よくある親の相続争い亡き母の遺言状の真贋

(敬天新聞5月号)

相続争いの相談

母親の遺言の真贋を争って遺産相続をしている兄弟がいる。先に書かれた本物の遺言状と、よくある後から出てくる遺言状の筆跡が違うという話である。

後から出てきても、筆跡が違っても内容が余り違わなければ、大騒ぎになることもない。だが、相続争いに発展する場合は、大抵が内容に大きな違いがあるからである。

なぜ、最初の遺言状が本物と書いたかと言えば、その遺言状に関しては遺産相続権利者が全て「本物」と認めているからである。問題の後から出された遺言状は確かに素人目から見ても「ん?」という感じである。内容が違い過ぎるからだ。

本物には、何ページにも亘って細かく遺産を分けてある。毛筆で書かれ、しかも書き終えた物を封書に入れ、封をした封筒に署名をしている。

ところが後出しは、一枚の便箋にボールペンで書かれ、封もせず封書には何も書いてない。どう考えても不自然さが漂うが、裁判の結果は、偽造であると訴えた弟が敗訴している。

ただ、弟が言うには、裁判所に「お互いの出した筆跡鑑定書ではなく、裁判所が指定する第三者の筆跡鑑定人に見て頂きたい」と何度もお願いしたが、却下されたという。裁判所も内容の不自然さは認めている。 しかし、それを持ってしても偽造とまでは言い切れない、という結論である。 当紙は相談者である弟に「貴方の話を聞いてくれる人はいません。裁判で負けてることが全てです。裁判の結果が世の中の判断の全てです。」と言いながらも、持ち込まれた資料を読んでみた。

弟は、筆跡鑑定にばかりこだわっているが、兄の会社の隠れた事情が、少なからず絡んでいる話であるようにも感じた。

そこで「どのような結果が出ても逃げない覚悟があるなら、世間に問うてみましょう。」と覚悟の程を確認したところ意志が硬かったので書くことにした。読者の皆さんにも判断して頂きたい。

この話は、過去に匿名で記事にされたことのある話だ。それでも当紙が取り上げた理由は、これまでの記事は「裁判で負けた話」ということもあって深く掘り下げておらず、1・実名で書いてないため分かりにくいこと、2・母親が残した日記が、敗者の弟を気遣い続けている内容であり、勝訴し財産の多くを手に入れた兄を批判し続けていることにが気になったからである。

この弟の名は三宅輝義という。兄の名は三宅勉で岡山県井原市で、コンビニ弁当の容器を製造する会社を経営しているそうだ。

勉に怒り、輝義を心配する母の日記 (クリックすると拡大します)


本当の遺言

最初の遺言状は、書き終えた後、弁護士の先生に預けていたもので、先生によって開封されたものだから、本物と認めざるを得ない。しかし、遺言状は日付が亡くなった日に近い方が優先されるから、後から出された遺言状に効力がある。

ただし、今回の後から出された遺言状は、勉氏側に付いてる姉の前で、母親本人が書いたものを姉が預かり、銀行の貸金庫に預けていたのを後に勉氏に渡したというものだ。通常、遺言状の争いは、こっちが本物であっちが偽物という争いだ。

今回の場合は、後から出した物が本物かどうかが争われた。最初の物は、弁護士立ち合いのもと詳細が書かれているので否定しようがない。問題の後から出した遺言状は、入院中の亡くなる半年前に、一枚の便箋に書いた簡単な物という不自然さが先ずある。

しかも内容は本物の遺言状の追加ではないのか、というような代物だ。最初の遺言状は、兄の勉氏に不利な遺言になっているので、書き換えて貰いたくもなるだろう。

しかし、遺言状は封がしてあって、亡くなるまで見れないわけだから、内容は読まれていない。しかし、母の世話をしていたという姉は世間話として、遺言状の話を聞くことがあったかもしれない。

それでも、母親の日記には「輝義が可哀想でならぬ。それに比べて兄の勉は、同じ兄弟とも思えぬ非情さ。いずれ天罰が下るだろう。」と何回も書いている。

兄の勉氏が「天狗になって聞く耳を持たぬ」ともある。その理由は、家族でスタートした会社を中興の祖として大きくしたという自負があるようだ。

しかし、母は「勉(次男)が大きくした功績は認めるが、元々は夫である昇が創業し、その後を継いだ祐一(長男)が頑張り、輝義(三男)が営業広げたから、今の繁栄があるのに、自分が一人で会社を創り大きくしたような態度で、三人の悪口ばかり言って、会社と財産を一人占めしようとするのは許せない。

どこまで欲の皮が張っているのか」という思いを日記に書き残している。そんな気持ちを抱いてる母親が、とても書き直したように思えないのである。

有価証券売買契約書 (クリックすると拡大します)

金銭消費賃貸契約書 (クリックすると拡大します)


不自然な株の譲渡

ところで、裁判所でも不自然と認めている株の売買契約書がある。母親が全体の8分の5を輝義(三男)に渡すと書かれている「中国パール化成株式会社の株」についてである。

最初の遺言状は細かく内容が書いてあり、四人の子供たちにある程度平等と思われる内容と成っている。 しかも遺言の執行者として弁護士名が書かれ、その弁護士の万一に備え、次の弁護士まで指名してある用心深さだ。「中国パール化成株」に限っては、他の三人に八分の一づつと書いてある。

しかし、他の三人にはそれ以外の株券や現金、預貯金を平等に分け与えてある。ところが、この輝義氏に8分の5贈与されるはずだった母親名義の「中国パール化成株」を、なぜか突然母親が売買契約書に署名捺印して売ってしまう。 その日も母親は入院しているのだが、昼食後自宅に帰った時に、問題の遺言状を書いている。しかもこの日、一日に全てが集中している。

午前10時半に取締役会議が開かれ、母親(三宅公子)の株を勉氏の妹(八子氏)の夫の弟である金森勝彦氏に譲渡する決議をした。一株の値段は5万円と決められ、全株譲渡金は5億6500万円だった。

金森氏は一介のサラリーマンだから金はない。そこで、全額会社が貸すことの決議も同時に行われた。ここで交わされた、三宅勉氏と義理弟である金森勝彦氏の金銭消費貸借契約書があるのだが、最後の文言に「この契約を証するため、本書一通を作成し貸主がこれを保有する」とある。普通は「本書二通を作成し」と書き、お互いに持つようにする。

これでは形だけの契約書で、金森氏はダミーということではないのか?。その日に中国銀行井原支店の金森氏の口座に5億6500万円が振り込まれ、その5億6500万円を引き出し、その日に同じ支店に開設された三宅公子(母親)の口座に、金森氏から送金されている。

またその日に三宅公子氏の口座からも売買に関しての税金相当額が引き出されている。

母親は午前中は病院で、午後2時までは後出しの遺言書を書いていたらしいが、銀行の業務時間も考えると、売買契約書にサインしたり、株の値段を決めたり、振り込まれた金の中から、売買にかかった税金分の金を引き出しに行くことが可能なのか。

これら全て書類上は8月29日となっている。あまりにも不自然ではないか。不正を裁くのが法であるが、法が不正を守ることもある。

これは人の世の常ではあるが、人は天を欺くことは出来ない。非理法権天である。いつまでも勝者ではいられまい。


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