小村和年市長は呉市経済界の傀儡 新庁舎建設再入札がまたもや中止

(敬天新聞6月号)

新庁舎建設を最優先とする呉市

今秋に任期満了となる広島県呉市市長。現在二期目である小村和年市長は、既に三期目突入を目指し精力的に動いているという。

前回の市長選では、無所属新人候補との一騎打ちであったが、大方の予想通り大差を付けて当選した。

所詮は、消去法的な投票行動が反映された結果に過ぎなかったのだが、有権者の信任を得たという裏付けのない自信を深めた小村和年市長は、選挙公約としていた新庁舎建設着手を高らかに宣言した。

今でこそ、磐石ともいうべき地盤を確立しているかに見えるが、過去には辛酸をなめてもきた。

旧運輸省に入省し、国交省を部長職で退職した後、故郷である呉市に凱旋し、満を持して市長選挙に挑戦したのは平成十三年であった。

現職の小笠原臣也と共産党候補者と争った選挙戦は、善戦するものの当選には届かなかった。

しかし、それから四年後となる平成十七年の市長選挙では、現職を破って初当選を果たし現在に至るのである。

初挑戦から二期目も終盤となる今日まで、小村和利市長を支えてきたのは、呉商工会議所の元会頭である奥原征一郎であることは、呉の地元では周知の事実である。奥原征一郎は、寿グループを率いる呉市経済界のドンと呼ばれている。

又、同氏の従弟である奥原信也県議(実父は呉市長を三期務めた奥原義人。晩年は呉信用金庫理事長)も含め、まさに呉市の政財界を牛耳る地方名家が、小村和年市長の後ろ盾なのだ。

まるで絵に描いたような地方名家が担ぎ上げた御輿(傀儡首長)といった構図だが、ここの所、多少の綻びが目立ってきている。


小村呉市長の後ろ盾が自己破産

先に躓いたのは、奥原征一郎であった。呉市を地盤とした鉄鋼メーカーである寿工業は平成十九年、当時社長であった奥原征一郎の指図で、日本初となる鍛造用インゴット専門メーカー「アジア特殊製鋼」(北九州市)を子会社として設立した。

大型タンカー等の素材部品となるインゴットは、その販路を主に韓国市場を対象としたものだったらしい。事業の初期投資は約百五十億円だった。

しかし、リーマン・ショックによる需要低下をもろに受けた同社は、設立から僅か数年の昨年四月に破産した。初期投資を回収するどころか、破産時の負債は約二百六億円にまで膨らんでいた。

現在は、突然解雇された同社従業員が不当行為だとして、親会社である寿工業との間で争議が継続中である。

更に、矢面に立たされた奥原征一郎は、早々に自己破産を申請したことが責任逃れだと糾弾され、呉市経済界のドンとしての面目は潰れ、地方名家首領としての晩年を汚すに至っている。

斯様な状況で、恩人の苦境を何とか救おうと、一肌脱いだのが小村和年市長だと思われる。

当然、当人も三期目当選を伺っていることからも、痩せ枯れたとはいえ奥原征一郎に恩を売るべきとの思惑もあるのだろうし、傀儡として踊らされてばかりではないといった、二期目の市長たる自負もあるだろう。

何れにせよ、その方法として、最も効果的なのが大型公共工事の実行なのだ。そもそも、呉市は伝統的な談合体質とされている。

公共工事にかける予算の額が票に結びつく。これまで同様に政・官・業が一体となれば、仕事も金も票も入るという仕組みだ。

小村和年市長にとって、任期満了に伴う市長選挙前には何が何でも新庁舎建設に着手せねばならなく、それは市長派の議員らにしても同じ考え立場といえる。


新庁舎建設再公告を急ぐ裏事情

しかし、すんなり決まる筈だった新庁舎建設の入札は、予定業者の全てが辞退したことで中止となってしまった。予定価格では出来ないとした業者の言い分を鵜呑みにする関係者は誰もいない。

鉄の結束を誇った談合が、綻び始めたといった声も聞かれる始末だ。

更には、実際は談合は成立し、大成建設を頭に五洋建設と増岡組からなる企業体が落札する手はずであったものの、談合情報が漏洩する危険性が高まったとして、手を下げたといった詳細な舞台裏までも、実しやかに囁かれている。

尤も、談合は事前協議から施工まで恙無く終えてこそ成功といえる訳で、多少なりとも相互信頼が崩れる兆しが出始めたことは間違いない。仮にそうだとしても、小村和年市長としてはここで立ち止まる訳にはいかなかった。

元より、総事業費百五十億円を投じての新庁舎建設には、多くはないが反対の立場を明確にする勢力が市議会に存在している。

当然、入札中止を絶好の機会と捉え、事業計画の白紙撤回、少なくとも時間をかけて熟慮すべきであると訴え始めた。

とりわけ、反対の急先鋒といわれる某市議は、庁舎立て替えの再検討を求める嘆願書を作成交付し、呉市民に呼びかけもしている。

しかし、所詮は多勢に無勢でしかなく、形式的な庁舎建設検討委員会が開かれた後、入札再公告が早々に決定した。

しかも、辞退業者が予定価格では出来ないとした、体のいい言い訳を斟酌して、ろくに積算もしないまま約三億五千万円をお手盛りする大盤振る舞いの再公告となった。

それでは如何なる事情から、小村和年市長は闇雲に再公告を急いだのであろうか。

その裏事情を知る関係者の話によれば、最初の公告が為された段階で、既に庁舎工事の落札業者は決定しており、入札日の相当以前に前倒しで、奥原征一郎を含め市長周辺に分配金が供出されていたというのだ。

その額、総事業費百五十億円の三パーセントにあたる四億数千万円だという。


談合王国に世間常識は通用せず

余りに常識外な話であり、俄かに信じがたいが、談合王国と揶揄されてきた呉市であれば、その可能性も有り得るかとも思える。

当紙前号で報じた、不可解な事業半ばでの請負契約解除も、元はといえば談合調整のミスと事前の分配金が重なった結果、行政の圧倒的な力技を駆使して思い通りの筋に戻したものであった。

また、小村和年市長の任期満了が迫っていた点も符合する。

さて、本原稿を書き進めている最中、なんと今回の入札も中止となったとの一報が飛び込んできた。

理由は前回同様、全者入札辞退したためということだ。どうなる呉市?どうする小村市長?

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