敬天新聞10月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞10月号)


▼潘基文国連事務総長が中国の「抗日戦争勝利七〇周年記念軍事パレード」に出席した問題で、日本が「中立を失する。如何なものか」と抗議をしたら、「元より国連は中立ではない。公正・公平だ」という返事をしてきた。

日本では中立・公正・公平は、だいたい同じ意味合いで使う場合が多い。文化が違うので、捉え方も違うのであろう。日本は七〇年前、アメリカを中心とした連合国に戦争で負けた。だから、七〇年前に連合国側に参戦した国から見れば勝利記念日は当然である。日本がもしやるとしたら、敗戦記念日となる。

しかし、「敗戦の悲惨さを二度と国民に経験させてはならない」という思いから、「敗戦記念軍事パレード」をやったとしても、「日本はまた戦争の準備をしている」という宣伝広報を、中国が訴えるのは目に見えている。中国は敵国だから、当然である。

敵と言うのは相手の悪いところ、弱いところ、恥となるところ、所謂マイナスイメージを見つけて、誇張する、足を引っ張る、暴くというプロパガンダをするのは、当然の行為である。何をやっても良くは理解してくれない。

それなのに、鳩山由紀夫や村山富市のように、日本では戦争反対と善人の代表みたいなことを言いながら、中国の勝利記念日軍事パレードには参加して拍手を送ろうとするのは、本当の戦争反対ではなく、日本を弱体化させようとする敵国の回し者、或いは売国奴という言葉以外に、修飾する言葉が見つからない。

現在国連に最も貢献しているのはアメリカと日本であって、その額は全体の半分以上を担っている。国連の基本は七〇年前の戦争で勝利した連合国が理事国となって運営されているのだ。

だから日本も「国連事務総長は中国の軍事パレードに行くべきではない」と言わないで、日清戦争勝利記念軍事パレードを堂々と行って、国連事務総長を招待すればいいだけの話である。潘基文は国連事務総長である前に、韓国・朝鮮人だから、反日的な気持ちを持って当然である。

韓国・朝鮮人から見れば、反日こそが愛国なのである。誰にでも愛国、愛郷はある。その利害こそが戦争の原因なのである。国連事務総長という公的な立場に着いた時こそ、本音を隠して仮面をかぶって行動する(寄付を集めなければならない)かもしれないが、任期全うが近づけば本音を語り、祖国にいい格好して迎えられたい、祖国で余生を大過なく送りたい、と思うのは誰もが考えるストーリーである。

まー日本側の抗議も単なるガス抜きのパフォーマンス的なところもあるけどね。本気で抗議して、舐められたと思うなら、潘が事務総長である間、寄付額を極端に減らせばいいだけで事足りる話ではないか。

だいたい憲法九条が戦争してはならない憲法だから、九条さえ守っていれば日本は戦争に巻き込まれない、戦争はしないと思ってる護憲派は勘違いも甚だしい。憲法九条をどんなに死守しようが、それは日本の立場であって、相手から見れば全く関係ない。

寧ろ、何をやっても迎え撃って来ないのであれば、相手は大喜びで侵略してくるに決まっている。戦いとは世の東西を問わず、時代の古今を問わず、強者が弱者を支配すると歴史が証明している。

日本が戦争に巻き込まれない、中国やロシアから攻められない抑止力の最大の理由は日米安保条約のおかげであることがわからないのかね。日米安保を解除したら、問答無用で中国は日本の領土を攻めてきますよ。

昔はロシアにそういう危険性はあったけど、今は中国です。今みたいな危険な中国に誰がしたんですか?それは日本ですよ。四〇年前は中国なんて脅威を覚えるような国ではなかった。金も技術もなかった。金も出して技術も教えて、手助けをした。

ところが礼儀も知らない。感謝も知らない。恩義も知らないのが、今の共産国家の中国である。そういう国とは国交しない。無視するのが一番である。だから、無条件でアメリカの言うことを聞けと言ってるんじゃないんだよ。あれもダメ、これもダメでは、世の中は成り立たないでしょう。 どちらかに与するか、どちらにも与しないのであれば、自ら武器を持って立ち上がるか。これも嫌あれも嫌では誰も信用しません。どちらかを選べと言えば、今はまだアメリカではないですか?と言ってるだけなんです。いずれは一本立ちが夢ですよ。真の平等安保条約ですね。

▼武藤貴也議員というのが未公開株詐欺事件のようなことをして暴露され、今度は未成年の男を買ったという事実を指摘されている。この武藤の顔を見ていると、普段は化粧しているのか、濃い化粧する女性の、化粧を落とした後のような顔をしている。

売れっ子オカマが、時々寝起きとか何とか言って、すっぴんを見せることがあるが、あの時の顔のようである。実際少年を買ってるようであるから、ホモ親父であろう。親父じゃ可哀想かな。ホモ中年。だけど見た目はホモ青年である。 ここの部分だけを読んだら、喜ぶんじゃないか。「えっ、私って青年に見えるの?」ってね。喜んでる場合か、お前は国会議員だぞ。こういう性嗜好の人は他にもいる。別に誰にも迷惑かけない合意であれば、とやかく言われる時代ではなくなったのである。

