敬天新聞9月号 社主の独り言(渋口)

(敬天新聞9月号)

▼田中マー君が開幕から16連勝のプロ野球新記録を作った(今は18連勝中)。素晴らしい。ついこないだのように感じるが何年前だったろう。ハンカチ王子との対決で二度に亘って敗れたことが記憶に新しい。あの時は日本中の女性がハンカチ王子のファンで、マー君は気の毒だった。

ハンカチ王子の斎藤佑樹君は外見からくるカッコよさだけでなく、礼儀正しい所作、言葉使い、品性など、どれをとっても日本人好みの少年だった。

もちろん私もハンカチ王子ファンだった。その時は誰が見てもハンカチ王子が勝ち組で未来は前途洋々に見えたはずだ。みんなの予想通り、大学へ行っても期待通りの活躍をした。

一方マー君は敗者として比較され、同情的に見られることが多かった。ただ何人かのプロの評論家が「プロ野球に行ったら『今は荒削りな田中』の方が伸びる」と予言していた。

今はその通りになった。プロの目というものは大したものである。マー君が一流の選手に育ったのは本人の才能は勿論だが、周囲の環境、指導者に恵まれたことも大きい。特に超一流の技能、理論を持ちながら、自らを「日陰者」と称し、嫌味、愚痴を売り物にしていた野村監督の毎日のインタビューで「マー君神の子元気な子」を話題にしてくれたことが、それまでの暗いイメージを払拭した。

今は全く真逆の展開である。一年目こそ義理でオールスターに選ばれたハンカチ王子だったが、三年目ともなれば義理も通用しない。

人生というのは本当にわからない。あの七年前、屈辱を味わった田中がふて腐れて野球を辞めていれば今日の活躍はなかったろうし、あの時あまりに華やかに取り上げられた為に、今が普通なのにもう限界のような見られ方をしてしまう斎藤が一方にいる。

そして人々とは無責任に批評する。あの熱狂的な騒動は何だったのか。人生は山あり谷ありとはいうが、その山も谷も心の持ち方で違ってくる。そしてどちらもずっと続くものでもない。

うまく行きだすと人は自分が驕り高ぶってることに気付かず、その立場が永久に続くものと錯覚する。また逆に何をやってもうまく行かない時は落ち込んで一生を投げてしまおうとする。だがそれは根本的に間違いである。

何故ならそれは世の中のすべてが無常だからである。ということは常にチャンスはあるということに繋がるから、歳や性別に関係なくいつからでも、どこからでも出直せるということである。

マー君の活躍を見て拍手喝采を送ると共に、勇気と元気とやる気を奮い立たせてもらった次第である。

▼一年間のうちで最も子供たちの成長著しいのが夏休みだろう。逞しくもなるが、横道にそれるのも夏の時期である。

それだけ親が気をつけなければいけないのである。学校に通ってる時は、先生が毎日目をかけててくれるから、少しの変化に気付いてくれるが、夏休みは長い期間、普段注意してくれる先生がいないので、子供たちもついつい羽を伸ばす。

その分親がしっかり躾が出来ればいいが、今の親は子供に何を躾ければいいかがわかっていない親が多すぎるのだ。

先日テレビで、名前は知らないが「いつやるか、今でしょう」という台詞で有名になった予備校の講師の授業をやっていた。生徒は小学生の子供を持つ母親だった。

この先生は現代国語の専門家らしく、一万冊の本を読破してるそうである。その日の講義内容は子供の育て方で何が一番大切かという話をしていた。

昔はたいていの家庭が三世代で住んでいた。当たり前のようにおじいちゃん、おばあちゃんがいた。それだけではない、子供から見たら両親の兄弟である、おじさんおばさんも一緒に住んでいた。

家庭ではなく家族だった。だから子供の躾けや教えは親だけでなく、足りないところはおじいちゃんやおばあちゃんが補い、おじさんおばさんも庇ってくれた。

仮に両親と子供だけの家庭であったとしても近所に親戚がいて往来が頻繁であったし、まったく遠くに住んでいたとしても、祭日の行事がある事に先祖の祭ってある本家参りや両親の元に挨拶に伺うことは最重要視されていたので、先祖や親を敬う心を自然と学んだろうし、善悪も自然と身に着けたはずだ。

ところが今は核家族で、おまけに個人主義を強調する時代。父親は仕事に追われて、家庭を振り向く余裕もない。子供の面倒は母親一人で見なきゃいけないから最初から無理がある。

学校の先生も授業を教えるだけなら簡単だろうが、授業以上に生活学習も教えなければならない。集団生活での監視も必要である。

昔の親のように、躾けは完璧に家庭で教えられていて、学校には勉強を学びに行くだけという状態なら、学校の先生も楽だろうが、大変な時代になったものだ。

昔は学校の先生は尊敬の対象だった。今尊敬される先生がどれだけいるだろうか。先生はどれだけ時代が変わっても尊敬される対象でなければならない。

何故なら、何にも知らない子供に知識や技術を教えてくれるのだ。授業料を払って、学校に子供を通わせた時代の親の方が先生を尊敬する気持ちを持っていて、授業料を国が負担し無料になったら、学校に文句言ったり、怒鳴り込んだりする親が増えたのは、どいうことかね。

本当は昔の親より今の親の方が感謝の気持ちを強く持つべきじゃないのかね。

テレビでもその先生がいい話をしてるのに、聞いてる姿勢がだらしないし、「自分は一生懸命やっているのに、子供がだらしないのは親の責任と言われたら、もう死ぬしかない」みたいなバカな発言する親も居たりして。

まー、テレビだからわざとバカ親ばかり集めて発言させていたのかも知らないけど、現実に全てのことに感謝の気持ちを忘れた日本人が多くなったのは事実である。

▼お盆に帰省したら、多くの家族連れに出会った。都会に長くいると、ふるさとでの こういう光景に出合うと、日本ていいなー、ってつくづく思う。

都会にも家族連れはいるにはいるが、おじいちゃんおばあちゃんが一緒にいないのだ。おじいちゃんおばあちゃんの存在を見ていると、日本の方向性が見えてくる。

小学生の子供のいる家族が何組か食事をしていたが、子供は女の子にも拘わらず「胡坐」をかいている。それがあまりに自然だから、おそらく生まれた時から誰も食事をする時は「正座しなさい」と教えなかったのだろう。

若い親は自身が自由に育った世代だから正座を教えないのもわかるが、おじいちゃんおばあちゃんは戦後教育を学んだ人たちのはずだ。

だが見ている家族の中ではおじいちゃんおばあちゃんが一番小さくなっている。子供に気を使って、孫に注意することもできないのだろう。

昔はおじいちゃんおばあちゃんが一番偉かった筈なのに、いつの頃からかおじいちゃんおばあちゃんが弱者になってしまった。

若い頃から国の為に家族の為に働いて働いて、金も使わずひたすら貯金してきたのに、その金を狙って卑怯者のオレオレ詐欺のクズ野郎どもに騙されて、踏んだり蹴ったりではないか。

これが男女平等、基本的人権、個人の自由を掲げた民主主義の成れの果てなのだろうか。日本人の知恵は何処へ行ったのだろうか。勤勉さ、優しさ、まじめさ、惻隠の情、家族愛、先祖に対する感謝の心、みんな何処へ行ってしまったのだろう。

お盆が過ぎれば異常に暑かった賑やかな夏も終わり、すぐそこに釣瓶落としの夕日が沈む寂寞の秋がやってくるのである。


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