敬天新聞8月号 社主の独り言(辛口)

(敬天新聞8月号)

▼六月二十三日に関東口加会があった。関東に在住する口加高校出身者の集いである。そこに七月の参議院議員に「維新」から立候補している奥村慎太郎氏が来ていた。

本来は自民党である。地元で人気のある奥村氏を自民党県連の都合で土俵の外に押し出したという形だった。どんぶり勘定でしか物事を考えられない谷川弥一議員の策略だった。

長崎県は県知事も谷川議員も長く佐世保方面出身だったので、あちら側ばかりが伸びて島原半島は殆ど発展がなかった。島原半島の中でも南目といわれる地区は、特に発展が遅れた。

一番の理由は道路事情が悪いことだ。初代防衛大臣の久間章生氏が「久間道路」と呼ばれるような高速道路を諫早から諏訪の池まで作っていれば、どれだけ島原半島民が助かっていたことか。

たったの六十キロだから、久間氏の当時の実力からすればそんなに難しいことではなかったろう。

南目は久間氏のふる里である。久間氏は口加高校の先輩だったが、奥村慎太郎氏は後輩にあたる。奥村氏は雲仙市の市長を二期務めたので愛郷精神は強いし、ふる里の短所も長所もわかっている。

私も「党は関係ない。とにかく諫早から諏訪の池まで高速道路を引きます。それが先ず目標です、と訴えれば必ず当選するよ」と助言した。

ここからが秘話である。当日恒例のビンゴゲームがあった。今まで一度も当たったことが無いのに、その日は何故か四連続して数字があたり、一番最初にビンゴになったのである。初めての出来事だった。

そこで、縁起がいいので当たった賞品を奥村氏に渡し、奥村氏の券を私が預かった。ところが奥村氏から預かった券が当たらないこと当たらないこと。百人ぐらいの人が居て皆当たったが、奥村氏の券だけが最後まで当たらなかったのだ。

この時「維新」は橋下市長の慰安婦発言でブームが去ってしまっていた。私の運と奥村氏の情熱が合体して当選を勝ち取ることができるのか、奥村氏の情熱も虚しく兇運が正夢となるのか、という記事を七月号で載せる予定だったのだが、締め切りに間に合わなかったので今号になった。

私は早々と比例は奥村氏に一票入れた。東京に来て何しているかわからん議員や、政治を就職と考えてるような議員、私欲にまみれた議員は多い。遊んでも、儲けても、ちょっとはいい。

志した時の信念、国家やふる里の将来を任された責任、大義を忘れるな、ということである。奥村慎太郎はいずれ長崎県を代表する政治家になるだろう。

諫早から諏訪の池まで直線で高速道路が出来る目はなくなった。諫早から左周りで作りかけてるからだ。それなら右回りもスタートさせて、一周ぐるりと廻せばいい。

奥村道路」の時代は必ずくる。と当選記事を書いていたら、結果は次々点での落選だった。もったいないなー。長崎県の政治家としては久々の戦力になる男だったのに。当分小粒で、冷や飯食わされ、ドサクサに紛れて、谷川土建屋政治がまかり通るんだろうなー。しっかり見張らなければ。



▼もう三十五年も前になるが、国立府中大学在学中に中核派のリーダーだった男と同じ工場に勤めたことがあった。その時彼に尋ねたことがあった。

「あなたたちは何故、国がすることに何でも反対するのか。中には『これは良いことだなー』と思うことだってあるだろうに。是々非々で物事を考えられんのかね」と。

彼は「我々は現体制反対だから、良いとか、悪いとかではなく、現体制(当時自民党体制)を倒すことが目的。そのためには一つ一つに賛成とか反対とかではなく、体制側がやること全てに反対することが一番なんだ」と明確に言った。

