行列の出来るラーメン店、大勝軒と田淵常務の関係

 つけ麺の創始者で知られるラーメンの老舗、東池袋「大勝軒」の山岸一雄が今年3月20日に店を閉めて話題となった。24時間テレビでは弟子を引き連れて出演し番組の一コマを盛り上げてくれた。今や知る人ぞ知るラーメン界のカリスマ的存在と言えよう。

 そんな山岸氏が9月6日オープンした「大勝軒阿佐ヶ谷店」の出店を巡って阿佐ヶ谷店オーナーと揉めに揉めているという。中野「大勝軒」を創った坂口正安氏の計らいで山岸氏が最初に下積みをしたのが阿佐ヶ谷「栄楽」で、その系列・阿佐ヶ谷「丸長」を樽沢氏が現在も営業しており、黙って大勝軒の暖簾を出すことは、絶対にあってはならない不義理な行為である。それを「丸長」樽沢氏はおろか、山岸氏にも相談無く出店してしまったのだという。

 山岸氏から「暖簾分け」した者は、東池袋大勝軒あるいは山岸大勝軒の系列と呼ばれるが、それは本家坂口正安氏の中野大勝軒から独立して東池袋に出店した山岸氏が独自に「つけ麺」を考案し、その名を全国に広めたことからである。阿佐ヶ谷店も一応は山岸氏から暖簾分けを許された上野・神田大勝軒の系列店であるから「東池袋系」なので、山岸氏は自分自身が坂口「大勝軒」や樽沢「丸長」に唾を吐くことにもなりうるので阿佐ヶ谷出店を何としても阻止せねばならないのである。しかし、阿佐ヶ谷店は全く聞く耳を持たずオープンしてしまったのだ。普通の師弟関係ではありえないことであるが、いったいどうしてこんな事態になったのであろうか?

 ラーメン人生の大半を山岸氏の下で仕え東池袋大勝軒本店店長を務めた柴木氏によれば、今や大勝軒の暖簾は全国に数百店舗を数えるが、その全ての店が厳しい修行を何年も重ねたうえで暖簾分けを許された店ではないのだという。一般的に「暖簾分け」と言えば、何年も師匠に仕えて伝統の「味」と「心」を継承するに相応しいと、やっと認められて独立を許されるものだと解釈されていると思うのだが、柴木氏の話によると、ご自身は十数年仕えたが東池袋大勝軒で何年も修行した者など見たことが無いのだという。

 二年ほど前、東洋大学の学食に大勝軒がオープンし話題となったが、この店の出店を許された板垣量彦は東池袋店の単なる常連客で修行もしていないのに金で暖簾分けを許されたとの怪文書がばら撒かれ、それを裏付けるように「味」の不評が相次ぎ、看板商品のつけ麺までもがメニューから消え去り、何時の間にか閉店してしまった。この東洋大学大勝軒の板垣が神田・上野大勝軒を出店した男である。

 山岸氏によれば、板垣は常連客で何十年も通ってくれた常連客で、付き合いも深く信頼しており、あるとき大勝軒の店を持ちたいと相談されたので「ちゃんと東池袋店で修行した者を店に置く」という条件の下に出店を許したのだという。当時の怪文書について「金を貰って暖簾を分けたと中傷されたが、絶対にそんなことは無い」と全面否定している。

 内情を良く知る柴木氏は「金を貰ったところを見たわけではないから何とも言えないが火のないところに煙は立たないのでは」と濁しつつ「金で買おうが、何日弟子入りしようが、マスター(山岸)が「良し」とすればそれでいいんじゃないか」と山岸流の暖簾分けを冷めた口調で語った。真面目に何年も山岸を師匠と仰ぎ仕えた者から見れば、数ヶ月で独立していく若者達に物言いたいのも無理無かろう。怪文書の主は誰だかわからないが、板垣のように修行もしないで次々に出店していくような輩は、金で暖簾を買ったのではないかと疑念を抱くのも無理は無い。

 何年か仕えさせて修行させることは、信用できる人間かどうかを見極めて、その店の「味」を継承させる上で重要な意味を持っていると思う。修行をしていない板垣は上野・神田出店以降、新宿小滝橋通りや東洋大学に出店させては潰している。大勝軒の看板は継承しても「味」や「心」までは継承できなかったのだろう。山岸氏は東池袋の店を閉めた後に小森美加という女性を板垣から紹介されている。板垣は田舎の新潟に帰って衆議院議員を目指すことにしたから、大勝軒の経営を小森女史に任せると説明したそうである。この時、人の良い山岸は板垣の言うことだからと受入れて上げたのだと言う。

