▼最近、本紙が取材に動くと、行動する前から大弁護団を組んで、丁重ではあるが圧力を掛けてくる場合がよくある。中には冒頭から「当職等は民事介入暴力に反対する会に所属する…」と露骨に圧力を掛けてくる弁護士もいる。本紙が如何にも民事介入暴力の常習者の如くの扱いである。

 そりゃ時にはそういう時もあるが、基本的には相手に違法性や非があるから責めようとするのであって、何もしない人を苛める訳がない。このような弁護士に対して、私の姿勢はいつでも「どうぞご勝手に」である。こちらは相手の違法性を粛々と指摘し、猛省を促し、それなりの打撃を加えて、正常な状態に戻ればそれでよし。こちらでも、あちらでも違法をすれば捕まるのは当然である。相手の弁護士に言われなくても日本は法治国家であることを百も承知である。その上で「かくすれば かくするものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」と時々法を乗り越える時もある。

 一般的に、弁護士=弱い人の見方=正義、検察官=悪者をやっつける=正義、裁判官=公平公正な判断=正義、という風に思われ位置づけられてる中で、検察や裁判が完璧とは言えないが、弁護士の「金さえ貰えればどんな弁護も引き受ける」という姿勢も一般人からは理解ができない。最近はこういう弁護士が増えたのも事実だ。弁護士も所詮は職業であって、その人の人間性そのものではないからである。

 
これが理想の父娘像だ
▼アテネオリンピックが信じられない日本の大活躍のうちに終った。何故こんなメダル量産に繋がったのか不思議でしょうがない。女性陣の活躍に感謝するのは言うまでもないが、それにしても、である。

 日本人が勤勉で誠実で優秀なのは昔からよく知っていた(例えば日清、日露戦争に大勝利した)。しかし運動能力までこんなに才能があるとはいやはや本当に驚きである。渋谷辺りで見かけるバカ者が最近の若者の代表と思っていたから強く明るく礼儀正しい姿に感動のオンパレードだった。 

 どのメダリストも高橋尚子級の爽やかさを与えてくれたが、私が最も嬉しかったのはやっぱりレスリングの浜口京子親子である。子供をあれだけしっかりと叱り厳しい指導をする。泣きながら苦しい練習に耐え抜いていくが決して泣き言は言わない。ちょっと頭のおかしなおじさんのようなパフォーマンスを街中で人前でやったら、年頃の娘なら大抵は恥ずかしがって逃げ回る。

 それどころか最近の小娘は親に向かって「お父さんの入った後の湯には入りたくない。お父さん入った後のトイレは臭い。お父さんのパンツと一緒に洗わないで」と面と向かって言う。陰で聞こえないように言うならまだしも面と向かってである。大黒柱の父親を生ゴミか粗大ゴミと勘違いしているのである。まぁ、確かに臭くて汚いオヤジもいるが、それは他所のオヤジのことであって自分の親に向かってとんでもない、と思いながらも子供に親の威厳を見せられない男親の何と多いことか。

 「ばかものッ、ウンコは臭ければ臭いほど値打ちが有るんだ!」と怒鳴ることさえできずに、ついこないだまで「ダッコして」「オンブして」と飛び付いていた可愛いい娘が、何をどう間違えればこんな憎たらしい小娘に変身してしまうのかと嘆きながら、浜口親子に自分が出来なかった男親の理想をダブらせてしまうのである。

 体を張って戦う姿があの親子にはある。どちらも逃げない。一生懸命である。多分子供は親が自分を守ってくれる一生懸命の姿を見れば憎たらしい小娘にはならないのではないか、浜口親子を見ててつくづく思った次第である。

 メダルの大量生産でただ一つ嬉しくもあり寂しくもあったのが東京オリンピックでの活躍を抜いたこと。 

 戦後の貧しさから抜け出すため日本中が一致団結して「世界に日本の力を示そう」と頑張った東京オリンピック。代表になった選手もまた国の為、会社の為、母校の為と「私」を殺して臨んだ。その結果が国として勝ち得た最高の傑作と信じて疑わなかったし、永遠に破れないメダル数と思っていた。

 しかし、「国の為ではなく自分の為に」とか「楽しんできます」というのが主流になった昨今の若者がいとも簡単に記録を塗り替えてくれると、愛国主義より個人主義の方が才能が開花するのかなァー、ちょっと自説の自信に不安が過ぎったが、せめて金メダル数が同じでホッとした次第である。

 聖寿万歳!ニッポンバンザイ!

 
 南有馬町への緊急提言

▼今年の夏は父母の年忌法要(来月号に写真集掲載予定)もあって田舎でのんびりと過ごした。

 今、ふる里での話題はやっぱり合併問題である。どこも同じであるが、民意より政治の事情が優先する場合が多い。政治家の利権主義ばかりを責める人が多いが、よく考えると町民にも多いに責任はある。意見があればハッキリ言えばいいし、疑惑があれば質問すればいい。密室政治には風穴を開ければいい。とは言っても地縁、血縁、近所付き合い、友人、知人、先輩、後輩、同級生、幼なじみの集りで成り立つ、町民の立場、一挙手一投足が商売に響いてくるわけだから、せいぜい結果が出てしまってから、有力者に聞こえないような井戸端でピーチク、パーチク囁くのがやっとである。

