震災を票に有効利用?
なりふり構わぬ媚と根回しで現在の地位をつかんだ田淵君
 「一言で言うと、気が小さくてケチで欲深な男。他の人が素晴らしい提案をしたならば、終始妨害する。自分が主導しないと、面白くないんでしょうね」

 編集部にこんな内容の電話が寄せられた。声の主は東洋大学OB。そして、これほどまでに悪態をつかれた人物は“もちろん”東洋大学の田淵常務理事だ。

 「利権のすべてを一人で抱え込むようにするから、側近に対しても結構、冷たいところがある。悪ならワルの“仁義”があるはずだ」

 と、最後にこう言い放ち電話は切れた。

 なんともボロクソに評されている田淵常務理事だが似たような声は取材の過程で、随所で聞かされたものだった。

 その田淵常務理事は、本年2月、学長と共にアメリカにある国連本部に行ったという。

 「あの新潟地震で大きな被害を受けた山古志村の村長が東洋大学出身なのです。そんなことからか、何でも地震の災害に関する案件で出向いたと聞いています」(大学関係者)

 アメリカ―国連とは田淵常務理事の“実力”のほどを示す話だが、あるOBは田淵常務理事のその“心”を指摘する。

 「田淵は地震などの専門家でもなく、その分野は全く明るくない。学長は工学部出身で、それ相当の知識はありますので、無理やり同行したんじゃないですか。地方の校友会向けのパフォーマンスですよ。ハクをつけるためですよ。そんな男なんです。田淵は」

 
 代議員を掌握 大学を牛耳る

 校友会――これは田淵常務理事の権力を語る時のキーワードだ。全国に60の支部をもつ東洋大学の校友会は、同大学卒業生の親睦団体で、176名の代議員がいるという。

 この代議員が20名の評議員を選ぶ有権者だ。で、この選ばれた評議員の中から理事を選出、そして理事が校友会代表としての常務理事を決める。

 こうした理事決定に至る過程での“元”となる校友会を牛耳っているのが、再三指摘している田淵常務理事の巨大組織「洋々会」なのである。

 つまり大学校友会は、田淵常務理事の意の侭になるという構図であり、田淵氏が「70歳まで常務理事をする」(関係者)と豪語できる所以だ。逆に、東洋大学の評議会や理事会は、全く機能していない、という根拠でもある。

 だからこそ田淵常務理事は、校友会を重んじ常日頃校友会の“地方回り”に精を出しているのである。

 「その行動はまるで政治家です。田淵氏は代議員を選挙民とみなしています。代議員を手の内に入れておけば、常務理事の座は安泰です。選挙の際には全国を20ブロックに分け、それぞれ洋々会のメンバーに評議員に立候補するよう促すのです。

 今回のアメリカ行きも田淵の心底はみえみえです。それを吹聴して地方の校友会に『大学は田淵さんでもっている』と、印象付けるわけです。つまり優しくマインドコントロールしているようなものなのです」(ある東洋大学OB)

 
 無節操な塩川迎合

 “政治家”田淵氏の真骨頂という話だが、政治家といえば田淵氏との関係で忘れてはいけないのが、前財務大臣の塩川正十郎・現大学総長だ。

 東洋大学OBのA氏が語る。

 「田淵は塩川をオヤジという程に親密です。校友会などには『俺が塩川を理事長に引っ張ってきた』と言っていますが、これはウソです。もともと虚言癖のある男なんです。が、とにかく塩川の腰巾着。

 一例を引くとこんな調子です。例の板倉校舎進出問題ですが、実は当初田淵は反対派だったんです。ところが、塩川が強引に推進する意向を示した為、一転して賛成の急先鋒に主旨替えしたのです。本人は反対していたことを決して認めませんが、これは評議会の議事録にはっきり載っています」

 結局、田淵常務理事の権力の源泉は先の校友会と塩川総長の威光なのである。

 
 これが文科省への告発文だ

 一連の田淵常務理事の疑惑を、大学を所管する文部科学省に告発する動きがある事を先月号で触れたが、遂に告発文が送付された。告発したのは同大学校友会城北支部の代議員U氏。

 同氏は、これまで田淵常務理事の様々な疑惑について糾弾し続けてきたが、田淵氏からは、それに対する“まとも”な回答がなかったという。

 このためU氏の大学正常化への思いが、文科省に告発するという形で現れたわけだが、ここでその一部を掲載する。

 それは『東洋大学独裁常務理事への厳しい指導・監督を要請する』というタイトルの物で、当然、実名の署名入り文章だ(なお、文章はほぼ原文のままだが、一部、編集部で直した)。

