敬天新聞6月号 社主の独り言(辛口)

(敬天新聞6月号)


▼今は嫌韓感情が七十五%だそうである。それに伴って、あれだけヒットしたKポップや韓流ドラマもブームが去った。熱し易く冷めやすいという国民性なのか、反日声明を繰り返す韓国に対して嫌気がさしたのかはわからない。

私の場合は今でも韓国王朝時代劇ドラマが大好きである。たいていの場合、王様の側室の子として産まれた子供が、貧しさに耐えながら、虐げられた国民の英雄となって戦い、国を救うという物語である。

究極の敵は勝てない大国、中国である。圧倒的な力の差で、所詮は焼石に水ではあるが、悪党中国をきりきり舞いにするところが痛快なのである。そして必ず魅かれるのが、主人公の女性である。朱蒙のソソノ、イ・サンのソンヨン、トンイ。

不思議なのは回を重ねるごとに綺麗に見えてくることである。トンイなど最初は全く普通の女性にしか見えなかった。ところが最近、綺麗なこと綺麗なこと。人は売れてる時は何で輝いて見えるのだろう。売れなくなると、また普通に見えてくる。

売れてる時は対象者が本当に綺麗になっているのか、こちらの見る目がひいき目にみているのかわからないが、本当にそう見えるから不思議だ。

韓国時代劇ドラマのいいところは濡れ場を一切見せないこと。お互いに気持ちを具体的に言葉に出したり、態度に出したりしないで、思いをわかる設定だから、家族で安心して見れるのである。

時代劇ドラマではあれだけ「大人の対応」ができる主人公たちがいるのに、現実の韓国の主人公たちが取る対外政策は、何とも子供じみた対応に見えて仕方がない。

また旅客船沈没事故では、現実の韓国社会の歪みがむき出しになった。しかし、他国である日本が何かを言えば感情をむき出しにして嫌がる。例えば、金慶殊という東大出で、東海大学准教授の女性がいる。

客船沈没事故で今、官僚の不正、癒着等、韓国社会の矛盾が噴き出ているが、そのことも原因の一つであると、韓国のメディアが解説してるのに、日本人が同じことを言うと金先生は納得できないようだ。

わからないでもない。家族で「うちの親父はどうしようもない親だった」と親父の悪口を言っても、知らない他人に「そうだよ」と言われれば「何でお前が言うんだ。うちの親父はそんなに悪い親父じゃなかった」と言いたくなる。自国の文化批判を他国の者に言われたくないのだ。

金慶殊先生も大久保の韓国人占い師「さかなちゃん」には「美人で頭がいいからと言って、庶民を見下げて物言うな」と噛み付かれていたけど、生きていくってなかなか難しいねー。

東大名誉教授の姜尚中先生見たいに落ち着きが欲しいね。

▼韓国が三流国家であることは、ある程度わかっていた。ヨーロッパに比べアジアが文明において、遙かに遅れているのは歴史が証明している。

アジアの中では、いち早くヨーロッパ文明を取り入れたのが、日本だった。日本が歩んできた歴史が全て正しいとか正当化しているのではない。その時々の天下を取った者が国を動かして来たわけだから、間違いや行き過ぎという政治は多いにあったはずである。

先ずトップになるにあたって、必ずしも優秀で勇気があって、思いやりも優しさも兼ね添えた人物がなったかどうかわからない。策略や知略に長けた腹黒い者がトップに立った時代もあったかも知れない。

しかし、その国でその人がトップに立てば、国民はその人の命令に従わざるを得ず、またその時代の対立する国とも戦わなければならないのだ。

歴史はトップを取ろうとする者達のために、悲劇を繰り返してきた。欲を持った「人」の集まりで国が形成されている以上、形は変わっても、これからも永遠に過ちは繰り返されるだろう。

韓国が言う戦争時代の「従軍慰安婦問題」であるが、男と女の生態系を考えれば、そんなに稀な出来事ではない。今でも売春や買春は普通に行われている。

それも買う側は男で、買われる側は女である。時代が変わって稀に女が男を買う場所もあるようだが、本当に稀である。体の構造が男と女では全く違う。

一握りの中性や逆の構造を持つ者もいるが、基本は男と女に分けられる。今の世でもルールを守れなくて強姦をする者はいる。

ましてや戦争時代に、勝った国が負けた国の女性を性奴隷として連れ帰るということは普通にあった。韓国は何故日本だけが特別のように言うのかわからない。

今ベトナム戦争に参加した時の韓国軍のベトナム女性に行った性侮辱も問題になっている。人は誰も聖人君子ではないから、何事も程々がいいのである。

アジアの国は公衆道徳を守るとか、法令を順守するとかいう気持ちが遅れている。幸い日本は神道が根付いたせいか、神代の昔から決まりを守る習慣があった。

守れない者には一定の罰を課した。村八分である。それでも、どんなに悪党でも葬儀と火事の時だけは協力しようという村の決まりだった。

家族のなかでも大黒柱の長は、一家の中から社会に迷惑をかける者がいたら、社会が納得する責任を取った。恥を知る国民でもあった。日本とはそのような歴史・文化を持った国なのである。

