敬天新聞 令和6年9月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和6年9月号 4面)



▼昔コマーシャルだったか番組だったか忘れたが「ミカン、キンカン、酒の燗、親の言うこちゃ子が聴かん」というコマーシャルがあった。何の番組だったかな〜。虫刺されに効く薬の「キンカン」のCМだったかな〜。 今は放送法とか規定があるから、中止になったのだろうか。単なる語呂合わせみたいな感じだし、全ての子供に共通するわけでもないしとは思うけど、やっぱりPТAとかうるさいのかね〜。

現在風につぎ足すなら「そんな場合はバイアグラバイバイ♪」。これじゃ益々火に油を注ぐ話になってしまうね。ま〜、このコーナーは爺婆の残された人生の生き方についての愚痴と懺悔と心残りと僅かな夢を語るコーナーだから、そんなに力むことも、深く考えることもないけどね。

七十六歳の爺さんと八十三才の婆さんの、どうやったら市販の風呂桶に二人一緒に入れるかがメーンの恋物語「マコとミコの物語」が三田五丁目辺りで人気シリーズになってるぐらいで特段の話もないコーナーである。

ニュー新橋ビル三階のレストラン万世の一番奥の、真上に愛宕署の防犯カメラが設置してある特等席で、酒乱の特徴丸出しで、 マコは「汚ねえー、マ〇コ押し付けて来て・・・」と大声で話し出すのである。それも毎回。それで同席者から「そんなに嫌なら行かなければいいじゃない」と注意されるが、やはり本音は楽しいのか、毎日の日課らしい。今流行の言葉でいえば、マコのルーティーンなのである。

昼間から夕方にかけて毎日通っているそうだが、飲んでない時の真面目さと飲んでからの豹変に、ミコは男の色気を感じているのかもしれない。年代的に軍国教育を受けて来た時代の人は、義務教育で厳しい情操教育を受けているので、男女関係では固い考えの人たちが多い。

人生が残り少なくなってくると、酒乱の変化も男の逞しさと見えるのかもしれない。それともミコも意外と変態趣味かも。そんなマコも最近、滅法元気がなくなったのも事実。あれだけ通った万世通いが少なくなってきたようである。

あそこで安い情報を集め、記者もどき仲間と歓談するのが、一番の楽しみだったのに、店にも顔を出さなくなったし、毎日かかって来た電話も繋がりにくくなった。たまに繋がっても、電話での声が何となくか弱いのである。

「オラ〜、飲み打つ買うも他人の三倍やって来た。もう、ここらへんでいいで〜、先に行って待ってるで〜」と言うのが口癖で、その言葉を 七、八年前から毎回、森の石松調で言っていた。会話が楽しいから、年齢に関係なくモテていた。

ここで私が取り上げるのを肴に飲むというから、何とも不思議なマコの世界感である。



▼話は短く、金を出す人が好かれる。ところが現実は金は出さないで、口ばかり出す人が多い。しかも話ばかり長い人が「会長」という場合が意外と多い。

一応会長の話だから関係者や部下は聴く振りをして相槌を打つが、ゴマすり部下以外の普通の者は、「あ〜、また同じ話をしてる」とか、「その話はもう何回も聴いたよ」と思いながらも、初めて聞くような振りをして我慢してるのであるが、本人は悦に入って益々長くなるのである。

日本だけでなく、こうした傾向は世界中共通かもしれない。みんなお金の為に辛抱して辛い仕事を我慢している。金が有るなら、好きな所に遊びに行って、好きな事をして、時間を潰す。そこまでの生活が出来無いから我慢して毎日出勤している。

人は強い人に魅かれるところがある。強い人には金も集まる。どんな綺麗ごとを言っても、平和的な事を言っても、弱い人の所には同情的にしか金は集まらない。強さも永久的ではないので、いずれは金も枯渇する。

金も一か所に集まる時期もあるが、やがて分散する。いつの間にか入って来なくなったり、逃げたりするのである。だから金の事を隠語で「お足」と呼ぶ業界もある。確かに言い得て妙である。