 〈私は東洋大学校友会側172名の代議員の一人であります。表題に挙げた常務理事田淵順一氏も校友会が選出した評議員であり、互選により理事となり更に推挙を受けて常務理事となり、法人経営4期目に突入した長期体制を継続中であります。(この間、自らの多選を可能にする為、常務理事2期を限度とした制限規定も理事会・評議委員会を操り変更させています)

 私はこの間、田淵常務理事の起こした数々のスキャンダルと金銭疑惑を、また法人運営に対し、早急な改革の必要を感じ、貴省に指導・改善を強く要望するものであります。

 同封した文書は、この田淵常務理事の巧妙かつ悪質な手段により、校友会の選挙権を持った代議員の取り込みや、法人トップとしての自覚と責任を欠いた状態を指摘したものであり、まさに独裁者と形容する他ありません。

 今や田淵常務理事がオーナーとなる『洋々会』と称するグループを作り、翼賛体制を背景に大学の財政・人事から教職員・校友会へと権力を拡げ学内完全制圧を行っております。自己の方針に反対する者は敵対者とみなし、徹底的に弾圧・排除・左遷、或いは悪人と称して猛烈な批判を加えて退けてしまうのです。かつての東海大学、帝京大学、あるいは近畿大学のような創設者でもないのに、ある面ではよくぞここまで権力を掌握したかと驚くばかりです。〉

 
 悪条件取引に唯々諾々
大学管財部田淵から請負業者社長田淵に発注(豊島区駒込1-31-8)
 洋々会を背景とした田淵常務理事の独裁ぶりを具体的に指摘した後、告発文は東洋大学“最大の闇”板倉進出問題へと続く。

〈こうした中で、私は特に東洋大学板倉校地の問題について留意して頂きたく、幾つかの問題点を指摘しておきたいと思います。

 板倉校舎開設以前、本学は設置基準に抵触する校地不足(約2万坪程)状態と工業制限法による教育施設の不足状態を解消する事が緊急の課題でありました。この為、法人として財務担当を中心に校地を物色しておりました。

 こうした最中、塩川正十郎理事長在任(1988年より就任)の間に、群馬県板倉の10万坪に及ぶ校地の誘致運動が展開されておりました。

 特に塩川理事長が就任以前から親交があったと言われる小寺群馬知事から勧誘を受けたのでありますが、本来の誘致型とは自治体が校地と施設を無償で提供しそれを受けて大学が進出するものであります。

 しかしながら、本学の場合、小寺知事との間で不明朗な取引が図られたといわれ、校地も施設も大学が負担する自己資金で建設する事になったのであります。仮に百歩譲ったとしても、購入する校地は、整地を必要としない状態で引き渡す事を事前に契約条件にすべきでした。群馬県側に整地代を何故負担させなかったのか全く理解できません。

 当時、県及び板倉町の勧誘により、20ほどの大学が現地を下見に訪れましたが、周囲の環境が余りに閑散、交通の便も悪く、更に地質の劣悪等、大学用地として不適格と判断し、悉く断念しております。このような誘致型ではなく、単に本学に進出、開設を勧誘しただけであり、全く承服できないものでした。

 これを強引に決定に持ち込んだ人物が、当時の塩川理事長と田淵常務理事、張替現理事であり、菅沼晃元学長(現校友会長)を始め経済学部教授会など、多くの大学関係者、有識者の反対を無視し、更に当時の理事会、評議委員会を塩川、田淵両氏が「金は俺が作るから心配するな」と半ば欺き、また恫喝を加えるような形で押し切り、板倉進出を決定した経緯があったのです。

 しかし、校地不足は2万坪であったにも拘らず、充分な調査(不良地、湿地帯しかも湧水池を含む荒地)もせず、不必要かつ杜撰な購入決定であったと言わざるを得ません。この板倉に生命科学部と国際地域学部を開設したのですが、全くの失敗となりました

 
 「50億の学部」を気軽に撤退
悪い奴と関わったばかりに…というか、あんた黒幕?
 小寺群馬知事との不明瞭な取引は、あったろうがなかったろうが過去の事であり今更どうしようもない。心配すべきはその後の事。つまり生命科学部と国際地域学部は現在、経営上失敗している。

 この2学部は総額50億円をかけた大プロジェクトの中でメインのソフト部分である。この2学部が撤退するという事は即ち板倉校舎が廃墟と化す、という事である。

 恐ろしい事に、田淵常務理事は今、この2学部を移転させようとしているのである。

 次回は、この告発文の後半部分、プロジェクトに関する田淵・塩川ペアの杜撰な経営計画の全貌と、今まで知らされなかった東洋大学の実態をお知らせする。
〔以下次号〕

 
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