 そういう意味では、先日の2町か8町かの選択において町が決めた2町に対して、「退職した公務員が中心」となって民意を問うた8町合併に向けての運動は立派だった。商売に左右されない生涯保障された年金生活者の立場とはいえ、町政に対抗することは勇気のいることである。その勝ち取った8町合併であるが、ここに来て、またぞろ暗礁に乗り上げる雲行きだそうである。

 合併の中心になってきた深江町の横田町長が合併協議会の議長を辞任したそうである。深江町民としては当初から島原市との合併が根強くあり(おそらく布津ぐらいまでは地理的に言っても島原市に入りたいと思う)、その民意に押されたのだろう。深江が抜ければバラバラになり、南有馬町は4町合併で動き出す恐れもある。あの時は2町か8町かの選択だったから8町を選んだ人が多かったが、4町か7町かとなればこれはまた判らない。何故なら加津佐から北有馬までは、奥は諏訪の池あたりでつながってるせいか、生活環境に比較的違和感がない。ところが西有家から向うはなんとなく生活流儀や文化意識、慣習等が違うように感じるのである(私が口加高校出身で西有家以西にあまり行ったことがない為、なじみが薄いせいかもしれない。しかし最近は帰省の度ジャスコやアムールに世話になっている)。

 一度4町で合併し、数年後に7町で合併し、10年後には島原半島全体で合併というのが、穏やかで無理のない合併ではないか、と考えている町民も意外と多いのである。町と町を境にして少しずつ微妙に住民の気質というものが違ってくるし、1町目(布津)と7町目(加津佐)では東京の下町(浅草を代表する江戸ッ子)と山の手(世田谷を代表するお嬢様気質)程の違いになるのである。

 しかし中央(東京)から見れば、長崎県はみんな同じに見えるし、それを適当な所で五把一絡げ十把一絡げでまとめても、その微妙な痛みは分からない。中央の押し付け政治もいけないが、変化を好まない国民性もある。私自身も何故日本中で合併するのかどんなメリットがあるのかよく知らないが、もう少し国民に合併の意義とメリットをわかりやすく説明すればもっとスムーズに行くような気がするのだが。

 それから合併を前に一番経済的に余力を持っているのが南有馬町だそうだが、合併を前に道路整備に力を入れて欲しい。国道からの入口は立派にできているのだが、だんだん先細りになり、いつの間にやら車がギリギリの道になっている。体育館から上の方への道などはもっと大きくして、岡からの道、白木野への道、砂原から登る道などに大きくつないで、両面通行が充分できる広さに確保しないとあまりにも中途半端すぎる。

また、道路に隣接した地主さん達も道路が走らなければ二束三文の只の山や畑にも拘らず、役所からの交渉が始まれば、急に「先祖代々の土地だから…」とゴネ得は止めて頂きたい。町の為に、町民の為に、ひいては町を訪れる人達の為に拡張分だけ町に売って協力すれば先祖も「いい事をした」と喜んでくれると思いますよ。

 どうしても捗らない場合は、この際買収の上限を決めて土建業者に地上げをやらせてみては?地上げした分の道路整備補装をその土建業者にやらせる、ということになればこの不景気の時代、みんな死に物狂いで頑張るのではなかろうか。よかったらこの地上げ、私がみんなまとめて受けてあげましょうか。そしたら町民念願の真砂への道も直ぐ拡げますよ。

 南有馬町で断トツの所得長者は日向海運という業者らしい。ここの社長の日向啓という男は町会議員も兼ねているらしいが、口癖は「俺はいつ議員を辞めても食うのには困らない」らしい。なら何故議員をやっているのか。多分議員は名誉職とでも思っているのだろう。こんなクソ野郎に投票した人はたまらない。社員や下請けさんは仕方なかろう。私はこういう踏ん反り返った奴を見ると石を投げたくなる。叩いてみたくなるのである。ホンダ自動車の運送がメーンらしいが、いい事ばかりが生涯続くものではない、ということを教えてあげたくなるのである。

 漁業組合の態度はおかしい。港を作って貰う時は国や県や町から補助金を貰うくせに、港の使用や海の権利については生活権と称して一般人に規制をかける。まァこの辺は一般使用者にもルールを守らない者がいるから、よく話し合いをすればいい。

 私が一番納得いかないのが、海岸線の砂浜を業者に売る権利だ。砂浜は海と同じ公共の物じゃないのか。海と一帯の筈だ。それを売り買いして誰かが儲けることが許されていいのか。町内の砂浜は殆んど売り尽くされ、その利益は漁業組合に入ったそうだが(契約の段階で当時の組合長に相当な裏金が流れたとの噂は絶えない)、それが何に使われたかは説明もなく、しかも大赤字だという。またその影響で、流れの早い宮崎の鼻あたりの堤防は地盤沈下を起こし始めているのである。

 いったい誰が責任を取るのか。海はみんなのものである。漁業組合という(制度を悪用した)美名の下にこうした無法を許してはならないのである。

 そこで中村塗装の元ちゃんがこのような暴挙・不正に待ったをかける為、「渚の管理人」として南有馬町の海岸線の安全と監視に立ち上がったのである。ぜひ町内の皆さん、個人・法人を問わず、元ちゃんの御支持、御支援をお願い申し上げます。

 
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