中曽根元総理なんか、戦前戦後の規律や倫理が厳しい時代に生きても、十分に趣味を謳歌し問題なく華麗に生きて来た見本ではないか。世の中にはこういう立派な見本が有るのに、それを参考にしない若者が増えてきた。嘆かわしい。

ところで、武藤議員の秘書が久間防衛大臣の秘書をやってた宮崎で、その宮崎が紹介した社長の会社が未公開株の舞台というのだが大丈夫かね。宮崎より寧ろ久間先生だよ。久間先生の周りを詐欺師がうろついているのか、先生が詐欺師の周りをうろついているのかわからないが、危なくて見ていられない。

今までは元大臣という名前に、当局も遠慮していたが、もう消費期限も切れる頃だろうから、呉呉も自重していただきたいと思う今日この頃である。国会議員だけじゃないけど、日本の現代人はプライドや面子を重んじる人が少なくなったねー。それに小物ばかり。しかもサラリーマン化してしまって、強さ・逞しさがない。翻って犯罪者は増え続けている。 昔は犯罪の種類も殆んどが泥棒と売春と覚せい剤という感じだったが、今は犯罪も多様化している。顕著なのは「詐欺」である。押し売り、押し買いの変化形の訪問販売、電話勧誘。電話勧誘から変化したオレオレ詐欺を始めとした特殊詐欺。保険勧誘から変形したマルチ商法。

昔はこういう厚かましい嘘を言える人は少なかった。やはり嘘は恥という考えがしっかり根付いていたのである。今は平気で嘘を言う。嘘を恥とも思はない。金を稼ぐためなら嘘は武器とさえ勘違いしている者もいる。民主主義とか自由とかは犯罪も野放しにすることとセットになっているようだ。

今の日本は五〇年前のニューヨークのようである。犯罪の見本を見て、あのようにだけはなってはいけない、この小さな島国があのようになるわけがない、としっかり認識していた筈なのに、歴史を参考にしようとしないのである。こうして振り返ってみると、世の中に正義や理想は存在しないことがわかる。

自分が考えている正義や理想というものは、自分から見た正義であり理想であって、必ずしも全ての人に当てはまるものではないのである。寧ろ相手から見れば悪義であり、押しつけであり、迷惑な行為とさえ取れる。幻想と言ってもいいかもしれない。

しかし、世の中の現実を知らない小さな子供たちに最初から現実を語っても理解はできないわけだから、やはり夢を持てる桃太郎や金太郎、かぐや姫、花咲か爺さん等の話を聴かせることは大切なのである。矛盾もまた人生の中のしがらみだからだ。生きて行くって切ないねー。

▼日本存立の危機とは何か、という問題が今国会で取り上げられ話題になっている。

存立とは、存在して成り立つという意味だから、概念としては、ぼやーっとして一つの言葉だけで括れないところがある。

逆に言えば、日本で起こる全ての事象が含まれるという事である。そんな中で、安倍総理一人にどうだ?こうだ?と質問して、ちょっとニュアンスが違えば、鬼の首を取ったように誇張し、自分達と解釈の違う部分を世間に訴え誤解させようとする。

丸腰では国は守れないという考えを持つ人と、丸腰でも守る方法はあるという人とは、何処まで言っても意見は平行だろう。ただ、私が不思議に思うのは、理想は丸腰で守れればこれに越したことは無い。

しかし、現実は周囲に、或いは世界に、そういう理論が通らない国に対して、どういう対処法があるのか、その丸腰で守る方法を述べて欲しいのだ。ダメだダメだでは現実的ではない。

それと、丸腰で国は守れるという側のリーダーがわざわざ韓国に行って、向こうの慰霊碑の前で土下座したり、或いは中国の「抗日戦勝記念軍事パレード」に参加したり(幸い罰が当たったのか、当日体調が悪くなり出席できなかったらしい)、「あなた、本当に日本人?」というような行動をするのは何故なのか?

日本の存立という概念には、国内が具体的に直接攻撃に晒されるというだけでなく、今や世界中に散らばってる国民を守るという事も含まれるだろうし、貿易船が犯罪者集団に襲われるのを守るという意味も含まれよう。

例えば貿易船の場合、日本の船だけを守れば世界中からクレームが付こう。理由は外国が日本船を守ってくれてることもあるのに、自国のことしか考えてない国、と言われて批難されるのである。

安保法案の成立を多くの国々が支持しているのに、反対しているのは韓国・中国だけである。(実質的には)世界第二位の経済大国であり、世界の中心的な立場に居ながら、犠牲を伴わない貢献に甘んじていて、世界中から信頼が得られるだろうか。

これも立派な日本の存立の危機に当たるだろう。日本人が誇りとしてきた「恥を知る国民」だからである。

今日、仁・義・忠・孝・信・礼・敬、等の姿勢を日本人が忘れてしまったのは、アメリカの3S政策の効果のせいである。

もし、過度の風紀の乱れと感じるなら、ふりこ原則の法則に則って戻すべきなのである。今の安倍総理の姿勢が正にそうではないのか。


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