日本大学不正疑惑追及も佳境へと 田中英寿理事長独裁体制崩壊の日

(敬天新聞12月号)

株式会社日本大学事業部の実態

株式会社「日本大学事業部」は、その名の通り学校法人「日本大学」が全額出資して平成二十二年に設立した法人だ。それまで個々に事業運営していたものを、ビジネスの自主創造を掲げて「稼げる事業組織」を目指して設立された。

尤も、学校法人出資の会社であることから、その目的は日本大学の教育と研究の拡充・発展に寄与するとして、事業活動で得られた収益を日本大学へ還元することが大前提としてある。

つまりは、稼げる組織に改革した上で利益は追求するが、飽くまでも大学で学ぶ学生や働く教職員の為に存在する学校法人内の営利会社という立ち位置である。しかし、実際はその高尚な経営理念とは乖離した状況にある。

日本大学の田中英寿理事長は、態々日本大学事業部の取締役を兼任することで、大学の最高権力者としての威光を振りかざし、自らの権益会社として支配下においているのだ。

日本大学事業部の本質は、我が国のみならず世界最大規模の総合大学である日本大学を食い物にするが為に、田中英寿理事長が設立したに過ぎないのだ。

平成二十年に理事長に就任してから五年。日本大学事業部が設立してからも僅か三年である。その短期間で日本大学は大きな闇を抱えるまでになった。



日本大学・田中英寿理事長


最強弁護士軍団結成事件対応

当紙の読者であるなら、本年だけでも相当量の関連記事を報じてきたことは承知しているだろう。大量の資料と裏付け証言をもとに田中英寿理事長を糾弾してきたが、漸く崖っ淵へと追い込んだ感がある。

当紙としては糾弾の足掛りとなり、田中英寿理事長にとっては躓きとなったのが本年二月に読売新聞にて報じられた金銭疑惑であった。

田中英寿理事長が大学関連工事を受注した建設会社(サンエスコーポレート=旧名たくみ)から計五百数十万円を受け取ったと報じられ、一旦は「事実無根」と日本大学執行部が会見したものの、後日一転して受領の事実を認めた。

その理由が所有するマンションに業者社員が入居しており、その家賃が所有者である田中英寿理事長に振り込まれていたとする、取って付けた様な言い分であった。多分、汚い銭であったことは間違いなく、金銭授受の履歴が残る以上は予め理由は用意していたかもしれない。

勿論、既に最高権力者に上り詰めた田中英寿理事長にとっては、瑣末な金銭疑惑など大手新聞社が扱うはずがないと高を括っていたのであろう。結局、突然のスクープに慌てふためいた日大執行部の腰巾着共が、事実無根だと発してしまったことで、疑惑を深めるだけの結果を残すに至った。

本来為らば、学府の長たるものが大手新聞社が報じた疑惑の当事者ともなれば、ただでは済まない。しかし、今のところは乗り切っている。

何故なら、田中英寿理事長は初動の対応ミスを帳消しにする力技を事前準備していたからに他ならない。刑事事件に発展する可能性もある金銭疑惑報道への対処として、従来の日本大学主任弁護士である土屋東一弁護士に加え、弘中惇一郎弁護士と石川達鉱弁護士を召集し守りを固めていたのである。

更に主任として加毛修弁護士(中大)、副主任に岩崎晃弁護士(東大)、もう一人の副主任に赤堀有吾弁護士(東大)らも加え鉄壁の布陣を敷いた。現在、考えられるなかで最強の弁護士軍団に脇を固めさせたのである。

勿論、事件の先を見据えた対応ということもあるが、最大の目的はマスコミや警察・検察への牽制であったとも考えられる。これがまんまと功を奏したといえる。

金銭疑惑を報じた読売も、一発のスクープで終らせるつもりはなかったであろう。二の矢、三の矢を打つだけのネタは準備していたに違いない。日本大学の対応や当局の動きを見ながら、スクープを連発しようとしていた筈だ。

当然、他の新聞社やマスコミも後追いとなっても追従したであろう。それだけ、日本大学現役理事長の金銭疑惑は、マスコミが追求すべき問題なのだ。

しかし、他紙を抜いた単独スクープは一発で終ってしまった。続報を打たなかった理由の一つに、田中英寿理事長が日本オリンピック委員会の副会長の要職にあったことも影響したかも知れない。

追求が東京オリンピック招致に水を差すことにでもなれば、報道の正否など関係なく読売は世間から「空気を読めないマスゴミ」と叩かれたであろう。


田中理事長醜聞報道は許さない

勿論、理由はこればかりではない。「事件の続報は勿論のこと、田中英寿理事長に関する醜聞報道には全力で対応する」と、最強弁護士軍団が無言の圧力で睨みを効かせたことで、報道が萎んでしまったのではないかとも考えられる。

この弁護士軍団を組成するにあったっては約一億円の着手金が支払われたというが、当事者負担ではなく日本大学の予算からともいわれており、田中英寿理事長は無傷で乗り切ったことになる。とはいえ、読売も抵抗なく矛を収めたのではないだろう。

何かの切っ掛けで暖めたネタを放出するかもしれない。また、その次期を睨んで情報収拾は継続している筈だ。言葉は悪いが、日本のマスコミは弱って転げ落ちた者には容赦しない。集団で徹底的に叩くのが常である。

大手新聞社やマスコミが大人の事情で日本大学と田中英寿理事長を追及できない、若しくは躊躇しているというのであれば、当紙が書き続けるしかない。だからといって、当紙も全てを書ける訳でもない。

今年に入って日本大学ネタを数多く報じはしたが、なにも今回の金銭疑惑や後段に記する日本大学事業部ネタだけが全てではないからだ。

そもそも、金銭疑惑が取り沙汰された次期は平成十七年の瀬在幸安総長、野崎良一常務のツートップの時代まで遡る。そのとき田中英寿は常務でしかなかった。


暴力団と蜜月関係であった時代

当時の瀬在総長が田中英寿常務に謹慎処分を課して田中英寿常務に対する業者との癒着問題を調査することを目的に外部の弁護士を中心に「調査委員会」が作られた。

その頃の田中常務は辞める決心さえしていたし、力関係は圧倒的に瀬在、野崎派が上だった。報告書は田中常務に全く不利で、首の皮一枚で繋がっていた。

そこから田中常務が反撃を開始するのだが、内部的には四面楚歌状態で、外部からの圧力しか瀬在、野崎を倒す方法はなかった。そこで先方隊を務めたのが当紙だった。内容は瀬在、野崎の金銭疑惑を中心とした不正だった。

当時は大学側顧問弁護士は大学評議員でもあった篠崎芳明弁護士だった。勿論「事実無根」という恫喝的な通達文は何度か受理したが、意に介さなかった。

(3面に続く)


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