▼先月末戸田市議会選挙があった。当社からも1人立候補した。33票の得票だった。

 立候補を許可するにあたって私の出した条件は媚を売るな、嘘を言うな、汚れた票は貰うな、だった。その結果が33票だった。それでも本人は150票ぐらいは行くと信じていたようだ。自分なりの手応えがあったのだろう。世の中そんなもんである。

 よく我々の所にマッチポンプ的に話を持って来て、必ず相手は私の所に相談に来るから、と言ってその筋書き通りに行った試しがない。大抵の場合、とんでもない方向に話は進むものである。

 植村も自分の日頃の付き合いや仕事の兼ね合いからこの位の票は、と計算したのだろう。投票率が47%というから、殆んど政治に関心のない人は投票所に行かなかったことになる。ということは当然組織票や町会代表や後援会を持っている人が強い。所謂地盤、看板、カバンという奴である。

 そんな中で自分の信条を述べ、媚を売らない、という言動は天にツバする行為に等しいのである。それでも敢えて、その姿勢を貫かせたのは議員になって、議会で物が言えなければ何の意味もないということである。

 今の議員達を見れば良くわかる。選挙期間中だけ媚を売る、当選したらふんぞり返る。選挙期間中は嘘だらけ、当選したら一切公約を守らない。汚れた票だろうが、腐った票だろうが、一票は一票と票集めのためなら信念も曲げる、というのが実態である。

 そんな苦労までして当選したのに肝心の議会では市長や先輩議員に遠慮して何も発言しない。何の為に市民から負託を受けたのかわからない。殆どが4年間、歳費を貰うだけで頭数としてしか能力がなく、ロクな仕事もせず、ボケーッと過ごしてるだけである。

 美人というだけで2,400票を取って断トツの1位だった斎藤直子という女性は、選挙運動は全くしなかったらしい。世間の噂では神保市長の愛人、という声が専らであるが、彼が県議の時からのウグイス嬢だったから、そんな噂が立つのか知らないが、そのうちしっかり裏を取ることにしよう。

 しかし戸田市民も一人ぐらい是々非々で善悪をハッキリ言える議員を当選させた方が議会もおもしろくなるし、風通しも良くなって政治が楽しくなった、と思うのに惜しいことをしたもんだ。

 今回立候補した植村は、若い時ラグビー全日本選抜強化指定選手に選ばれたこともあるスポーツマンである。市民の意見を取り上げ行政を監視するのが議会の重な役目というなら、植村は同和や福祉や保険に詳しく、通ればいい議員になったと思うが残念である。

 

▼何故最近、凶悪犯罪が増えたのだろう。4、50年前は1年に2、3回しか起こらなかったような事件が毎日起こるようになった。毎日殺人事件が起こっているのである。それも100年に一度も起こらなかったような田舎でさえ殺人事件が起こるのである。犯罪の根源に“貧”がある、と言われるが、昔より今の方が確実に物は豊富だし、貧乏人は少ない筈である。贅沢を望まなければ働き口も昔よりある筈である。それなのに何故だろう。アメリカ式自由、平等を強調するあまり家族の絆より個人のプライヴァシー、年功序列より実力主義、自分が中心の世界観等、他人に対する思いやり、我慢、また日本人として、男としてのプライド、そういったものが戦後のアメリカ教育で消えたのではないか。

 太平洋戦争の末期、コーデル・ハルは「日本をアジア解放に殉じた国と思わせてはならない」とルーズベルトに進言した。その結果日本は侵略戦争を仕掛けアジアを戦場と化し、残虐非道を働いた国、と近隣諸国に吹き込み、また日本人にも吹き込んだ。そのアメリカの策略をそのまま信じ、何十年も呪縛から逃れられないから、中国や韓国からの内政干渉にも毅然として応えられないのだ。たとえ戦争に負けても武士道精神や侍魂をひたすら武徳として学問の中心において学び続けてきたならば現在に於いてもこんなに犯罪は増えなかっただろう。

