敬天新聞11月号 社主の独り言(渋口)

(敬天新聞11月号)


▼当紙ホームページの写真集はメディア、当局、には宝の山だそうである。最近ではネット記事執筆者にも見られているらしい。

しかし最近は写真集も更新が少ない。それどころか削除依頼が多い。暴排条例政策が行き届いた結果だろう。削除を依頼する人たちは一種の成功者かもしれない。

過去をあまり見られたくないという気持ちがあるのだろう。或いは当時は無名だったので、気にも留めずにどこにでも参加したが、今は多少不味い立場になったとか。

ところが一部熱心なネットおたくはしっかりと当紙の写真、記事を保管している人たちがいる。当紙の記事は何年後かに突然陽が当たる場合があるからだ。新聞発行差し止め処分や記事削除仮処分や恫喝訴訟を乗り越え、雨風に晒されながら耐え忍び生きながらえているから、見る人から見たら妙に説得力もあるのだろう。

だけど認めない人は認めないねー。それでいいのである。世の中は敵が半分、味方が半分、どうでもいい奴がその100倍、という構図だからである。過去の何処の一部を切り取ってその人の履歴とするかは、その作り手によって全く違う評価、実績となろうが、日本では島国根性というのかなかなかいい面を認めようとしない。

特に当局などは故意に過去の一部を強調しようとするところがある。だから日本ではジャパニーズドリームという言葉は生まれない。アメリカン・ドリームは多国籍民族が一緒に暮らす国だからこそ生まれる言葉だ。

あれだけの人種を受け入れながらうまくやっていけるのは、星条旗への近いとキリストの教えが基本になっているし、元々が移民者の集まりからなる歴史のない国だからである。

歴史のある国はそれなりに先人に対する敬いと誇りがあるから、そう易々と時代の流れに乗っていけないところがあるのだ。

私の場合は二十代の頃、総会屋に三年ばかり席を置いたが、中身が濃くて印象強いこともあったのか、未だに元総会屋とも言われるし、企業舎弟、政治ゴロ、似非右翼である。

二十年新聞を発行しててもマスコミ関係、メディア関係とは言われない。時々ブラック・ジャーナリストと言われる時はある。どれも言い得て妙で、当たらずとも遠からずだと思ってるから、昔から否定も肯定もしない。

ただ多少なりとも名前が売れて来ると、無責任な記事は書けない。これでも名誉棄損には気を使っているのだ。間違って事実無根の記事を書いたら、すぐに丁重に謝罪し削除する。

その代り公益性があって不正の事実があれば徹底的に叩く。恫喝訴訟はいくらでも受けて立つ。

いまデート商法の違法性を徹底的に暴いているがこの首謀者の松尾真一は元々は訪問販売業者。訪問販売が法的に禁止になったらキャッチセールスに転向し、その後は自衛隊名簿を盗ませた男と組んで、デート商法で自衛隊員に通常より高い価格でマンションを売りつけているのだ。

デート商法とは男の客には女のセールスマンが、女の客には男のセールスマンが対応し、さも将来一緒になるような雰囲気を匂わせ「将来の資産を作ろう」とローンの通る安定した収入の独身者を騙すのである。

一見ただ老人を騙すオレオレ詐欺より悪質ではないように見えるが、精査すれば何人もの手を経て正常価格でない物を売りつけているのである。

切っ掛けは私の処に暴力団に連れられて相談に来たくせに、都合が悪くなれば私を知らない、会ったこともないという嘘から始まった糾弾だった。

今ではその手口を完璧に暴いた。当紙ホームページの敬天ブログに詳しく掲載してるので、ひょっとして私(僕)被害者かも?と言う方がいらっしゃったら、是非参考にして一日も早く刑事告訴か売買無効の訴訟を起こした方がいいですよ。

こういう連中は都合悪くなれば、直ぐ名前を変えたり、会社を倒産させて逃げたりします。会社に対する愛着や責任なんて爪の垢ほどもない奴等です。会社は金を作る「箱」という認識しか持ってないのです。

それから弁護士を選ぶ時はくれぐれも気をつけて下さい。中にはそういう連中と「仲間のような」弁護士もいますから。

しかし戦後教育は明らかに間違っていたのではないだろうか。特にこの30年の「ゆとり教育」は間違っていたのではないだろうか。本当に若者の詐欺に対する認識が変わってしまった。

