敬天新聞5月号 社主の独り言(辛口)

(敬天新聞5月号)


▼隣国同士が仲が悪いというのは今に始まったことではないので、あまり気にしないで粛々と事に臨めばいい。本当に困れば助けを求めて来るだろうし、それまで待つしかないのではないか。

戦時中の出来事だから慰安婦問題が全くないとは言わないし、南京虐殺だって少しはあったろう。戦争そのものが殺し合いなわけだから、どの場面を切り取っても、敵から見れば「憎たらしさこの上ない」という地獄絵図に見えるのは仕方がなかろう。

味方の正論は敵の悪論であり、敵の正論は味方の悪論と解釈されるのは当たり前である。何を言っても理解はしてもらえないのだ。だから付き合わなければいい。日本に好意を持ってる友好的な国はいくらでもあるではないか。どうせ支援してあげるなら、そういう国を支援してあげた方がいい。

韓国は日本に統治された三十六年間のことを、祖国最大の屈辱のようにいうが、実際には中国に屈辱された事実の方が百倍も大きいはずなのに、中国には賠償を求めたりはしない。それは吸収こそされなかったが、臣下として長く仕えた歴史が、「恨」はあっても逆らうだけの力を削がれたからであろう。

一方、日本に対しては同等もしくは島国という差別的な気持ちがあって、その島国から占領されたという屈辱感が忘れられないのではないか。しかも日本は韓国の宗主国であった中国にも勝った歴史があるし、大国ロシアにも勝った歴史がある。日露戦争の動機など、ロシアが朝鮮半島に攻め込んだことで、それを守る為に戦った戦争ではなかったか。

それを言い出したら切りが無くなるから、負けた日本は「敗戦の将、兵を語らず」を貫き通してきたのである。別に韓国と戦争して負けたわけではない。

その語るべきところも語らなかった日本政府の落ち度が、韓国を調子に乗らせた部分もあるだろうし、外交で行った代表が女と金で接待まみれにされてふにゃふにゃにされたとか、ODAで援助した金も紹介政治家が当たり前のようにバックを貰って来た、というような歴史もある。金丸信の自宅をがさ入れした時、ある筈のない北朝鮮の金塊が出てきたというのは有名な話である。

その時々の政治家のトップが自分(自国ではない)に都合のよい政治をしてきたのは事実であろう。それは日本だけではない。韓国のトップだって同じである。

合意した当時は合意しなければならない事情があっただろうし、国の総意として合意したはずだ。韓国の総意と認めなければ、日本が金を出すわけがない。それを大統領が変わる度に、違う解釈をして日本に善処を求められても、答えようがなかろう。

だから放っておけばいいのである。過剰反応するから相手も「もしかしたら」と期待するのだ。物言わぬ国民の「嫌韓七十五%」と言うのが正直な国民感情だろう。

▼韓国では安重根という青年が英雄である。私も韓国人であったら、安重根を尊敬しこのように生きたいと思う一人であったろう。

だが、残念ながら私は日本人のため、ただの殺人者としか思わない。何故なら彼は、日本では歴史に名を残すほど国民に尊敬された伊藤博文を殺した犯人だからである。 かように「好き、嫌い」、「敵、味方」というのはその人の国籍や立場によって認識は違ってくるのである。

その安重根の記念館が射殺現場であった中国ハルビンの駅内に開館されたという。 「何故今か」と喧騒を煽るマスコミもあるが、私の見解は一国だけの批判では日本の反応が鈍いので、相乗効果を求めて中国も相乗りしたのではないかと考える。

いくらなんでも「靖国神社内政干渉問題、慰安婦問題」だけで七十年も(金を毟り取る為に)引っ張るのは無理がある。だから、二国共同作戦に出たのだろう。中国と韓国は元々宗主国と臣下という関係であったわけだから、対日本に対する関係より、長く知り合いの関係であったのは間違いない。

そういう関係から言えば、中国のハルビンに韓国の英雄の記念館が建っても、さして気にする必要もないのである。韓国が安重根を英雄視しようが、日本が負けた日を勝利記念日としようが、その国が決めたことに口を出す必要もないし、敵国(戦ったわけではないが)として、当然の結論である。