 日本の武徳の真の教えは責任を取ること、の一語に尽きるからである。「死んでお詫びをする」ということである。自分が犯罪を犯すことで、家族に迷惑が掛かる、妻や子供に迷惑が掛かる、家族の誰かが世間に対して責任を取ることになる、と深慮することになるのである。日本は60年前戦争当事者として、アメリカの政策の意図が読めなかった(渦巻きに巻き込まれた本人はその渦が大きいのか小さいのか自分では見えないが、外から見てる人はよく見える)。

 アフガニスタンやイラクでの戦争を見ていると、オサマ・ビンラーディンやフセインをただの盗賊に仕立てようとしているのが良くわかる。一歩間違えば、彼等を殉職者にしてしまうのだ。恐らく日本人の持つ天皇崇拝心、武徳の教え、殉国精神といったものを亡くす為に、相当な謀略を練ったことは今だから想像がつく。だからこそ南京虐殺や従軍慰安婦、靖国公式参拝等の「嘘」から日本国民は一日も早く目が覚めるべきである。

 またこの凶悪犯罪の対処であるが、緊急処置としては厳罰で臨むしか他に方法はない。

 心神喪失だとか心神耗弱とか、本当に身体の悪い人(弱い人)の為に救済措置としてある法律を逆手に取って、重い犯罪者に関しては直ぐ「精神鑑定」を唱える弁護士がいるが、もっと被害者の人権を考えた法律に移行すべきである。殺人にも色々あるが、基本的には一人殺せば死刑であるべきだ。

 安城市の1歳にもならない赤ちゃんを頭から包丁を突き刺し、アゴまで突き出たという惨い殺人事件。同窓会の帰りがけ、無免許、飲酒運転の男に四人も跳ね殺された事件といい、死んだ人達は帰らない。

 弱い人達に対する人権は有難いが、犯罪の罰則を厳しくする以外に犯罪撲滅の方法はないのだ。

 

▼私が自殺防止キャンペーンを始めてもう7年になるが、景気が一向に良くならない為、自殺者は依然として増え続けている。しかも働き盛りの自殺者が多い。

 私は死後の世界に地獄があるのか、そしてそこに閻魔大王様が住んでるのか知らないが、新橋での口上では「自ら命を絶つことは、あの世に行って、この世の長さで2兆9,000億年の長さを閻魔大王様と住むことになりますよ。この世で地獄を見て、またあの世で地獄を見ることはやめてください」と呼びかける。この最後の呼びかけの時、何か思い当たるのか年配者の中に足をピタリと止めて、こちらを振り向く人達がいる。

 「逃げる」と言ってしまえばそれまでだが、やはり責任の重さに耐えかねての結果なんだろう。責任の取り方は人それぞれに違う。

 自殺者が一番多いのは月曜日の午前中という統計が出ていたが、これは子供でも同じである。昔なら土曜日の午後ぐらいが一番楽しく、日曜日の夕方ぐらいまでなんとか楽しさが続き、夜になると月曜日のことが気になり出す。月曜日の朝になると、今日から一週間の勉強が始まると思えば憂鬱になる。午後になれば諦めと慣れが出てきてどうにか乗り切れる気持ちになってくる。好きな課目がある日は楽しい。

 全部大人に当てはまる。

 仕事がうまく行っている時は毎日出社が楽しいだろうし、ストレスも溜まらない。成績を伸ばせなかったり、対人関係がうまくいかなかったりすれば会社に行くのが恐くなる。月曜日恐怖症は自分で得意分野を作る、趣味的仕事をする、難しい仕事は水曜日あたりに持ってくる、とか工夫しないと永久になくならないと思う。

 ただ、金に追いかけられてる人は何とか言い訳をしながら週末を乗り切っても月曜日には言い訳がなくなるから、やっぱり月曜日恐怖症は永久になくならないだろう。

 大人の病気の95%はお金で治る、という年季の入った私の言葉にはさすが含蓄があるねー。

 
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