敬天新聞2月号 社主の独り言(甘口)

(敬天新聞2月号)

▼今年に入って、私より若い知人が二人も亡くなった。一人は長崎県の雲仙市長をやっていた奥村慎太郎氏である。高校の後輩にあたる人だったのだが、若手の中では県下では最も政治家として有能な人だった。

雲仙市長を途中で辞めて、国会議員に立候補したのだが、県連自民党の権力争いの犠牲とも言うべきか、本人が望んだ自民党から立候補ができず、維新政党から立候補したため、票が伸びなかった。

田舎では人材よりも組織や党の力学が働くため、貧乏くじを引いたような結果になってしまった。これもまた彼の運命だったのだろう。

もう一人は柔道家の斎藤仁先生である。斎藤先生には南有馬少年柔道部の四十周年の時、わざわざ南島原市南有馬まで来町頂いて、少年柔道部を指導頂いた。

今年があれから丁度十年経過した五十周年に当たる年で、もし、斎藤先生がお元気でしたら、再度お願いしようと考えていた矢先だった。山下選手が強かった時代に、唯一好敵手と言われたが、一度も勝てず、国士館柔道部として悔しい思いをしたことが懐かしい

しかし国士館柔道が世に知れるようになるのは、斎藤先生たちの時代からであって、勿論育ての親である川野先生を抜きにしては語れない秘話ではあるが、その後には有名選手が続出したのである。

確か「剛毅木訥」が座右の銘で、直筆で書いてもらった字をTシャツにプリントし、子供たちにプレゼントした記憶がある。斎藤先生記事を見ながらせめて救われたのは、ご子息が強い遺伝子を引き継いでいるという話だった。父を凌ぐ大選手に育って欲しいと願うのみである。

今ふと思い出したが、もう十四、五年も前だろうか、私の同期の主将でもあった中野君も大学で柔道を教えていたが、若くして癌で亡くなった。斎藤先生と同じ青森出身だった。

彼の通夜には、レスリング金メダリストの伊達治一郎君と二人で、二人とも作業服のまま出かけた。傍からは異様に見えたかもしれないが、そういう関係だった。早かれ遅かれ人はいずれ命が亡くなる日がくる。

若くして惜しまれながら逝く人。人生を全うして逝く人。その途中の人。人の死は様々である。必ず迎えるその時は悲しみに暮れようが、過ぎてみれば、その差にさほどの違いはない。精々長くて高々百年なのである。子供の時は長かった一年も、歳を取るに従って、その短さは秋の夕陽の如くである。

昔の権力者がその座から降りる時、山奥深く隠遁するとか、剃髪して寺に籠るというのは、現世で持っていた権力や欲や怨念の全てと決別するためだそうである。力が無くなっても、そこに留まっていると、見たくない者も見えてくるし、また誰かが訪ねてきて、その力を利用したりする。

そういう一切の現世を絶つということである。死ねば嫌でも現世とは切れることであろうが、生きて現世を絶つとは、禅問答のようなものである。

永く家系が続いている人も、途中で家系がわからない人も、入り混じった家系の人も、元の元はわからないけど、みーんな繋がって歴史なのである。合掌

▼世界の警察を自認するアメリカは何処の紛争にも介入する。その勇気と犠牲的精神、行動力には敬意を評する。

しかし、介入した後の治安が安定し、国が成長したという点では成功例は日本ぐらいしかないのではないか。ベトナムは抑えきれなかったし、アフガニスタンもイラクも政治不安は解消されていない。

嫁に行った先の文化・土壌に馴染んでしまう雌と違って、縄張り(祖国や郷土)を守ろうとする雄とでは本能的に全く違う動物だから、根絶やしにしない限り、争いの芽は摘めない。

ユダヤとイスラムのように、二〇〇〇年を経て再戦争が起こるのが雄の世界である。この心理は雌にはわからない。それを力で押さえつけようとするなら、北朝鮮のような恐怖政治で支配するか、反対者を全て皆殺しにする以外に方法はないのである。

しかし、自国の方針に従わない者を全て殺してしまえば労働者はいなくなるし、貢ぎ物もなくなる。食物の循環連鎖がなくなり、弱肉強食の強だけが生き残り、やがて強の争いが始まり、全てが死滅するのである。

