敬天新聞5月号 社主の独り言(辛口)

(敬天新聞5月号)

▼北朝鮮がミサイルを撃つぞ撃つぞと言って全く撃つ気配はない。どこまで飛ぶか知らないが撃たせてみればいい。

多分目標と相当離れた所に飛んで行くのではないか。こんな国と何回話し合いしても何の発展も成果もないんだろうから、早く撃て撃てと煽った方がいい。と思っている国民は本当は多いのではないか。アメリカもイラクの時はあれだけ積極的だったのに、今回は慎重すぎる。やはり資源もないし潰したところで見返りがなさすぎということだろうか。

それどころか世界で一番不幸で貧しい国民の面倒を見る羽目になりかねない。誰でもこんな国と関わりたくないというのが本音だろう。金持ち喧嘩せずである。どうせ犬の遠吠えだから放っておいてもいいのだが、隣の韓国に実害が出始めたというのが気になるだけだ。

いずれは決着が必要だろうけど、韓国と北朝鮮は兄弟で争ってるようなものだから、仲裁には入りにくい。それにしても北朝鮮という国の時代遅れの独りよがりには困ったものだ。中国が反日デモを演出した時、もっと起これもっと起これと願っていたが、直ぐに収まった。

単に日本にプレッシャーを掛けたいだけの演出で、長くなれば貧富の差が激しい貧民が共産主義型資本主義の矛盾に気づいて怒り出し、暴動になることをわかってるから、本気でデモなど許さないのである。

だから無視してほっとけば、直ぐに終わるのだ。あの反日運動で、世界中の会社が中国から撤退を考えだした。張りぼてのような世界第二位の経済大国だから、一歩路地裏へ入ればゴミ箱のような世界である。

この前生活保護の不正受給で中国人の男が捕まっていたが、だいたい何で出稼ぎに来た中国人に生活保護をやるんだよ。この男は日本で働いているにも拘わらず嘘の申告をして生活保護を受給し、二千万も稼いで中国にマンションを買っていたそうである。

誰が知恵つけてこういうことを教えるのか知らんが、こういう犯罪者は大きく報道すべきだある。自国民を食べさせられないから、日本へ出稼ぎにきて犯罪を犯すのである。日本も昔確かに多くの国々へ出稼ぎに行った。

だがその頃の日本国民は恥を知ってる人たちだったから、犯罪行為や迷惑行為はしなかった。 郷に入れば郷に従え、と朱に染まって赤くなって行ったのである。

勿論間違って犯罪を犯したら、その国の法律で厳しく裁かれればいい。おそらく出稼ぎに来ていない良識ある外国人(日本を嫌いだという中国人も韓国人も北朝鮮人も含めて)も、自国の国民が出稼ぎ先で犯罪を犯して捕まることを「お国の恥だ」と考えているはずだ。

だから外国に遠慮せず、外国人の犯罪に対して厳罰化するべきなのである。北朝鮮は多分ミサイルは撃たない。撃てばどうなるかは本人たちが一番わかっている。

イラクが一瞬にして潰されたことを目の前で見てきたから、本当の戦争はしない。アメリカを本気にさせたら、誰が止めようが全く無視して攻めまくる。

新しい兵器が開発されたら、その実験として相手を選ぶだけではないのかと勘違いするほど、いとも簡単に戦争の理由を付ける。そして兵器の精度を見極めたら、古い兵器と総入れ替えするのだ。

その時、全体の経費の半分を押し付けられるのが、兵隊を出さない日本なのである。 アメリカという国は容赦のない国である。唯一容赦するときはキリスト的人権に配慮したときだけである。

片や六十年間、やるぞやるぞと口だけ大将の北朝鮮である。しかも六十年前の武器で戦おうとしてるのだ。勝負になるわけがない。

考えてみれば六十五年前、日本はアメリカのB29を家を守った女性陣が竿竹で落とそうとした経験がある。実践というより精神論を学ばせたのであろうが、外国からは今の北朝鮮のように見えたのだろうか。

ただ北朝鮮は六十年前の朝鮮戦争で、実質的に南朝鮮に勝っている。三日でソウルを制圧し、実際釜山まで追い込んで行った。戦いになればまた同じことができると信じているのだろう。だから今の挑発は昔を思い出させる