 しかし、数ヶ月たったある日、板垣が阿佐ヶ谷に出店すると聞きつけ、板垣に説明を求めようとしたが、既に板垣は行方をくらまし、鰍jSO代表取締役・小森美加がオーナーとなって工事を進めていた。鰍jSO関係者に板垣のことを聞いたが既に大勝軒の営業権利を譲り、退職したから何処にいるのかわからないというのである。しかし、師匠が出すなと言って話し合いを求めているのに、責任の所在を煙に巻いてオープンしてしまう小森女史も如何なものかな。

 阿佐ヶ谷店の統括部長を名乗るアライくんが、この店は小森の店だというから、間違いないのだろうけど店先のお祝いの花輪に小森美加って書いてあったけど何故だろう?自分の店に自分でお祝い贈ったりはしないと思うのだが。小森女史は各地で著名な大学教授と共に食の安全や健康などの講義している先生であると聞くが、人に講義をたれる割には道義を欠いてはいませんか?

 現在、上野大勝軒店長はピンクのユニホームが良く似合う「店長になってまだ2ヶ月なので経営者が誰なのかも解りませーん」という女の子で、神田の店長は山岸の店に僅か一ヶ月務めた経験があるという若者である。それでも山岸が「良し」と言えば「大勝軒」なのであろう。そんな店の行列に並んで「ついに大勝軒を喰ったぞ」と喜んでいる客を見ると滑稽でならない。修行に耐えて、独立した真面目なお弟子さんも気の毒である。こんな奴に暖簾を分けなければ良かったといくら悔やんでみても暖簾分けを許したのは山岸自信であるから「後悔、先に立たず」というしかない。

 山岸氏は自らが苦心して作り上げた伝統の「味」と「心」を継承するため「大勝軒」の暖簾を単なる銭儲けの道具としているような輩を選別し、排除せねばなるまい。然もなくば、疑惑は一生払拭できないし、マスコミが作り上げた虚像により全国のお客様を欺いていることになりはしないか?何時までも、このままでは「山岸大勝軒」の暖簾に傷が付くと思うのだが・・・。

 以上の記事は、当紙が2年前に大勝軒が東洋大学内に出店するという、当時マスコミでも取り上げるほどのサプライズを成し遂げた背景に、大勝軒板垣の影のオーナー小森女史が東洋大学常務理事田淵順一と親しい間柄(男と女の関係?)にあることから実現したという、職権を乱用したものであるとの情報をうけ、出店に至った経緯を取材させてもらおうと板垣を捜し求めて大勝軒を食べ歩いていたところ知り得た余談である。

 我々が知りたかったのは、何故ニセ物(修行をしていない)大勝軒が東洋大学に入店したのかを知りたかったのである。しかし、山岸氏の話では東池袋本店を閉店した後に、板垣から小森女史を紹介されたと言っている。これでは入店の動機が解らない。入店後に田淵氏は小森女史と知り合ったことになる。そこで我々は、それ以前に田淵氏と小森氏が知り合いだったという証拠を見つけてきた。

(それを知りたい方はクリック)

 神田店で、たまたま板垣が阿佐ヶ谷に新店をオープンするとのチラシを目にしたので、オープンの日に行けば必ず板垣に会えると思い、食事もかねて阿佐ヶ谷店に行ったのであるが、当記者はラーメン愛好家でもあるので、先ずは単なる客として阿佐ヶ谷店のラーメンを食べたいと思い入店し、お金を支払い食事を済ませてお店を出たのだが、私服で待機していた杉並警察署の刑事さんに道を阻まれ職質を受けたのである。勿論ラーメンを食べて職質されたのは始めてである。

 どうやら阿佐ヶ谷大勝軒は、誰かがオープンを阻止しに来るに違いないと勝手に妄想していたようだ。全く関係ない案件で板垣を探していた当紙記者は、全く関係のない大勝軒の内輪の喧嘩に巻き込まれていたようである。

 そういえば何処かの大勝軒に行ったときも「誰に頼まれたのか?○○系の右翼ですか?」と聞かれたことがあった。知らぬ間に喧嘩の火に油を注いじゃっていたようだ。巻き込まれた当紙も飛んだ災難である。阿佐ヶ谷大勝軒はそんな異常な状態だから食事をするときは有事に備えて気をつけなければいけないと警察を手配した上野・神田・阿佐ヶ谷大勝軒の統括部長アライ君に教えてもらったエピソードである。

(2007年9月6日)