▼太陽が東から出て西に沈む、ということは子供のころから知っていたが、季節によって高さや出沈の位置が変わることを知らなかった。

 春彼岸、秋彼岸だけが真東から昇り、真西に沈むというより昼夜の時間が同じ日である、ということをテレビの解説がよく話をしている。

 東京の小さなアパートで生活していると、太陽が東から出て西に沈むという生活をなかなか味わえない。窓から射す太陽の光は一瞬であり、路地裏や軒下からのぞいて初めて見えるのである。社会人になると仕事に忙殺されて自然を味わう余裕がない。毎日太陽を浴び、雨にも恵まれ、風を感じていながら、ただ暑いとか寒いとか文句ばかり言って生きてきたような気がする。

 最近歳のせいか目覚めが早くなり、御来光に出会う機会が多くなったが、よくよく観察すると、出てくる位置と昇る高さが違うことにやっと気付いた次第である。

 よく訪ねる知り合いのマンションは、エレベーターを挟んで東側と西側に花壇があって、片や朝日が当たり片や夕陽が当たる位置にある。ところが、東側にある方は未だに緑真盛りの夏の雰囲気を醸しだしているが、西側にある方は葉がすっかり枯れ落ち晩秋を思わせる雰囲気である。距離にして5、6mで全くの同種類の芝木なのにである。

 実は私は、ひそかに東側の芝木を応援しているのである。東側の芝木に朝日が当たるのが夏の3ヶ月間ぐらいで、しかも朝の1時間だけなのである。それなのにしっかり根付き青い葉を繁々とたたえ、見る人に勇気を与えるのである。

 何故私が東側を応援するかというと、冬になると全く太陽が当たらなくなり、10階にあるその場所は風が強く1m四方に植えてある芝木の半分が根ごと飛ばされ、残りが必死にしがみつき瀕死の重傷を負い、どこから見てもなすすべのない状態で、会う度に同情し、もうこの木には来春はないだろうなぁーと思いながらの最初の出会いだったのである。

 それが、この夏のとある日の朝、偶然にも短い日射しが当たっているのに出会い、その朝日をみんなで分けあい、助けあっている姿を見て、ファンになったのである。

 片や西側の芝木は、2時すぎからたっぷりと日が沈むまで思いきり太陽を浴び悠々自適で生活し、12分に四季を味わいながら冬でも幸せそうなのが見てとれる。そんな去年の冬のアナタに出会えて、世の不条理(建物がこういう位置で建たなかったら、そんな場所に植えられさえしなかったら)を嘆いたのだが、たった少しの自然の恵みに不平も不満も言わず、越冬したその芝木に感動し、これから来る冬に備えて、何かしてあげられることはなかろうかと、芝木を見る度応援したくなるのである。

▼人間50を過ぎると、あっちこっちに金属疲労を起こす。髪や歯が抜け、目は霞み、腰まで痛くなり、10代から続いたモーニングアップもダウン症気味。

 外から段々美少年の面影が消えて行くのを肌で感じそれだけでも嫌になっていたのに、中性脂肪過多、糖尿の入り口、血圧が高いと成人常連病もお友達と言われ、内側からまで美少年の面影が遠ざかっているのである。ショック。

 そこで意を決して胃カメラを飲んだ、異常なし。次は大腸検査。何ッ、ケツの穴にカメラを入れる?女房にも見せたことの無いケツの穴を見せるの?まァ男の先生だからいいか、と思いながら検査前日、下剤を飲んで腹の中を綺麗にして、失礼があってはならぬと、普段やったことの無い朝シャンをして特に念入りにケツの回りをシャンプーして気合を入れて家を出た。

 病院へ着いたら看護婦さんが「検査前にこれを飲んで1回目のお通じが出たら、流さないで見せて下さい」と何事も無いような顔で言って1.8リットルも入った下剤水を私に渡した。

 「1回目のお通じが出たら」って、ひょっとして、要約すると「うんこが出たら」って意味?それを見せるの?子供の時、学校に検便を出したことはあるが、うんこを他人に見せるのは初めてである。それも失礼があってはならぬと朝シャンしていつもより綺麗に穴の回りを洗ってきたばかりなのに、これでは水の泡ではないか。1.8リットルの下剤水を1時間半も掛けて飲むのも容易ではない。

 しかも通い慣れた病院だから、看護婦さんとも顔馴染であり、普段は「可愛いね」とか軽口を叩くこともある。そんな人に女房にも見せたことのないうんこを見せ、洗ってもいないケツの穴を見せるのである。それに10代の頃のようなピチピチ、ツルツル、プリンとした美尻の面影も無い。

 ああ恥ずかし、と思いながら1回目が終了、恐る恐る「あの〜、すいません見て下さい」「ハ〜イ」と笑顔でうんこを見るなり「もう少しですね、2回目が出たら、また呼んで下さい」と言って何事もない顔して去って行った。

 えッ、見せるの、1回だけじゃなかったの?また?

