島原城はおどんが誇りばい
島原半島会の集い、という案内が来たので、毎年案内が来ている郷土の有馬会の集いが来年4月に合併を控えて早々と名称変更したんだなァ、と思いながら出席したら人数も多いし、顔ぶれも違うのでおかしいなァと思っていたら、島原半島16町村の集りだった。

 300人以上の集りで、会は盛会だったが、私などが一番若いくらいで、殆んど60代以上が中心という感じだった。どこの会も似たり寄ったりだろうが、同窓会や郷土会に出席する人達は多少なりとも経済的に余裕のある人がまず基本である。生活に追われている人はそれどころではないだろうし、第一自分のみじめな姿は、田舎の人や幼馴染だけには見られたくない、という心理がある。

 また、若い人達は田舎と都会を自由に行き来できるし、背中に負った責任がまだ軽く、いつでも、どこでも、誰とでも気軽に会えるから、そんな所に出席する気になれない。シャケと同様人間にも回帰本能があって、人生の先が見えて、枯れ始めると郷愁が出てくるのである。子供の頃の思い出が急激によみがえり友達に会いたくなったり恩師に会いたくなったりする。他人にも優しくできるようになる。都会に生活の基盤ができた人も急に田舎の墓参りがしたくなるのである。

 しかし現実には親が生きているうちはふる里に実家はあるが、親がいなくなれば他人である長男の嫁と家族が我が物顔で居座っていて帰る場所などないのである。

 来賓の一人がこの集いにぜひ若い人にも参加して貰いたい、と訴えていたが所詮無理だと思う(訴えること自体無駄ではないが)。

 無理に若い人を集めなくても40代、50代の人もチラホラいるし、そういう人達が中心になれば、あとは人生を悟り、味のある話のできる年令に達すれば絶え間なく集ってきますよ。

 おそらく参加者の人達は年々強くなる押さえ切れない郷愁を、年に一度のふる里会に出席することで、田舎に帰ったような擬似体験をされているのではなかろうか。

 この会に出席して35年ぶりに高校時代の先輩に会った。平野さん徳重さんという柔道部の先輩だったが、驚いたことに仕事先が、私の仕事場の一つである新宿だった。

 直ぐには思い出せなかったが、時間経過と共に35年前がさわやかに甦みがえってくるのは不思議である。私が元気な下級生だったから先輩方には多大な迷惑をかけたことだろう。この場を借りてお詫び申し上げたい。

 

▼先日サウナに行ったら、黒人がいた。茶色っぽい黒人だったのでアジア系黒人のようだった。

 黒人は基本的にリズム感や運動神経が優れている、という印象を私は持っている。スポーツ選手の一流選手は黒人が多いのを見ても分かる。走るのが速い、力が強い、筋肉の質が違う、尻がキュッと引き締まって持ち上がっている、チンポコがデカイ、という印象がある。

 現にトレーニングジムで一緒になってた黒人は異常に尻がデカく『おー、これが噂のホッテントット族だなァ』と中学時代社会で習った、尻に赤ちゃんを乗せて歩く程尻が突き出ているという種族を思い出して、一人ニンマリしたものだった。

 チンポコもデカイ。堂々として隠さない。敵ながらアッパレ、と思ったものだった。

 しかし先日見た黒人は少し違った。私は湯船の中からよーく観察した。どこから見ても尻が垂れている。年はまだ40代前なのにである。前もタオルで隠している。ひょっとしてと思ったら、予想通り前の方は並だった。『あぁ、黒人でも尻が垂れてる奴もいるんだなァ』と五十路を過ぎての新発見と相成った次第。

 
今年こそ8月15日に
胡錦濤氏
▼中国が小泉総理靖国神社参拝問題をことさら大げさに取り上げるのは、それそのものが本意ではない。昔は日本から金を取ることが目的だった。そしてその結果、日本のお陰様で経済的にも成長を遂げ、どうにか先進国のマネゴトができる位置に立てるようになった。

 それでも、今だに1年に2、3度は靖国問題を持ち出して、抗議のポーズを取る。永年の習慣というか、呪縛から解けきれない日本政府は、このたった一言の恫喝にかたまってしまう。