ビジネスの中に詐欺を取り入れた企業家の何と多いことか。老人は家の中に金を閉まってしまって、流通しない。

我々がその金を頂けば、そこら辺で使い捲くるわけだから、結果的には世の中に流通し、景気はよくなると嘯くばか者さえいるというから、怖い世の中になったものである。

半グレビジネスの主流は間違いなく詐欺であるから、とにかく徹底した取り締まり以外に方法はないのである。安倍総理の方針に間違いはない。自信を持って初志を貫徹せよ。


▼田中角栄が5億円の賄賂を受け取ったという罪で逮捕された時、世の中を二分した意見があった。一つは勿論賄賂という犯罪は厳しく罰すべきという意見。もう一つは総理大臣だから、そのぐらいの金を貰ったっていいじゃないかという意見。

後者の意見に賛成する人たちの大部分は角栄ファンだった。角栄氏は金を裏から貰ってもみんなにばら撒いているようなイメージがあった。

あの明るさと人懐っこさがそのような印象を与えるのだろう。本当の所は側近しかわからない。私も当時『総理大臣になれば、色んな人がお願いに来るのは仕方がない。

それに金額が高いのは内容によるもので、難しければ当然高くなって当たり前だ』ぐらいの認識で、賄賂が何故重要な犯罪であるかの意味を殆ど理解できなかった。

悪代官が卸問屋と手を組んで、袖の下を貰ってるようなシーンを画面で見れば「こいつら悪いやつ」と直ぐにわかって遠山の金さんや大岡越前に裁かれて当然だと思うのだが、そういうシーンを見ないで「賄賂をもらった」だけでは一般的にあまり想像がつかないから犯罪性を感じないのだ。

賄賂という言葉がお中元やお歳暮の延長のようなイメージに思えてしようがない。それぐら賄賂という犯罪が一般には馴染みがないのだ。関係ないと言ってもいい。

そうであっても許認可や入札の公平性、それを扱う者の透明性を自覚せねばいけないのはわかっているのだが。同じような意味で「脱税」に対しても犯罪意識が少ない。

まーこれは持ってる人だけの犯罪だから一般には関係ないか、と考えてしまう。このように犯罪によっては取り締まる側と受ける側(国民)に大きな感覚の違いもあるのだ。

あまり関係ないが「津波」という言葉も、普段の穏やかな「波」を連想してしまうので、怖さが今一伝わりにくい。もっと怖いイメージの名前をつけた方が理解しやすい。どうしても「波」を付けなければいけないのなら、せめて「怪獣波」とか「大爆裂波」とかの方がわかりやすいのではとつい思ってしまう。

あと病名で変えて欲しいのは「糖尿病」。「細胞壊死病」とか怖い名前にすればもっと自覚が強くなって関心を持つのではなかろうか。医者だけ怖さがわかって理解しても一般の人が理解しなければ意味がない。

「俺の小便はちょっと甘いんだな」という名前では病気に自覚が持ちにくい。それとも怖い病名は差別に繋がるということで、敢えて避けてあるのだろうか。

オレオレ詐欺なんかも「犯人が捕まった時『恥ずかしい』というネーミング」にするべきである。例えば「人間のクズ野郎詐欺」とか「ゴキブリのクソ野郎詐欺」とか。

韓国の場合、元大統領が死刑になったり、自殺したり、不遇な晩年を送る場合が多い。それを見て、「元大統領までやった人をもう少し敬意を表して見守ってあげればいいのに、何であんなに厳しく糾弾するのだろう?まだ民主主義が根付いていないんだなー」みたいな解釈をしていた。

しかし最近は不正に対する姿勢が厳しい国なんだと感じる。このことを韓国人に聞いてみたら、大統領の権限は日本の総理大臣よりも格段に権力があるので、利権の集中のレベルが違うそうである。

だから国民は大統領の犯罪に対して同情もしないで怒るのだとか。それに比べたらその10倍以上を懐に入れる中国のトップは罰せられない。ただし一歩間違えば裁判もなしに殺されてしまう国でもあるが。

そのどちらでもない日本では、警察の捜査妨害したり、圧力を加えたりする政治家が居たりする。犯罪者と組んで仕事をするような弁護士がいたりする。それらが暴かれることは滅多にない。

冤罪はあってはならないし、恣意的捜査もあってはならない。しかし捜査に圧力や懐柔を加えるような輩の存在も許してはならない。日本は基本的人権、三権分立を守った、不正や犯罪には厳しい国になるべきである。


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