(敬天新聞12月号)
▼安倍さんは何故、突然国会を解散したのだろう?何か特別な理由があっての解散なら指示されようが、任期も半分残して、しかも意味がわからない理由なき解散なら、自身の政治生命を縮めるだけである。
自身の政治生命を縮めるだけならいいが、総理の言動には国民の生活がかかっているのだ。今回の解散は、前回、安倍さんが総理職を投げて逃げた時を彷彿させる。決していい印象ではない。
私は経済行為に疎いので、アベノミクスが何なのか、3本の矢が何なのか、そのアベノミクスが上手く行っているのか、行ってないのかは詳しくはわからない。
何でまだ就任半ばにして、結論も出てないうちから、逃げるようとするのか。私自身はちゃんと必要なものに税金が使われるのであれば、消費税が10%になるのは仕方がないという考えである。
だが、景気の回復が予定より遅いというのであれば、「消費税を上げるのは3年後からとする」と宣言すればいいだけの話ではないか。
今回の解散は野党に対しての解散ではなく、与党の中での反対者を鎮圧するための解散なのか?自分で決定できない事項だから、国民に決めて貰おうという解散なのか?一国の総理がそんな弱気でどうする。
野党がバラバラだし、まだ2年前の民主党の不様な印象が国民の脳裏に強く残っているから、自民党の大負けはないだろうが、あまり選挙を小細工に使えば、国民は反発し、かえってやりにくくなろう。
あれだけ人気のあった橋下大阪市長も自分の意見が通らなくなると、直ぐ選挙という風に選挙をやり過ぎて、指示が落ちてきた。
だが、心の強さでは、安倍総理を上回るものがある。自民党は2年前の総選挙で大勝した。国民が自民党に期待を託したのだ。
その選挙で国民に公約したことに向けて自信をもって、臨めばいいではないか。靖国神社にも堂々と行けばいい。亡くなった人に対する死生観が違うし、利害が相反する国や批判する国は、何をやっても批判するものである。
その証拠に、それ以外の国とでは、何一つ問題はないではないか。近隣国との悩みというのは、世界中の何処の国でも、同じような問題で頭を抱えているのだ。
ただ中国の近隣、国境に対する態度は昔から、典型的な弱肉強食型だから、配慮や遠慮は「隙を見せたこと」に繋がるので、戦ってでも押し返さないと、強奪されてしまう危険性がある。
小笠原諸島の珊瑚密漁など「泥棒行為」は撮影して世界中に流した上で、全員逮捕して船も没収し、珊瑚も取り返すべきなのである。単発的な小競り合いにはなっても、そのぐらいで本格的な戦争には発展しない。 仮に小さな戦争状態になっても、一方的に日本が圧勝するだろう。損失は断然、中国が大きいはずである。
それがわかっているから、中国は日本に対しては「口喧嘩」や「いやいやな握手」のようなパフォーマンスしかしないのである。自衛隊を軍隊に格上げするだけで、無言の圧力となる。
物言わぬ国民ではあるが、意外と安倍さんの剛腕に期待している人は多いのである。
▼中国の密漁船が日本の領海内に我が物顔で入って来て操業しているらしい。威嚇しないから、調子に乗っているのである。中国という国は昔からそういう国である。
何も注意しなければ、厚かましくもだんだん当たり前のような態度で近隣に迷惑をかけてくる。 しかも中国自身は迷惑をかけているという自覚はない。それが外交の戦術と思っているから、悪びれた様子は欠片もないのだ。
そんな 国を相手に配慮だの遠慮などしてたところで、相手に理解してもらえるわけがない。単に戦略もない、戦う勇気もない、と思われるのが関の山である。
中国は、もうすぐバブルが弾けて経済的に混乱が起きる。その時、助けないことである。
今日の中国の発展に一番寄与したのは間違いなく日本の財力と技術力であった。真実は協力とか寄与とかいうものではなく、恫喝であったり、恐喝であったのは間違いない。
