▼主役新聞の中島氏は勘違いしている。先日、地方新聞協会の55周年記念パーティーがあったが、まるで主役新聞のパーティーだった。自分一人が「主役」になって自分の個人的なスポンサーばかりを来賓席に招き、他の協会員に対する配慮が全くなかった。自分が会長になるにあたって、五味氏の独断や一人占めに不満な分子を集めて会長になったのではないのか。これでは全く同じ穴のむじなである。前にも書いたが、新聞のスタイルそのものはヨイショ記事の多い中島「主役」新聞より、攻める姿勢の五味「国会タイムス」新聞の方が好きである。最近ではめっきり新聞力が衰えたが、媚を売らない、力でねじ伏せる方法は今でこそ制度疲労が見えてきたが一世を風靡したのは事実だ。対して中島氏の記事は何を喰った、誰と飲んだ、誰と旅行した、何を買っただの自慢話ばっかり。仲間うちで飲んだ話はいいけど、業者や協力者は「あまりしつこく誘われるから、仕方なく内緒で行ってるだけ」という人もいるように、そういう人は新聞に写真を入れたり、名前を入れたりすると、本音は大変迷惑だそうだ。 先のパーティーの話に戻るが、来賓の挨拶をしたのが、私が常日頃から詐欺だと信じて疑わない先物取引業者から三貴の川路耕一、東京コムウェルの下山彌壽男の2名、いつもなら一番に駆けつけていた日大総長も、五味氏の事前のブラフが効いたのか出席なし。日大関係者も現役は少なかった。五味氏、大喜び。また司会者を多いに困らせたのは「駆けつける予定です」という国会議員の名前をわざわざ挙げて、十数名読み挙げさせたにも拘らず、いざ祝辞の段になると出席者は自民党の二階俊博議員1人で、それも挨拶を終えたら席にも着かず帰ってしまった。結局、来賓祝辞が足りず、共産党の都議だか区議だかまで引っ張り出す始末。余興に入ったら、いつもの昔のスターおばさん達やら先程の先物取引社長に感謝状だの副賞だのとか渡してたけど、司会の鈴木ヤスシ氏が思わず「これは役員会で決まったんですか、独断ですか」と中島氏に尋ねていたのが妙に受けていた。 鈴木氏は日大の後輩で五味氏と中島氏の日大争いに心を痛めている1人であり中立の立場であるが、長年の2人のパーティーの司会者にボランティアで参加してきた人である。その鈴木氏が我々に気配りしたのが「席」のことである。私は勝手連の光永勇氏と30分前に待ち合わせ会場に行ったが座る席がない。満杯で座る席がない、という意味でではなく、用意されてない、という意味である。だから私があわてて入り口附近の1テーブルを確保し、先ず光永氏と座った。左隣りに武道家の田中光四郎先生、その隣りが大地社の水谷会長。一誠会の渡辺会長も席がないというので声を掛けた。多分渡辺会長の呼びかけだろうと思うが、護国寺の住職もわざわざ水戸から駆けつけられたにも拘らず席がない。住職は90才を超えているのに誰も迎えようとしない。入り口に立っておられるのに気づいた渡辺会長が席に招いた。その隣りには協会員である国際新聞の楠本社主とその友人、そしてその隣りが、国際ジャーナリストの高木淳也氏である。
五味氏が一人で3,000名集めていたのとは、相当実力差がある。さすがに終ってから、みんなの冷たい視線が気になったのか、私の所へも次の日、朝8時すぎに電話があったようだが、寝ていて気づかなかった。10時すぎ、光永氏から電話があり、「白倉さんに前の方へどうぞと何度も誘ったんだけど、ここでいいよって、本人が言ったんだよ」だと。隣りにいた光永氏は全部聞こえているわけだし、五味氏の悪口以外、他の話は何もなかった、ことは光永氏が一番分かってたことだろうよ。後日、私に会った時の言い訳は「前の方に一つだけ席が空いていたんだけど、楽しそうにみんなと話してたから、一人だけ呼んだら悪いと思って、声をかけなかった」だと。取ってつけたような嘘と言い、後からグジュグジュ陰でグチグチ、こういう男は嫌だねー、寺ちゃん。
