久間章生先生の国会議員在職25周年記念式典祝宴の招待状が来たので出席した。国会議員のパーティといえば金集めという印象があって何時も余り乗り気でないのが正直な感想だったが、久間先生のパーティだけは正直驚いた。

 まず出席者の人数が凄い。3,000人近い客がごった返して待ち合わせた者となかなか会えなかった。自由民主党の有名どころが殆ど来ていたし挨拶する先輩後輩も皆東大出である(久間先生が東大出だから当たり前か)。

 我々は東大出と聞くと、インテリでひ弱な人を想像するが、挨拶する人の話を聞いていると久間先生は生き方が正統派で体育会系っぽい人なのである。司会の人が中締めを指名して一区切りを付けようとしたら、「わざわざ田舎から来てくれた人もいるんだから、あと30分くらい延長してもいいじゃないか」と時間を延長して会場を2時間たっぷり廻り続け、会場全員の人と話しをされていた。あまり直接触れ合った事がなかったので良く知らなかったが人情味のある暖かい人なんだなー、と実感した。そういえば島原弁の抜けない朴訥とした人柄は何とも親しみがある。

 私が一番感心したのは料理の豪華さと量である。政治家のパーティといえば普通、乾杯が終って10分もすれば料理がなくなってしまうし、出席者も、もとより寄付だからそんなもんだと慣らされてしまっている。ところが今回の久間先生のパーティでは伊勢海老、鮑、鯛、牛ステーキ、天婦羅、寿司、蕎麦の高級品が2時間終了までたっぷり残っていた。出席客の喜ぶまいことか、全員が感心していた。

 会場は今一番人気のある東京タワープリンスホテルであることを考えると、2万円の会費では儲けは殆どなかったろう。あんな素晴らしいパーティならもっと周りに声を掛けるべきだったとつい独り言が出るくらい、素晴らしいパーティだった。私の知る限り、政治家のパーティでは最高だった。

 最近、不景気のせいもあるかも知れないけれど、あれだけの人数を集められる人もいなくなったし、あれだけ豪勢に料理を出せる人もいなくなった。あれだけの人を集められるということは、今の久間先生は相当な力があるということだろう。

 あのパーティを見ていたら、間違いなく諫早から諏訪の池まで高速道路が引ける実力がある、とみた。

 千々岩だか小浜だかの町長が反対してできないと聞いた事があったが、先生の『加津佐まで引く』の一言で決まるだろう。いつも田舎へ帰る度に「長崎空港からが遠い」のが気になっていて「諫早から諏訪の池まで高速道路があれば」と考え、何とかしたいとボヤーッと構想を練っていたが、先生のパーティに出席して確実に出来る自信が湧いてきた。田舎と東京から必要な声を形にして出していけば、必ず出来るだろう。そんな勇気を奮い立たせるような天晴れなパーティだった。

 
元オウム信者のバカ女が北朝鮮に亡命して帰ってきたらしい。誰が利用しているのか知らないが、何を言っているのか何を言いたいのか全く意味が解らない。こんなバカ女なんか無視した方がいい。

 この女は北朝鮮に亡命した当初から自分のヌードを日本の週刊誌に送りつけたり自分を操っている公安の男から逃げるため北朝鮮に来たとか、訳の解らない事を言ってた女だ。

 初めは北朝鮮も政治的に利用しようと思ったかもしれないが、取り調べているうちにバカでバカで疲れてしまって、利用するどころか手に負えなくなってしまって放り出した、というのが真相ではないのか。本人もタレントになりたい、とか言ってるぐらいだから、元々少しノータリンの女なのだろう。

 このバカ女で一儲けしようと企んだ男に「オウム信者だといえば話題性があるよ」と言われてオウムに入り、それで思ったより効果がなかった為、今度は「北朝鮮に行けば注目を浴びるよ」ぐらいに言われて行ったのではないか。その証拠にインタビュアーの質問に対して何も答えられない。

 あの「答えられない」は北朝鮮の口止め、という感じではなく単なるバカで質問の意味が解らない「答えられない」である。テレビも早くあの「答えられない」に気付いて、あんなバカ女は無視すべきである。あのバカ女に振り回されるマスコミを見て、反日国家は喜び、親日国家は憂慮しているのである。

 
▼連続テレビドラマというのは、恐らくここ20年くらい見ていないだろう。大人になると、毎週続けて見るというヒマが無いのである。1回だけで終るドラマなら見た事もあるかも知れないが、仕事や世間の付き合いの中で頭が一杯なのでボケーッと見ているせいか全く記憶に無い。主婦が夢中になるヨン様テレビも、子供達が夢中になるキムタクテレビも見た事が無い。大体、民間のテレビは自分達(出演者)ばかりが楽しんで、煩わしいばかりなのでニュース以外は殆ど見ない。

 何故か歳を重ねる毎にNHKを見る機会が多くなって来た。恐らく視聴者に気配りがあるのだろう。落ち着いていて見やすい、と思っているが、最近ちょっと気になる民放ドラマが出てきた。

 渡哲也主演の「熟年離婚(テレビ朝日)」だ。

 家族の為に一生懸命働いてきた(と思っていた)のに、退職を間近に控え、さぁこれから女房孝行してやろうと思っていた矢先に女房から『別れて下さい』と懇願され、『何故だ』とうろたえる夫。身につまされる話である。日頃、自分の道は正しいと思い込んでる男こそショックは大きかろう。

 最近は離婚も恥ずかしい事ではなくなったし、個人の権利を強調される時代になった。しかし現実になったら哀しいだろうなぁー。若く勢いのある頃ならともかく、何かをやり遂げ、仲間もいなくなって子供も成長し、これから夫婦水入らずでという時に、いうなら夕陽が沈みかけこれから家に帰ろうという時である。

 子供の頃夢中で友達と遊んでた夕暮れ時に、母親が「いつまで遊んでるの?もうご飯だよ、早く帰ってきなさい」といつも声を掛けてくれた。その帰る時間に誰も声を掛けてくれない。いや、帰ってくるなと言って闇の中に放り出されるようなものである。そんな気持ちがあったんなら、何故もっと早く言ってくれなかったんだ。そうすればもっと違う選択があった。何も夕方になって言い出さなくても…。

 我々も4時、5時に近くなった。生き方が似ているだけに、他人事ではないのである。

 沈みかけた美しい夕陽を思いながら、つい渡哲也になってみた。秋の夕陽はつるべ落とし、か。

 

▼お寺の力は偉大なものだとつくづく感じた。

 ある檀家さんで、いちいち寺のすることに反発して文句ばかり言う人がいた。勿論、他の檀家さんとも折り合いが悪く、評判も良くなかった。

 ところがある日、突然一人息子が亡くなった。息子は嫁を貰っていたが、その嫁とも折り合いが悪く、亡くなる直前、嫁も家を出て3人で暮らしていたのである。その直後の息子の死だった。その檀家は嘘のように人が変わり、毎日お寺に通い、自分の息子の位牌が置いてある位牌堂で泣き崩れ、お寺の掃除をするようになり、憎まれ口を叩いていた和尚さんを拝み、それを毎日続けるのである。

 先日お寺で、お十夜という行事があった時も夫婦で出掛け、玄関口で散らかっていた靴を並べ、雨が降って靴を入れるナイロン袋が散らかっていたら、一つ一つ丁寧に畳んで片付け、生仏様に変身したのである。

 自分の先祖供養を行ってもらうために、雨の中を約200人の人達が家を代表して集まってくる寺の力をまざまざと見せつけられた次第である。日本もまだまだ捨てたものじゃない。田舎ではこうして伝統を守っている人達がいるのである。

 
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