文化が違うから理解しづらい外国もあろうが、外交の目的の一つは「自国が優位に立つ」戦略なわけだから、納得しかねるものには、頑として拒否も必要なのである。

▼なぜ日本で民主党や社民党が受け入れられなかったのか。それは実現不可能な話を可能なように持ち出したこともあるが、一番の理由は「犯罪より人権を重く考える」からだろう。人権の重要さはわかる。

だが、犯罪の被害者からすれば、犯罪者こそ憎むべきで、犯罪者を救うことを優先した考えは、一般には全く理解できない。

犯罪を犯した以上、その国の憲法や法律で決めてある、ある一定の処罰を受けた後、人権問題を問われるべきであって、犯罪より先に人権を優先されれば、口には出さないけど、国民は感情として許せないと思う。

勿論犯罪の内容や犯罪者個々にもつ事情も違おうが、情状の酌量は裁判官の裁量であろうから、支援する気持ちがあればその時、協力してあげればいいだけの話である。

何故唐突にこういう話をするかと言うと、民主党にも社会党にも健全な野党として頑張って欲しいという気持ちがあるからだ。一党独裁のガリバーになれば、人も組織も驕り高ぶるところがある。そういう意味では健全野党は必要である。

自民党の驕りに対して、民主党に代わっては見たが、夢の様な話ばかり広げて、結果は嘘ばかり。その嘘の多さに国民は呆れてしまった。

あれは自民党出身である小沢一郎を過大評価し、与党経験のない党員が振り回された結果だった。

汚い話は誰もしたくはないが、美味しいものを食べても不味いものを食べても排便排尿があって、初めて健康であるのだ。人は排便排尿の部分を語りたがらない。

一番酷かったのは鳩山由紀夫だった。あそこまで出来もしない綺麗ごとばかり言うバカは本来総理になる資格などなかった。その地位に就いたら、その地位なりの覚悟が必要なのである。

地位は欲しいが覚悟は無いという輩が多すぎるのである。私は時代に即した改憲は必要という考えであるが、護憲を唱える人達は、それはそれでいいと思う。

国と言えども一億人が一つの考えで纏まることなど有得るわけがない。どこかで線引きや強制的に決めなければいけないことは全てにあろう。あとは優先順位の問題である。

小泉元総理が「反原発」を言い出した。突然の翻意のようにも思えるし、過去の言動や歩んできた足跡から見て、国民への裏切りのようにも見える。だが、人であれば歳と共に気持ちが変わっても何も不自然ではない。

我々が知らない辛い経験をしたかも知れない。それと一番はもう全てをやり尽くした満足感もあろう。食う心配もいらないだろう。

今までは政治闘争の中で、汚いことも山ほど見てきた。或いは自らやってきたこともあるかもしれない。その禊として生涯を平和に捧げたい。そんな境地に達したのかも知れない。

一人一人が心に考えを持っている。どんな立派な考えを持っていても、人はその前に食って行かなければ生きていけないという現実がある。一緒になる相手に振り回される人生もあるかもしれない。

私は外国人犯罪者の追放を訴えている。日本は犯罪に対する罰則が軽く、生きて行くだけでも大変な国から見たら、犯罪者天国に見えるそうだ。

仮に捕まっても刑は軽いし、雨露凌いで布団に寝れるし、三度の食事付き。強制送還される時も、金がなければ飛行機代も出してくれる。うまく騙せば生活保護費まで用意してくれる。そんな輩がうじゃうじゃいる。

一般の在日を差別する気持ちはサラサラない。犯罪を犯した者を強制送還するべきだと言っているのだ。そうすれば確実に犯罪は減る。抑止力にもなる。そして二度と日本へは入国させない。その基準は実刑以上にすればいい。

これは差別ではない。何処の国でもごく普通に取り入れてる法律である。犯罪者に人権はいらない。犯罪より人権を重んじるべきではない。

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