「九州人はいつまでも怒らんでよ」だと。冗談じゃない「九州人だから、なめられただけで怒るんだよ」まぁ、思い出せば、地方新聞協会の会長になった時の台詞、「裏では今まで通りの付き合いだけど、表向きは余り会えないから」。誰の御陰様と支援で会長になったか知らないけれど、この時から、その人となりは見切っていたけどね。 五味さんも俺が中島氏から多額の金を貰って五味糾弾記事を書いた、と世間に言ってるらしいけど、その考えを捨てなきゃ、中島氏との訴訟には勝てないよ。中島氏はそんな大金を出す男じゃない。何度か会ったことはあるが、帰りがけに「取材費」とか「車代」とかの名目で1万か2万あげるのが精一杯。それに「これはそこらへんでは手に入らない物だよ」と注釈がついて自民党のテレホンカードや小泉総理のストラップ(本当は自民党本部へ行けば売ってあるが)を付け加えてくれる、というのが彼のパターンで、一緒に食事したことのある人なら、誰でも一度は必ず経験あると思うよ。 上に立てば身に覚えのない者からでも攻められるのが世の定めなんですよ。五味先生も一時はブラック新聞人の富士山頂を極め360度の絶景を一人占めにし、我が世の春を謳歌した時代もあったが、その分、風は四方八方から吹き付けてくる。前から来る矢は受け止めれても、後から、斜めから、しかも突然不意討ち的に来る矢は、さすがの鉄人も予見不可能。しかも悲しいかな、生物である以上、人間は時と共に老いさらばえてゆく。いずれ交替の時機が誰にでもくるのである。誰のせいでもない、自然の摂理がそうなっているのである。五味先生の引退を早めたのが、切っ掛けは、私にあるのかもしれないが、中島氏にだって、私にだって男は引き際を間違えれば誰でも同じような結果が待っているのだ。だから日本人は男の人生感において、散り際の潔い桜に憧れるのである。 五味氏と中島氏の争いは20年以上も続いているそうだが、2人だけの喧嘩なら誰も迷惑しないのだろうが、お互いにそれなりに業界に影響力もある人だし、知らず知らずのうちに周囲を巻き込み困惑している人は多々いる。中島氏も、もう充分、仇討ちはしただろうし。登り坂の中島氏と下り坂の五味氏と今丁度均等な位置にいて、握手をするなら今が一番ベストだと思うのだが、どうだろうか。これ以上争えばお互いが落ちるだけで、共通する支援者も離れ、業界での影響力も増々低下すると思う。2人が底力のあるうちに手を握ることを期待します。皆さんが憂慮していますよ。 |
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▼今年もあと十数日で終ろうとしている。1年間を振り返れば人脈的な面で多少の成長の跡がある。何年か前の暮れの挨拶の時、昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日な訳で、時間が止まる訳じゃないから、12月31日から1月1日へ「年」が入れ替わっても何も変わらない、というようなことを書いた記憶がある。しかし今年は何故かそうは思わなくなった。 やっぱり「けじめ」は大切で、一つ一つの行事には必ず大切な意味が込められており、日本文化の重要な礎になっている、ということを恥ずかしながらこの歳にして気づいたのだろう。 暮れになると餅代、餅代と走り回り、結局最後まで空回りで、来年こそは暮れからゆっくり家族と温泉でも行って、と思いながらも現実にはまた今年も同じ年末を繰り返す。そういう年の瀬がもう10年も続いている。今年はいい年だった。経済的な面で成長の跡が伺える年だった。暮れから新年にかけてはギリシャからエジプトにかけて旅してきます。ってぐらい書けるようになりたいね。 何十回目かの「来年こそは」に賭けて、来年もがんばります。愛読者の皆様には1年間お世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。 |
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