丘地区の東側半分)が、突如として「むさしの研究の里」なる区域に指定されることとなった。この「むさしの研究の里」とは一体如何なるものなのか?

 答えは簡単、所謂「市街化調整区域の規制緩和」なのである。読者諸兄もご存知のように、市街化調整区域では特段の事例を除いて建築物の施工は許可されていない。ところが地方自治法に明記されている「総合振興計画」の「土地利用構想」に基づき、自治体が独自にこの手のエリア(自治体毎に名称は異なるが)を設定することで、それが可能となる。「むさしの研究の里」が埼玉県では最初の事例である。

 日高市「企画財政部企画課」の国分氏の説明によると、「むさしの研究の里」の区域内では、「製造、情報通信、卸売・小売、運輸業」の「工場、事務所、店舗、倉庫」の他、「サービス業の工場」も建築可能なのだそうだ。

 
 私利私欲で政治力発揮
 この規制緩和で一番得をしたのは一体誰か?それはこのエリアに土地を所有する地主達であろう。「市街化区域」と比較すると格段に低かったであろうその地価も、各種施設の建設が可能とあらば当然跳ね上がった筈だ。自宅の土地が競売されるという憂き目に遭っていた大本にとって、このことは正しく「天からの配剤」にも等しかったに違いない。

 しかし、それではあまりにも話が出来過ぎている。「大本の自宅の競売」そして「(大本の自宅がある)旭ヶ丘地区の規制緩和」、この2つの出来事の時期的な符合は、果たして単なる偶然の一致であろうか?

 少し話を元に戻そう。前述の「むさしの研究の里」構想は日高市の独断で行なわれた訳ではない。規制緩和を実施する上で、県の開発指導課(現在は県知事らしい)に申請を行い、「都市計画法」第34条8号4や「埼玉県都市計画法に基づく開発許可等の基準に関する条例」に基づく許可が必要となる。但し、申請したものが全て許可されるというものでもなく、それ相応の政治力が必要となってくる。その役目を担ったのが丸木県議であると言われている。

 では丸木県議は何故大本に手を貸したのか。

 実はこの件を丸木に依頼した人物がいる。その人物とは、これまた本紙で取り上げたことのある(前回は確か「女子高生買春疑惑」だった)、あの小谷野五雄埼玉県議である。

 大本と小谷野とは、日高市長選でお互い関眞を担いで以来の間柄。盟友関係と言っても良い程だ。また一方で、小谷野は言わずと知れた丸木県議の一の子分。可愛い子分のために一肌脱いだとしても不思議ではない。

 そして、丸木県議と土屋前知事の間柄については第1弾ですでに触れた。こう考えると、この「むさしの研究の里」が大本の個人的な思惑でスタートし、「大本」→「関」→「小谷野」→「丸木」→「土屋」という流れで実現した、という噂が満更信憑性がないとも言い切れないことが、読者諸兄にもよくよくお分かり頂けた筈だ。

 噂話、其の弐―2,000万円で排水の権利を買った?―

 これは其の壱にも関連する話なのだが、前出のゲノムセンターはこれまた市街化調整区域内に建てられたため(学校や研究施設は建設可能)、下水道が整備されていなかった。そこで同センターは施設から出る排水(汚水や雑排水など)をバキュームカーで処理場まで運び、そこで処理を施されたものを小畔川(こあぜがわ)に流していた。

 しかしこれは、昭和56年に日高市長(駒野前市長)と川越市長との間で結ばれた汚水に関する協定に明らかに違反するものだった。その協定の内容とは、「日高市は、下水道が整備されていない区域の汚水をバキュームカーで浄水場には持ち込まない」というもの。

 このヘンテコリンな協定が結ばれた背景には、両市の地理的関係がある。川越市にとって、日高市は小畔川の上流に位置する。つまりは「変なものを流してもらっては困る」という川越市の懸念から生まれた協定だったのである。

 
 寄付金という名の迷惑料?

 話はここからが本題である。この小畔川への排水開始の時期と前後して、埼玉医大から日高市に2,000万円もの大金が寄付された。その名目とは「地域振興協力金」

 「流石は埼玉医大、2,000万とは太っ腹!」と感激した市民も若干名はいたのかもしれないが、多くの市民は、特に議会関係者は首を捻った。日高市のある市議は、本紙の取材にこう語った。「ゲノムセンターがオープンする前に『これからお世話になります』って金を積むなら判りますけど、どう考えても時期的に合点が行きません」。

 金額的にも、2,000万円は大きすぎるという意見が大半だった。この種の寄付金では100万から200万が相場らしいのだ。別の市議は本紙の取材に「飽くまで地元の噂です」と前置きしながらも、こう語ってくれた。

 「元々ゲノムセンターは高麗川(こまがわ)に排水を流そうと計画していたらしいんです。ところが坂戸市の住民の反対に遭って、それがお流れになった。そこで関市長と相談して、仕方なく小畔川へ流す結果になった。
  しかしそれでは川越市との協定を破ることになりますから、日高市としてもそれ相応の見返りが欲しい。それが2,000万円の寄付だったという専らの噂です」。

 しかし結局のところ、日高市の協定違反も、「放射性排水を小畔川に流すな」という同川流域に住む川越市民の猛反対に遭い、敢え無く中止と相成った(実際に排水の中に放射性物質が含まれていたか否かは不明だが)。その後、ゲノムセンター周辺も下水道が整備され、この問題は終結している。

 さて、丸木県議に纏わる噂はこれだけでは終わらない。高麗川駅前の「日韓交流の塔」建立や、故岡村粲(あきら)県議夫人の病死の経緯など枚挙に暇がないが、紙面の都合上、次稿に譲るとしよう。
第3弾に乞うご期待。  
(つづく)

 
トップページ政治家一覧
©2005 敬天新聞社
info@keiten.net