日大瀬在総長宅に銃弾入り脅迫文が届いたらしい。
朝日新聞社のホームページに載ってたニュースが一番詳しいのでそれを掲載しよう。
―日本大学の瀬在幸安総長(73)の自宅と大学本部(東京都千代田区)に先月、脅迫文と銃弾のようなものが入った封書がそれぞれ郵送されていたことがわかった。警視庁は脅迫と銃刀法違反の疑いで捜査している。

 麹町署の調べでは、2通とも差出人は「英優会総本部」で、新宿区にある瀬在総長の自宅には11月27日に郵送された。「晩節を不名誉と血で汚すな」「辞職を勧める」などと書いてあった。銃弾のようなものは直径1センチ、長さ4センチの短銃用とみられ、実弾かどうか鑑定している。

 日大には11月11日、常務理事あてに届いた。同封されていた銃弾のようなものは瀬在総長あてとほぼ同じ大きさだったという。
 常務理事の脅迫文は11月下旬、朝日新聞社にも郵送されていた。差出人も同じで「命を大事にしろよ。防弾チョッキなど役に立たないよ」などとあった。

 日本大学の石井宏・広報部長は「本学に対する理不尽な行為に大変驚いている。日本大学としていかなる暴力にも屈しない意思を確認し、警察にすみやかな捜査をお願いしている」との談話を出した―
日大 瀬在総長

 はっは〜ん、なるほど、だから野崎はボディーガードを雇っていたのか。この事件によって、一介の私立大学理事が何者かに狙われている、もしくは恨みを買っているということが図らずも露呈した。

 しかし、いやそれならば尚更のこと、何故ヤクザでも大富豪でもない野崎が狙われるハメになったのか、その理由なり原因について監督官庁である文部省にも報告する必要があるし、大学の理事会でも事情を説明して、大学のカネでボディーガードを雇う事への了解をとるべきではないのか?
ということを本紙は問うているのだが…。

 表からは弁護士を使って屁理屈をこね、裏ではヤクザを使って話をつけようとする。野崎の態度は「誰かに狙われているけど、その理由を言うのはマズイ」ともとれる。

 そもそも、品行方正な筈の一介の大学理事が、なんで狙われるのかね?

武富士と山口組」という本が出た。私に対して武富士が6,000万払った、ということも書いてある。武富士の渉外担当にいた中川が持ち出した資料やメモ、その前の責任者であった藤川の裁判を基に書いてあるので、おそらく本当なのであろう。

全国的にCM放送は取り止めへ

 中には武富士に情報提供したり、ゴマを摺ったりして安い金を貰ってる人もいたりして、金の取り方で、その人や団体の姿の一部が垣間見えたりする。これだけ金銭の流れがハッキリ出てきたら、都合の悪い人や放っておけない人が相当出てくるのではないか。人間の嘘と欲望やあさましさと汚さ、が見事に出ている。

 今、私の手元にこの本の基になったと思われる資料の一部がある。高谷泰三氏が私を訪ねて来られた際に頂いたものだ。同氏は武富士が上場するのに最もネックとなった京都駅前の地上げを依頼された崇仁協議会の元会長で、武井氏が最初に会った人物だ。世間ではあまり知られていないが、武富士と崇仁協議会が協力して行った「同和地区」の地上げで7名の死者が出ているのである。この抗争事件は後々大変な問題へ発展するのであるが、すべては武富士の体質から起こった問題と言えよう。

 武井保雄という男、本当に嘘つきである。前言はひるがえす、約束は守らない、部下も信用しない。人を騙し、世間を欺いて1兆円を手に入れたかもしれんが、あの世に持って行けるわけでなし、この男間違いなく地獄に落ちるだろう。

 こんな会社を上場させていいのだろうか。人殺しを依頼した、と部下から訴えられ、報酬は終了後に値切りっぱなしで最後には「そんな話はなかった」と逃げる。どれだけのヤクザと右翼がこの男に翻弄されたのだろうか。こんなことを繰り返していたら、いずれどこからか矢が放たれるだろう。つくづくこの本を読んで武井という男はバカな男だと思った。

武富士の顧問弁護士の1人に前田というのがいた。武富士他一流企業の顧問をやっていたぐらいだから腕は優秀なのだろう。しかしこの男は武富士の顧問弁護士でありながら、利害関係で相手方になる崇仁協議会の代表の1人と組んで、両方から利益を取るという双方代理をやってのけるのである。ひらたくいえば必要以上の経費を武富士に出させ、崇仁協議会からバックを取るのである。或いは武富士から依頼された以外の部分を、武富士に内緒で武富士から預かった金で地上げし転売して、差益を崇仁協議会と分けたのである。

 この話はもう10年も前の話だから刑事罰的には時効だろうけど、こんな男が今ものうのうと弁護士活動をしているということが許せない。当時、崇仁協議会の幹部だった石高某が国税に提出した資料によると、前田弁護士が違法に得た金が33億あるという。京都地検に取り調べられた調書では「このお金は崇仁協議会から預かった金であって自分の金ではない」と言って横領罪から逃げながら、崇仁協議会には「自分の金だ」と言い張って返さないという。法律のプロだけに始末が悪い。東京にも西宮にも大邸宅を建て金貸しに預けた隠し財産も凄いらしい。警察や検察も手を出せないこんなクソ野郎には私が戦うしかないか。それとも今回の武富士騒動ではちょっと安めを売ったが、平成の仕置人「寺さん」に頼んで始末してもらうしかなかろう、寺ちゃん頼むぜ。