 2回目。「すいませ〜ん」

 「だいぶ綺麗になりましたねー」。

 3回目。「もう大丈夫です。それでは始めますので検査室の方へどうぞ」。

 もう、この位の時間が経過すると、本人もまな板の鯉になり、看護婦さんとの信頼関係も芽生え、単なる医者と患者の関係になり、本来の目的の検査の方へ気持ちは集中するのである。

 斯くして、1人大騒ぎしながら腕のいい先生の技術もあって痛みもなく、大腸検査終了。

 やっと終わって帰ろうとしたら、看護婦さんが「ガスの出る薬を入れてありますのでトイレで出して行って下さい。カギは締めないで下さい」とまじめな顔でいう。

 うんこ見せて、ケツの穴見せて、屁までするの?

 トイレに入って屁をしていると今度は屁が止まらない。臭いはしないが音が出る、音が出る、というより出続けている。

 カギは締めるなと言ったが、いきなり開けるつもりだろうか。いや今出ているのは屁ではない。ガスだ。先生が検査のために外から故意に入れた空気か薬のせいだ。決して屁ではない。看護婦もそう言ってたではないか。いや、故意であろうが、外から無理に入れようが、一度体内に入って、そこから外に出る以上、全て屁と表現するのではないか。医療言葉でガスと言うが俗語ではやっぱり屁と言うのではないかと一人妄想しながらトイレを後にし、先生から検査結果の報告を受けた。

 朝会って3時間後には、いつもの冗談言える看護婦さんではなく、そこに居たのはしっかり尊敬と信頼に満ちた観音様のような看護婦さんだった。看護婦さんは本当に偉い。母親であり姉のような母性本能がないと、務まらない職業だとつくづく思い知らされた。男も入ったから、看護士というのか、地位保全の意味からいうのか知らないが、ああいう安心感は男にはできない技である。やっぱり女性の場合、看護婦さんの方が親しみがあっていい。

 今、世の中政治、経済、スポーツいろんな分野で世代交代が行われているが、1つには旧態依然の金属疲労や制度疲労がある。1つのことで成功するとそのやり方が全てに、永久に通用すると錯覚するのである。時代も常に流れ、世界も常に変わって行く。人も歳を刻んで行くのである。

 今回は、金属疲労の事実を突きつけられたショックと看護婦さんの職業の厳しさ、優しさ、を教えられた出来事でした。

 私自身もそろそろ現実を受け止め、いつまでも若くない、という自覚と切り替えが必要な歳になったということだろう。

 検査結果、異常なし。

 

▼先日、国士舘出身者のオリンピック出場記念祝賀会の案内を頂いたので出席したら、柔道部の小山先生を始め多くの先生方にお会いした。国士舘大学同窓会の和(かのう)会長からいつも案内を頂くのであるが、同窓会名簿に私の名が載っていたので、ひょっとして俺は中退ではなく卒業生かも、と喜んで大学の鈴木克彦君に問い合わせたら、「卒業名簿には載ってないみたいですね」とのこと。ガックリ。

 私は昭和45年度に体育学部に入学し、柔道部に在籍した。2年まで体育にいたが、ヤキの貰い過ぎで身体を壊し、再度2年から政経学部に転部した。そしてそのまま8年間在籍したのである。

 6年の時、1科目3単位だけになった時、学生監から「卒業した方がいいぞ」と言われたのだが、警備屋をやっていた手前、アルバイト学生を集めるには学生の方が都合がよい、という理由で卒業しなかった。

 社会に出て肩書きの重要性がわからなかったし、必要な職に就くこともないだろう、と甘く考えていたのである。

 以来、三十数年間、国士舘大学中退である。1ヶ月で辞めた人も、8年間通った人も卒業証書を貰わなければ中退である。

 しかし中退者の中にも国士舘を愛している人は沢山いる。世の中で活躍している人は沢山いる。基本的に同窓会は卒業生を中心に行われている。

 そこで第2同窓会ではないが、国士舘の卒業生は勿論、国士舘の門を一歩でも潜(くぐ)った者は全て同窓生として、ヤクザであろうが、右翼であろうが、警察だろうが、自衛隊だろうが、百姓も土方も、先物取引も訪問販売も、まさか共産党や泥棒や詐欺師はいないと思うが、この際前科者も構わない。

 とにかく出口まで届かなかったが、入り口を通った人は全て一同に会して旧交を暖めよう、ということを考えていたら、民族運動の重鎮で活躍中の藤元正義先輩が、全埼連の20周年でお会いした時、全く同じことを言われた。是非近日中に実現したいものである。

 祝賀会の会場でもめずらしい顔に出会った。府中で活躍中の島田ゲンちゃんである。もう二十数年も前になったが、私が30対1ぐらいで喧嘩をしたことがあって、その節は何かと心配をかけた。申し訳ない。

 その時、この喧嘩の仇を討ってくれたのが、新宿の加藤英幸先輩である。名前は知っていたが、まだ顔見知りではなかったにも拘わらず、後輩がやられた、というだけで義侠を売って頂いたのである。

 いつか恩返しを、と思っているのだが、未だに返すどころか、借りが増え続けている。私だけでなく、この先輩に恩を受けた人は多い。

 だからこの人はOBとして断トツの人気があるのである。

 
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