だから日本も他国の歴史に感化されずに堂々と日清勝利記念日、日露勝利記念日、日韓併合記念日でも作っていいのである。それは、その当時の国の政治がやった事実であり、勝敗もまた歴史に残っている事実である。

私は個人的には、殺人者ではあるが安重根は立派だなと思っている。私欲ではなく、国の為に命を捧げる行為というのは、特攻隊と同じである。

韓国民が国を挙げて、彼の行為を誇りに思うことこそ、日本国も日本人も見習うべきで、今からでも遅くはない、国の為に命を捧げた人たちの銅像を堂々と建立すべきである。外国から一切の苦情を受け付ける必要もないのである。

▼孫正義の自叙伝を書いた佐野真一氏は、同じく自叙伝を書いたつもりの橋下徹大阪市長からは思いの外、大反撃を食らって撤退した。衝撃度という意味においては孫正義自叙伝の方が遥かに強烈だった。では何故孫正義は黙って書かせたのか。

そこら辺の成金社長ならビジネスや交友関係に大打撃を受けたろう。それに今までのは在日成功者は極力自分の身分や本籍を隠してきた。日本で仕事をする上では、やはり何かしら影響するのだろう。

ところがソフトバンクは若者に支えられている。若い人は国際感覚が優れているから、あまり日本人に固執しないところがある。自分が生まれた国に誇りを持ち、歩んできた過去を隠す必要もないし、生い立ちを晒すことで解放されることもある。

もう個人商店ではないので、自身の出自で会社に影響を与えることはないという読みがあったのだろうか。確かに最近は芸能界においても、自ら生い立ちや出自を公表する者が多い。時代も変わっているのだから、在日だからという差別はもう止めるべきだろう。不正や疑惑に対する問いかけならいい。明らかなヘイトスピーチは慎むべきである。

何故なら逆に在日犯罪を隠蔽することになりかねない。一般の在日は犯罪には関係ない。真面目に働いてる人を批判の対象にしてはならないと思う。佐野氏と朝日新聞出版社は明らかに橋下市長に敵対意識を持っていたのか、そのタイトルからして「ハシシタ・奴の本性」とは確かに失礼過ぎる。橋下をわざわざハシシタと書き、「奴の本性」とは最初から喧嘩を売っている。

私なら「彼の出生の秘密」ぐらいにとどめる。故意のヘイトスピーチは日本の国益には適わないだろう。歴史的認識の違いや領土問題に関しては、主張に遠慮はいらない。味噌も糞も一緒の発言は注意すべきである。

▼ある所で八十八歳の女性と六十五歳の女性が居た。そこに六十二歳の男性と四十一歳の男性が居た。八十八歳の女性が掃除し過ぎて昨日から腰が痛いと言ったので、「病院から貰ったロキソニン湿布があるので貼ったらいいですよ」とあげた。

そして六十二歳の男性は、その場で上半身裸になって、首と肩に湿布を張ってもらった。そして八十八歳の女性に対して、「腰の痛い部分に早く貼ったがいいですよ」と勧めた。

そしたら八十八歳の女性が「私たちは男性のいる前では肌は見せられないのよね」と言った。まさしく日本の教育を受けた日本女性である。

一方で、旅の途中三十代と思しき女性が五歳と二歳ぐらいの子供を連れて駅のホームにいたのだが、下りのエスカレーターを昇って遊んでいるのに注意もしない。見かねて私が大きな声で注意した。

母親は怪訝な顔をするだけで、「申し訳ありませんでした」とは言わない。今度はホームを走り回っている。電車が来ると黄色い線より内側から覗き込もうとしている。まだ二歳の子である。足元がふらふらしている。線路上に落ちたら大変なことになる。バカ親だから全く注意する気配はない。

それでも事故が起こったら、親の責任よりも駅側の安全面に問題はなかったかと、今の日本では問われるんだろうなー、と思いながら眺めていた。やはり子供を育てるのは若い夫婦だけでは難しい。

経験豊かなおじいさんやおばあさんが必要なのである。子育ての段階で親からは気付かないこと、言い辛いことでも、黄昏て行く熟年世代なら、孫に教えてあげることができる。やはり家は三世代で住んだ方が子育てには適しているようだ。

ただその前に一代、二代のライバル関係である嫁、姑問題をクリアしなければならないけどね。

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