今年は世界中が選挙イヤーである。日本も自民党総裁選、解散総選挙があり、日本に大いに影響するアメリカの大統領選挙もある。

自民党の悪しき慣習や裏金問題は少しずつは改正されるべきではあろうが、政治は生活と直結しているから、野党が言うように全くの清廉潔白には難しいだろう。

アメリカの大統領選挙を見ていると日本の選挙が可愛く見える。アメリカの選挙は、ディベート(言い争い)力と献金の大きさで決まる感じである。

容姿や出自、何でもアリの言いたい放題のスタイルで、あれでは終わってから幾ら訂正しても、対立国民は手は握れまい。

共産国が国民を力で捻じ伏せ、有無を言わせぬ国家を作ろうとするのも分かる気がする。目指す理想の国家を成し遂げるためには、千差万別の個々の意見を聴いていては、出来るものもできないというのも理解できる。そう考えれば、やはり一定の野党は不満のはけ口としての涼風剤として必要であることを痛感する。

日本は今のままの多党制でいい。たまに贈収賄や選挙違反で捕まる者が居てもいい。お中元やお歳暮の時期や亡くなった人の所にお線香配ってもいいじゃないか。見つかって注意されたり逮捕されたら自己責任。

一党独裁政権になって、生きる全てを統制されるより、今の日本の方がずっとましだよ。とアメリカ大統領選挙を見ながら感じた次第です。



▼よく個人の自由を極端に尊重する人がいるが、民の集団(国)があって、そこに個人がいるという考えでなければ、何も成り立たないような気がするのだが。

個人の尊厳の意味は分かるが、個々が集まって個々が勝手に主張を繰り返せば、何も成立しないような気がするのだがそこはどうクリアするのだろうか?

例えば橋とか学校とかの公共物とかみんなで使う物が沢山ある。これだって、俺は使わないから協力しないと言う者が現われたら、何もできなくなる。それぞれが好き勝手なことをし始めたら、結局は力の強い者だけが利益を得る世の中が顕著になるだろう。

社会主義、共産主義は始まりこそ、権力者(王様)から民が権力を奪い取って、自由を勝ち取った証のようにしてスタートした感じであるようだが、そのリーダーがやがて、権力を掌握し、自分を王様のような立場に作り上げてしまう。世界にはこういう国がまだまだ沢山あるらしいが、遠く離れてる国の実情は殆ど分からないし知らない。

北朝鮮にしても、ロシアにしても、個人の自由は確実に自由主義国より個人の縛りが多いように思う。烏合の衆という言葉があるが、個人の自由を尊重し過ぎれば、結局は町と言う概念が成り立たなくなり、繋がりのない人間関係で溢れ、争いは絶えないだろう。

人間も若者と老人とでは、ウサギとカメぐらいの違いがある。若者には先が見えない程の未来があり、独りで生きて行くだけの元気さも兼ね添えている(健康であれば)。

だが、先の見えてきた老人は誰かを頼らないと生きて行くのさえ難しい。その誰かとは、連れ合いや子供ではない。先ずは年金である。年金こそが命綱である。

夫婦で居ても、相手より年金の方が頼りになるらしい。え〜〜ッと驚く、男性陣は多いと思うが、貴方自身が清らかだった奥さんを知らぬ間に逞しい婆さんに育てあげてしまったのです。仕方がないですな〜。今更気付いても、今更諦めても、もう完全に遅いですが、それが貴方の人生です。

ただ「50代ぐらいの人ならまだ間に合います。奥さんを大切にしましょう」と、どんなに高齢者爺が説得しても、こればかりは自分がその歳にならないと、理解できないものなのです。気付いた時には完全に遅いのですが。高齢者になるのは切ないですな〜。特に男は。

大事にされるのは金を持ってる男だけ。それも男を大事にするのではなく、持ってるお金が欲しいだけ。金のない爺は、全く相手にされません。

中性化した婆には、中性化した爺の体力では勝てません。こないだも何処かで、掃除道具を持って殴りかかった爺が、婆に奪い取られ、逆に殴られて救急車で運ばれた事件がありましたが、同じ中性になっても、雄から雌になるより、雌から雄になる方が逞しく強いのです。


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