強い闘将が現れ、その国を治め、また周辺国を治めるような出来事は、歴史上どこの国にもあったことだ。だが、それらは永久には続かない。それは長い年月には驕りや慢心が出てくるだろうし、代を継ぐ者が初代のように優秀かどうかもわからない。

或いは虐げられた者の中から、また闘将が現れ、それに憧れる志願兵も出て来よう。一代を作ることは本人の努力で可能でも、代々というのはそんなに簡単なものではないのだ。

雄が本能的に「闘争心」を持ってる以上、人間社会と言えども争いはなくならない。それは法律であっても、暴力であっても、全てを抑えることはできないのである。

制圧したように見えても、それはあくまでも一部であり、表面的なものであって、心の中までは制圧できないのである。

例えば殺される状況にまでなれば、踏絵さえ実行し、密かに時機を待つ人もいよう。しかし、大半の人は恐怖におののき、勝った方に流されてしまう可能性が高い。

そして、国民は真実を知らされないまま、右に左に翻弄されることはよくある。

それが、歴史が繰り返してきた大罪であり、愚かにも世界中の何処の国でも体験してきた真実なのである。知る権利は大切である。

しかし、知らない方が良かったこともある。為政者は常にベストの状態を心掛けてると思う。だが、十人十色の考えをどうして納得させると言うのか。誰が決断を下しても不平等にはなるのだ。

決断を下せないような時でも、決断を下さなければならない。世の中は程々がいいのである。

もし為政者が、国民が信頼する政治を行いたいというのであれば、先ず、政治家、官僚の税金の無駄使いと不正に対して、厳しい罰則を設け、実践すれば、国民は政治に拍手喝采を送るであろう。

▼私の好きな公園シリーズである。平日の昼間公園の周回コースを歩きに行くと、十名以上の人が公園を歩いている。よく考えると平日の昼間健康管理と運動不足のために公園を歩いているということは現役をリタイアした人とか、年金生活者ということになる。

当然相手も私に対して、そう思っているはずである。私は、歩きながら原稿の案を考えるのが好きだから、も兼ねての運動散歩なのであるが、それは言い訳で、間違いなく、その域に達してきているということを最近つくづく感じるのである。

公園を周っていると必ず目につくのが、年配の方が、運動しているのか、遊んでいるのか分からないような動きをされている場面に出会うことがある。今の私の年代になると、あれも今できる懸命の運動なんだなーということがわかる。

しかし、子供たちから見ると何をしているのかがわからないのではなかろうか。自由に走り回れる子供達には、不自由な体の動きは理解できないであろう。

歩いてるだけで転んでしまうとか、転んだだけで骨折するとか、というようなことは、ついこないだまで全く理解できなかったことである。

腰が悪いせいもあるが、最近長く立っていると足が痺れてきて、感覚がなくなりバランスが取れなくなる時があるのだ。

人は、その場面を経験して初めて理解できるようになる動物なのである。剣豪宮本武蔵も天下を取った徳川家康も、年老いて身体が自由に動かなくなったとき、おそらく同じようなことを考えたのではなかろうか。

最近つくづく、人の一生なんて勝敗や成功、不成功なんてないんだなーと思う。若い頃は、あの人は凄いとか、あの人みたいになりたいとか、思いながら頑張った時代もあったけど、定年時代になってみると、神様との対話が多くなり、競争力も衰えてくる。

体力、気力が萎え、知力まで衰えてくる。こう考えてみると、意外と人生の勝者なんて「そこのアナタ」かも知れませんね。あっちで怒られ、こっちで嫌味を言われながらも、黙々と家族を守り育て、子供たちから「うちのお父さんが世界で一番いいお父さん」と感謝されてる、そこのアナタ。

手を挙げてるあなたではありません。その右隣の人。そうアナタですよ。還暦を過ぎたら初心に還って、家族で祝う正月がいいですなー。

無事是名馬と言うじゃありませんか。知名度があっても、腐るほど金を残してもあの世に持って行けるわけで無し、また死に急がなくても、いずれ人は死ぬ。

程々に衣食住があって、健康で、隣に手を握ってくれる家族と友がいてくれれば、他に何を欲しようか、と言うぐらいの環境が一番幸せかもしれないですね。

敬天新聞社は今年も「名もなく貧しく美しく」をテーマに、ささやかに生きてる人たちを応援します。

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