セコく陰湿な情報操作手口 | ||
この為、田淵氏としては現在の“立場”を安定させる為に洋々会の強化は、何が何でも成さねばならない訳である。 つまり、洋々会とは「常務理事・田淵の立場を守る会」(本件、告発者A氏)で、田淵氏が常々「70歳まで常務理事をする」(同)と公言している“根拠”はここにある。 しかし当然ながらこんな組織に対して反発も多い。 「校友会の会長以下、常任委員長や常任委員の大半が洋々会の会員です。つまり校友会が一会派である洋々会に牛耳られた格好なのです。校友会の私物化です。 例えば、同会が発行している刊行物に『洋々会報』というのがあります。これは大学の重要課題等の情報を地方に提供したりしている。本来、こうした広報活動は校友会の本部が担う物です。明らかに分派活動です。この裏返しとして、地方には洋々会を賛辞する情報ばかりが流れるのです」 そこには言わば田淵常務理事の“情報操作”があると言うのだ。 |
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深谷元衆議との深い仲 | ||
「千葉県の支部長が『一体洋々会と言うのは何だ!』と、強烈な質問をした。ところが、校友会側(会長、副会長)は、まともな答えを返せなかった。進行役がその場は何とかとりなしたと言う形でした」(A氏) これまでの連載でレポートした様に、田淵常務理事の学内での“専横”振りを示すエピソードには事欠かない。最近では、前号で報じた深谷隆司元衆院議員を客員教授として招聘した一件だ。OBのU氏がこう疑問をぶつける。 「田淵は恰も“専横事項”を処理するかの様に、殆ど独断で深谷を客員教授に決定した。これを疑問視しない理事会も問題です」 この様に重要案件が、田淵常務理事の独断で成される事自体を問題視しているのだ。 ところがこんな声をよそに田淵常務理事は“問題”の深谷氏を次期理事長に据えると言う、遠大なるシナリオを用意している、と推測する向きが多い。 それを述べる前に、田淵氏と深谷氏が何故、これ程迄に太いパイプで結ばれているのか。 「田淵と深谷とは、以前から交友があったようです。それで、田淵は深谷に大学の校地不足に関わる“工業等制限法”の解除を陳情したのです。これに対して、深谷はその為に熱心に尽力してくれた。この時以来、更に親密になった。 だから深谷を客員教授に招聘する際も、田淵は、この問題で深谷には大変世話になったと再三強調していた」(田淵氏を良く知る人物) |
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次期理事長も俺が決める! | ||
工業等制限法とは、元々首都圏(及び近畿圏)への産業及び人口の過度の集中を防止する事を目的に制定(昭和34年)された省令(平成14年度廃止)。これが大学にも適用されていた。
ごく簡単に言うと『制限区域内に於ける人口の集中に伴う弊害を著しく助長しない新増設』が認可基準の条件。大学の場合は1,500平方メートルの教室が基準面積となっていた。文京区という首都圏に位置する東洋大学は、当然その制限を受けていた。 国会議員への請願に対して、その為に国会議員が動く――よく見られるパターンだが、其処には“収賄”という危なさが付き纏う。 何れにしても、深谷氏の東洋大学大学院の客員教授就任は、田淵氏自らが述べている通り、深谷氏の恩義に田淵氏が返礼した、と見て間違いない。 「これは深谷を次期理事長に据えるという田淵が打った布石です。兎に角、田淵は自分自身、理事長には成りたくないのです。何しろ70歳まで常務理事をやると言っているのですから。今後、東洋大学には小石川司法研修所跡地の開発等、巨大な利権が発生します。 その為にも、理事長に成らずに現在の侭の立場で、陰で操っている方が都合が良い。そうすれば塩川の様に、深谷が後ろ盾になってくれる、と言う思惑があるのです」(OBのU氏) 田淵常務理事の恐るべき深謀遠慮――そこには、これからも“影の理事長”として君臨すると言う強烈な意思が伝わってくる。 |
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女上司は許さん(弱きは挫け) | ||
田淵常務理事の学内に於ける“専横”振りを示すエピソードには事欠かないと前述したが、今でも語り草になっているのが、この神田学長に関する事だ。 前出のOB、A氏の述懐である。 「神田学長に、悉く反発したのが田淵です。その任期中、田淵は学長を無視するばかりでなく、人格をも貶め、業務を妨害する行為を繰り返していた。それは、目を覆うばかりの“嫌がらせ”だった。 こんな事がありました。神田学長が就任した際に、学長を囲んで校友会会長、理事長、常務理事らが出席する座談会を、校友会が企画しました。ところが田淵だけが『座談会に出席すると、神田学長を認めた事になる』として出席を拒んだのです。この為、座談会は中止となりました」 大学の経営を担う常務理事の行動とは思えない、全く大人気のないエピソードだ。しかし、其処には「自分が認めた人物以外認めない」あるいは「自らの息の掛った学長でないと承認しない」という田淵ならではの論理が透けて見える。 こうした田淵氏の非常識な振る舞いは、神田学長が再選に向けて立候補したとき(平成15年)頂点に達したと言う。学長選挙への露骨な介入だ。「神田氏支持の複数の発起人(教員)と密かに接触して、その切り崩し工作を展開したのです。一方、職員の有権者には、人事権を振り翳し、田淵派が推す候補者への投票を強制したのです」 この田淵氏の強引な手口によって、女性初の学長の2期目は叶わなかったのだった。実はこの3年前、東洋大学内では同じ光景が展開されていた。それは、神田氏が初めて立候補した平成12年の学長選である。「何としても自分の推した候補に投票するよう、なり振り構わず動いたのです。しかし、この時は田淵による学内支配に危機感を持った良識派が立ち上がり、職員達から神田支持を取り付けたので、女性初の学長の誕生となったのです」(A氏) |
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強まる田淵の独裁恐怖政治 | ||
この学長選で敗れたのが現理事長の菅野卓雄氏というが、「これが田淵の凄いところだ」と、A氏が続ける。 「田淵は学長選に敗れた菅野氏を、新理事長に据えたのです。これは塩川(前理事長)の“命令”との話もありますが、何れにしても田淵がやった人事です」 話を平成15年の学長選に戻す。 その前の選挙で一敗地に塗れた田淵氏のリベンジに向けて、猛烈な運動を展開する姿がリアルに想像出来る。それは、取りも直さず自分の“立場”を死守する戦いだからだ。 何れにしても、神田氏の再選が無かったのだから、現在の学長は「田淵が作った」(A氏)形だ。 勢い、「田淵常務理事には頭が上がらない」(同)と言う事になる。 学長だけではない。現理事長は前述した経緯で就任したのだから同じ構図だ。 まだある。A氏が語る。 「田淵の神田支持派の切り崩しによる“転向組”が複数います。その代表がAとNです。A等はその論功行賞で、常務理事(同大学では常務理事は3人)に就任した」(本記事のコメントに登場するA氏とは別人) 逆もある。前述した神田支持(平成12年の学長選挙)を取り付けた人物は、徹底的に干されているという。即ち、現在の東洋大学の体制は、正に田淵支配になっているのである。 |
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