何で、恐喝されなければいけないのか?戦争が終わって70年も経つのに、いい加減目を覚ませと政府に言いたい。物言わぬ国民ではあるが、中国のわがままにはもう辟易しているのである。
中国にODAを持って行って、キックバックを貰ってたような政治家等は名前を公表し、糾弾すべきである。中国は周辺国からも嫌われている。 弱者と見たら、すぐにつけ込み力で征服しようとする。中国に苛められてる周辺国は、日本の経済力と対決力に期待している。
中国との貿易がなくなっても、日本に好意を持ってる周辺国と付き合って行けば十分採算が合うようになるはずだ。 昔の中国ならともかく、共産国家である中国とは日本文化は肌が合わない。
無理に合わせる必要もない。共産国には人々を守る法律はない。 矛盾だらけの党を守る法律しかないのだ。
だから日本の超一流と言われる政治家でさえ100億残すのは至難の業なのに、中国ではベスト9に出世すれば、資産が一兆円になると言われている。ただし、失敗すれば死刑が待っている。
中国特有の「黄砂」には困ったものである。周辺国は多いに迷惑を被っている。しかし、中国が怖いのか何も苦情を言わないし、保障を貰っているとは聞いたことが無い。
この原因を日本が作っていたらどうだろう?考えるだけでも怖くなる。四方が海に囲まれた、日本の環境にただただ感謝するのみである。
▼最近、独り言の辛口が甘くなったね、と言われることがある。新聞も、昔ほどきつくなくなったとも言われる。
私自身が歳をとったこともあろうが、時代も変わってきているのだ。また無名の時と責任感も違ってくる。読み手はそこまで考えない。
ただ面白いとか、いやこれは違うとか、批評すればいいだけだから、無責任なことを言えるが、書き手は一歩間違えれば直ぐ訴えられるリスクが常に付き纏うのだ。
酒を飲んで、そこらへんで言いたいことを言うのとは訳が違う。色んな考えを持つ人達が見るわけだから、記事を発表した時点で自ずと敵味方を作ってしまうのである。 私がこの業界に入ったばかりの頃、右も左もわからず、当時のブラックの帝王と言われた国会タイムスの五味氏を叩いたことがある。
五味氏のような大物からすれば最初は全く気にも留めなかったことだろう。放っておいても大して影響力もないだろうと言う思いもあったろうし、「金持ち喧嘩せず」という思いもあったろう。
だが一方で普段五味氏に苛められていたような人たちは、ここぞとばかりに五味氏のマイナス情報を持って、私を煽りにくる。
私は相手の打撃になる情報なら迷わず書いた。その頃は無名でもあったから、怖いもの知らずである。その結果、ボディーブローは必ず聞いてくる。
成功すれば、三段跳び、五段跳びにブラック名は売れるかもしれないが、失敗すれば返り討ちに遭って奈落の底である。そういう時、煽った人たちは真っ先に逃げてゆくのである。
何の世界でもそうだが、駆け出しは少々煩雑で荒っぽくても許される。またそのくらいの元気がないと認めてもらえないところがあった。一方で歳を取ると、それなりの常識が付いてくる。
世間の波風に晒されて角が取れ、丸みも出てくるのは仕方がない。昔は万年野党を宣言して、「戦う新聞社」という称号を頂いたこともあったが、「あと何回、正月を迎えられるかねー」という人が周りに増えてくると、涙脆くもなるのである。
あと一か月で今年も終わる。例年のように、「来年こそは」を実現できないまま、今年を迎え終わろうとしている。
大抵の人がそのようにして、一年を終わるのであるが、実は生きてることに感謝ができれば、少し成長を感じるかもしれない。 生きてることで、周りに勇気を与えた。生きてることで喜んで貰えた。生きてることで御礼ができた、とか。
今年も一年間ご愛読頂きまして誠に有難うございました。
皆様にはぜひ、夢のような新しい年を迎えられますよう祈念申し上げます。 白倉康夫拝