 そしてその真意の今は、東シナ海の資源開発や尖閣諸島の所有権を主張することが目的である。その腹がミエミエであるにもかかわらず、ミソクソ発言にしどろもどろする。終戦直後の敗戦国に発言力がないのは分かるが、もうあれから何年経っているのか、自国の犠牲者をお墓参りすることに対して何故外国から干渉され批判されなければならないのか。

 日本に文句を言う前に、自国民の生活の面倒くらい自国でみれるようになれ、と言いたい。日本での外国人の犯罪の大半は中国人である。それも異常な凶悪犯罪が多い。今まで日本では考えられなかったようなスケールである。しかも、戸籍のないような違法滞在者が次から次から密航してくる。

 自国が良くないから、外国へ出て行くのである。自国民も満足に飯を食わせれないような国が、どのツラさげてよその批判ができるのか、片腹痛いわ。

 
雅子妃殿下
▼日本はこれからも永遠に天皇制を続けていくべきである。いや続けていかねばならない。もし天皇制がなかったら、戦後これだけの成長はなかったろう。戦勝国におもちゃにされて四分五裂にされていた。

 日本国民の天皇陛下に対する忠誠は自分の命よりも重いと考えている、と感じたマッカーサーは、天皇の命を奪うこともできなかった。

 天皇制がなくなるとどうなるかというと、必ず、自分がなろうとするバカ者が現れ、戦乱の世になる。フセイン金正日の様な輩が出てくるのである。そして間違いなく独裁国家ができあがる。右だ左だ、前だ後ろだ、宗教だ、全く関係ない。ただの恐怖政治だけである。天皇御一家がおられるだけで、どれだけ我々が安心して暮らせることか。

 発展途上政府開発援助資金という名のODAの金が何故か開発がすでに終ってるような国へ今だに何百億と垂れ流れている。その何十分の一で済むと思うが、そんな金があったら皇族様の認定を昔のようにもっと増やし、天皇様や皇太子様の御公務を少し減らして差し上げたら如何だろうか。

 皇族をあまりに減らし過ぎた為、その負担が皺寄せとなって雅子妃殿下もお疲れになられているのではなかろうか。

 世界に類例のない天皇制を永久に残して、世界の平和願うのである。

 
「シルミド」で主役を演じた
ソル・ギョング
韓国映画『シルミド』を見た。35年前韓国は、北朝鮮が朴大統領暗殺未遂事件を起こしたことに対する報復として、死刑囚を軍隊教育・訓練し、暗殺者集団に仕立てあげ、北の首を取ることを計画した。

 しかし訓練が終わり、いざ実行となった時、北と南の微妙なバランスの中で計画は中止となり、政府は軍に対して、この暗殺者部隊の暗殺を命ずる。この暗殺者部隊が反乱を起こし、大統領に直訴を申し出る為、ソウルに向かい、途中で全員が自爆するのであるが、このストーリーを韓国政府は35年間、国民を欺き続け、「北のゲリラが韓国転覆を謀って攻め込んできた」と公表し、国民は長い間そう信じ込んできた。

 この映画が封切られてから、韓国政府はこの事実を認めたという。

 映画の中身も素晴らしかった。日本人が忘れたような物も、まだ韓国人は沢山持っていた。徴兵制が男の重さを守り続けてるのだろう。

 途上国は、得てして自国の恥部を隠そうとする。マスコミ統制、都合の悪いことは公表しない、嘘を発表する。代表例は北朝鮮である。世界中の誰もが知っている。それでも、直接関係なければ見て見ぬふりをする。我々はヨーロッパで何が起こってるかを詳しく知らないし、何か起こっても興味がない。対岸の火事なのである。北朝鮮の犯罪性も、ヨーロッパの人達には興味がなかろう。

 それを韓国は克服した。先進国へのパスポートを手に入れた、と言ってもよかろう。

 自由に発言できる国へ脱皮したのだ。ギョウザにゴミが入ってる話も国の信用にかかわる、という理由で昔なら隠したろう。一時的にはギョウザで信用を落とすかもしれないが、一新聞社のスクープとして真実を発表できる国になったとして、世界中から認められることになることの方がどれだけ大きいか分からない。韓国の勇気に拍手を送りたい。

 
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