しかし毎日毎日宣伝活動されると、経験のある年配者の人は昔の嫌な思い出が蘇えってくる。サブミナル効果である。実害が出始めた韓国ではあるが、ここは我慢比べである。

しかし我慢比べになると強制弾圧で国民を虐げる北朝鮮の方が我慢慣れしているから、断然有利になるだろう。

それこそここで金を手に入れたら、また息を吹き返してまた核開発に力を入れる。これを繰り返しているうちに本物の核を作ってしまう可能性が出てくる。

だからここは絶対に妥協してはいけない。戦争行為を挑発しているのだから、部分戦争にせよ、前面戦争にせよ、軍事基地だけでも叩いた方がよい。一部の権力者だけが利権に享受し、国民の殆どが食うのにも困っているような国で、しかも平然と犯罪を助長する国である。

金正恩の暗殺を国民は望んでいるのではないか。昭和天皇がお亡くなりになったとき初めて知った言葉に「崩御」という言葉があった。

いま北朝鮮の毎日の挑発を聞いていて北朝鮮用語を一つ覚えた。それは「最後通牒」である。普通は「最後通告」と使って、「最後の宣告で次はない」という意味に使うが、「最後通牒」は毎日使ってるから、「その日の結びの言葉」という意味なんだろう。手紙の最後に使う「早々」とか「敬具」の部類か。


▼法然上人が亡くなった日だけに使われる言葉に御忌という言葉があるそうだ。その記念行事の法話を聞いた。僧侶が着ている袈裟の話だった。

今の僧侶が着ている袈裟は煌びやかでちょっとイメージが想像つかないが、元々インドでお釈迦様が着ていた袈裟は、そこ等辺で野垂れ死んだ人たちを包んで焼き場まで運ぶ布の切れ端を拾い集め、洗って繋いだものを裸に羽織っただけのものだったそうである。世の中の一番汚いものを身に包むことで最底辺の生活をする事を実践したのだそうだ。

これには二つの意味があり、一つは欲を捨てなさいという意味。自身が欲を捨てたことを実践してみせ、それを見た人たちはあんな状態でも生きていけると感じる。

もう一つはそんな汚れたみすぼらしい格好をしている人を見ても人は嫉妬も恨みも起こらない。 大抵の場合、欲が原因で嫉妬や恨みが起こる場合が多い。

もし嫉妬や恨みのような気持ちが沸き起こったら忘れなさいという意味が含まれているそうだ。

確かに自分より豊かそうな人を見て嫉妬が芽生えても、そんな格好をしている人を見たら、急に自分が恵まれてるような人に思えて、嫉妬心も霞むかもしれない。

忘れてはいけない事は忘れてはいけない。忘れなければいけないことは早く忘れなさいということらしい。

ところが人は忘れてはいけない事を忘れてしまい、忘れなければいけないことを忘れない。

それを漢字に表わすと念死念仏といい、死ぬ事は誰にでも訪れる事なのに皆他人事のように忘れてしまっている。

思い出しなさいという記念の念。死んだ後仏様のそばに行ってお世話になるのにお参りすることを忘れている。

忘れてはいけませんよ、常に心で念じなさいの念。自分は一人で生まれてきたわけでなく、一人で育ったわけでなく、家族はもとより多くの人たちに支えられて今日がある。

死ぬ時も、死んでからも誰かの世話になる。とりわけ家族には世話になる。誰もが必ず迎える、死ぬという現実。

自分の死は終わりではなく家系歴史の通過点。だからこそ先祖供養は欠かしてはならない個人や家族の大切な行事。欲には際限がない。

欲に満足はない。早く気付いて欲を捨てれれば、嫉妬も恨みも消えてなくなるだろう。栄華を求める事も名誉を欲しがることもいらない物と気付くかもしれない。

話を聞いてる時は、不思議と「その通りだなー」と思って実践しようと誓うのだが、一晩寝ると元の木阿弥である。当たり前と思ってて経験してきた事が、実は当たり前じゃなかった。

本当は偶然の積み重ねで、神様にに生かされてたのではないかという考えさえ芽生えた大震災を経験した筈なのにもう忘れかけているのである。

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