 暴力団、同和団体、警察官と7名の死者が出た裏でぬくぬくと儲けた武井、その武井を欺きぬけぬけと儲けた前田、2人とも時効を盾に逃げ切りを図ろうとしている。しかし、その一方でこの抗争で誤射された警察官の遺族が山口組渡辺芳則組長を「損害賠償」で訴え、先月、大阪高裁は、使用者責任を認める判決を出した。渡辺組長から見たら全く知らない子分の子分の子分にあたる立場の者が起こした事件だった。怒りと矛盾と迷惑千万。

盗聴エクスタシー
飼い犬に手を噛まれる、という言葉がある。一生懸命面倒見てきたのに裏切られた、という場合に使う。自分の器量のなさを棚に上げて相手ばかりを責め、しかも自分が上の立場に居た、ということを強調する時に得てして使う場合が多いのだが、実際はそうでない場合も結構多い。

 飼い犬ならまず面倒を見なきゃならない。食住からクソの世話まで。普段面倒を見ないでおいて、都合のいい時だけうちの犬です、と言えば犬だっていつか主人に噛みつくだろう。飼い犬も野に放たれればいずれ野犬になる。元々犬自体、野性の本能を持っているのだ。

 それを押さえるのが主人の器量なのだ。犬小屋を作ってあげて、3度の食事を与え、時にはシャンプーをしてあげたり、散歩もかかさない。もちろんトイレの掃除もしてあげる。これだけのことをしてあげれば、元々狂っていない限り、犬は主人に服従する。やることをやらなければ犬とて主人に噛みつくのは当たり前のことである。飼い犬に手を噛まれた、というのは恥ずかしいことである。仮に「いやあの犬は元から狂っていた。素質が悪すぎた」というなら、その犬と出会った時、その犬の本質を見極める洞察力がなかった、ということを露呈しているにすぎない。左様に「飼い犬に手を噛まれた」ということは、自分の恥を世間に晒しているようなもので、「私の無知、無力を笑って下さい」と言っているのと同じである。

 私は幸い犬にも、人にも「手を噛まれる」という経験はないのでそんな気持ちは理解できないが、第一、社員にさえ「飼い犬」などと思った事は一度もない。やはり、人に対して「飼い犬」などと表現すること自体が、本人の自惚れか、天にツバする行為に等しいのかもしれない。

名犬 リー君
うちのリー君(韓国の天然記念物、珍島犬)は知らない人が近づくとよく噛みつく。ガサ入れにきた警察官で何人か噛まれた人がいる。しつけたわけでもないのに何故かよく噛みつく。韓国を代表する犬だから、基本的に日本人が嫌いだろうか。うちの社員になったら、まずリー君から吠えられなくなったら社員として認められたことになる。

 ところで私もリー君に一度手を噛まれそうになったことがある。私が主人であることを知っているのにである。それは私がエサをあげて、追加のエサをあげようとした時、いきなり噛みついてきたのである。とっさに手を引いたので血豆で済んだが、動物の本能を思い知らされた。あとで、みんなに聴いたら全員経験がある、ということだった。エサを食べている時に近づくと、エサをとられると思い攻撃するのだそうだ。「米びつに手を突っ込まれたら怒る」のは犬も人も同じである。ということをリー君に教えられた。

 最近では少しでもリー君に理解して貰おうと日本人が作った表面だけ同じの安いキムチではなく、本場韓国のキムチを食べてリー君に近づき、人間同士なかなか日本人の良さを理解してもらえないのでまずは犬から、と日韓友好を始めている私の毎日である。

イスラム世界で自爆テロが多発している。この行為が宗教的なものか、政治的なものか、或いは家族愛的なものなのか、当事者でなければよくわからないところはあるが、強者に攻められて打つ手がなくなって、最後に使う手段が自爆テロに思える。

 無論、無辜の民を巻込む『無差別テロ』となると話は違うが、敵軍や敵国の首領を標的とした自爆テロには、何人たりとも容喙の余地などあるまい。
弱肉強食の人間動物の世界では、強者が正義という論理が一般的である。しかし弱者側にも正義はある。

 対等に戦う力がないからテロを行う、相手の弱い所を狙うのも戦略である。強者のいう「卑怯、卑劣」も余裕のない弱者から見れば、「ただ敵を倒す為の一念だけ」であって正当な戦い、いわゆる「聖戦」になるのである。

 神風特攻隊が日本人の誰からも愛されるように、自爆テロ者に対する称賛はイスラム社会から消えることはないだろう。強者は得てして弱者を力でねじ伏せようとするきらいがある。弱者には弱者の論理がある。命を賭して戦う姿には何人も犯し難い美しさと尊厳がある。
  「生きて恥をさらすより、死んで護国の鬼となる」
この気概こそ今の日本人に必要である。

今年も残り少なくなってきた。この歳になると1年が早くて仕方ない。振り返れば大した実績もなく今年もまた終ろうとしている。成長しているのか、衰退しているのか自分ではよくわからぬが、声を掛けて下さる方が増えてるということは多少は成長しているのかもしれぬ。

 何の業界でもそうだが、日本人の島国根性が成す業の中に「出る杭は打たれる」という言葉がある。勢いのある新人を素直に認めないということだろうが、それなら「出すぎた杭は打たれない」だろうと、一気に駆け抜けようと頑張ると「出すぎた杭は引っこ抜く」とばかり当局から厳しい洗礼を受けている。企業舎弟、経済ヤクザ、政治ゴロ、総会屋、右翼系恐喝屋、これらが私に命名された俗名であるが、成る程どれも当っている。

 しかし私は他人に批評される為に生きてる訳ではない。他人がどう評価しようが勝手だが、私は国士啓蒙運動家として信念を持ってこれからも生きていくつもりだ。来年も悪い奴等は徹底的に叩く。

 読者の皆様、今年も1年間、ご愛読有難うございました。来年もよろしくお願いします。

 
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