そんな考えでは纏まるものもまとまらないだろうにと思ったが、その時「世の中にはいろんな考えを持つ人がいるんだなー」と知った。

沖縄での米軍基地反対、オスプレイ反対と叫んでる人の中には、本当に迷惑だから反対という人もいるだろうが、理由や内容よりも便乗して「とにかく反対」という人もいるんだろうなー。

その反対派に「ほら、見ろ」と納得させるような汚い行動をする者達が体制派の幹部達にいるのも事実だ。例えば基地を沖縄県民の意向に沿って移転しようと言いながら、移転先を事前に買い占める。インサイダーである。

株では法整備されているが、土地ではされていない。政治家達が自分に都合が悪いことはやらない代表例である。

この際移転先やその周辺の土地の名義人を公表すべきである。そうすれば「政治屋」たちの本性も見えよう。

今では中核派や革マル派は時代のあだ花になってしまったが、そういう者たちの存在も含めて日本の歴史なのである。振り返ってみると、一貫して変わらない政治主張をしているのは共産党だけである。

ぶれない精神だけは見習うべきだろう。しかしながら日本ではどんなに声をあげても受け入れられない。日本文化に合わないのだろう。地方に行けば行くほど共産党員は少なく、時には石を投げられる存在でもあるが、それでも意思を曲げないのだから立派。

今では「政治の不正を糾す正義の党」というイメージさえある。与党のブレーキ党である。だから都政では、コロコロ主義主張が変わったり、風が吹いた時だけ人気党になる政党を押さえて第三党になったのだ。

だから共産党に申し上げたいが、政権を執ろうなんて滅相も無い考えは起こさないで、与党が走り過ぎないような「監視政党」という立場を貫けば、これからも永く支持されるのではないか。

現実論ではちょっと無理だからね。小沢一郎の日和見もひどすぎる。元々は自民党の中枢にいながら、野党を纏めては壊しを繰り返し、挙句の果ては、共産党に一番近い政策まで行ってしまった。

ここまでぶれ捲れば、彼が目指すものが何なのか全くわからなくなる。共産党が生き残るのは自民党に真逆のハッキリしたスタンスを持っているから。

共産党の真似事をしながら、ふらふらしているだけでは、国民の心を捉える事はできない。



▼小沢一郎が完全に国民から見放された。全盛期は与党の実力者幹事長。野党に移っても一定の勢力を保ち、野党を結集する求心力を持ち、実際に二度も御輿総理を作って、その全権を掌握した時もあった。

ターニングポイントは民主党に風が吹いて大勝したことで、天狗になりすぎたことである。裏方に徹してきた男が、欲を出しすぎて、陳情を幹事長一元化したり、国会議員や業者を600人も引き連れて、中国参り、韓国参りを行った。

それに加えて「天皇陛下の行為は内閣の助言と承認で行われるのが日本国憲法の理念だ」と皇室を動かしてるのは我々だと言わんばかりに皇室慣例を無視したり、それを批判した宮内庁長官を公衆の面前で怒鳴りつけたことは、物言わぬ国民に嫌悪感を抱かせた。

この小沢一郎の思い上がりが実は政治家として能力があったのではなく、金集め、金儲けににだけ奔走しているという姿を浮かび上がらせたのである。

自民大勝、民主大負け、公明堅実、共産躍進、維新、みんな、がまあまあという中で、小沢一郎が党首の「生活」だけが選挙区、比例合わせてOである。社民党でさえ、1議席を確保したのにである。

小沢牙城と言われた岩手でさえも完敗だった。これでは野党の求心力にもなれないだろうし、接着剤の役目さえ適わない。それどころか与野党に無視される存在である。

政治だけでなく、これから行政や司法にも顔が利かなくなる。そうなれば今まで隠してきた不正があっちこっちで露出してくるのではないか。

東北地方の公共事業は小沢事務所を通さなければ入札にも入れないと言われた実態が暴かれてゆくだろうし、ゼネコンの小沢離れも顕著になるのではないか。

小沢一郎は確実に賞味期限が切れたということである。


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