全国の国家公務員地方公務員に当て嵌まる埼玉県警本部長の「綱紀粛正」の呼び掛け

(敬天新聞11月号)

警察発砲の是非を問う

どのような事件であれ、警察が拳銃を発砲するたびに、その発砲の是非が問われたりする。だから必ず、事件を担当した警察署の副署長あたりが、適切な拳銃使用であったとコメントを出すのが慣例となっている。

9月14日午前2時ごろ、千葉県松戸市日暮の路上で、アルバイト帰りの若い女性が犬にかまれたとする110番通報があった。

約30分後には路上で飼い主の男性(71)も襲われてかまれ、一緒に犬を捜索していた県警松戸署地域課の男性署員3人が拳銃計13発を発砲し犬を射殺した。この犬は、紀州犬で普段から噛み癖があり、複数の負傷者が出ていたため、警察官は飼い主の男性に許可を取り、やむなく射殺したという。

この事件のニュースは大きな話題となり、報道番組で「たかが犬に13発も発砲する必要があったのか?」というコメントを述べてる者がいた。また、警察に苦情を入れてる者までいたそうだ。あたかも警察官が、権力を振りかざし、全く必要ない発砲を行い、住民の生活を脅かしたとでも言いたいようだ。

聞けば犬の体長は120センチ、体重21キロである。深夜の暗がりで自由に動き回る犬の動きを捕らえるのは容易ではない事は明白だ。当社の飼う珍島犬など絶対無理だ。人に襲い掛かり負傷者を出している。ただ追い払うだけでは済まされない。捕らえなければ更に負傷者を出す危険性が十分にあった。まして警察官にまで襲い掛かってきたのだ。

拳銃の使用はやむを得ないし、発砲が1発であろうと13発であろうと回数は問題ではないだろう。犬の動きを制止するのが目的なら、犬の動きを止めるまで、打ち続ける必要があるのだから。躊躇し、その場で取り逃して、更に負傷者を増やしてしまったら、それこそ責任を問われることになるだろう。

埼玉県警痛恨の極み

最近は、犬と言えばペットブームで良く見かける飼いならされた子犬をイメージする人が多いのかもしれない。しかし、事件を起した犬は、飼い主にも襲い掛かっているのだから、いかに凶暴で躾がなされていないかが分かる。

深夜の110番通報で急行した警官が、麻酔銃や捕獲用の網など持って、猟師のように準備万端で来るわけないのだから、現場の事情も知らずテレビの出演者などが「住宅街で発砲するから、民家の壁にまで流れ弾が当たった」「危険だ、怖い」などと軽率にコメントし、警察批判を煽るべきではない。

バカボンの本官さんじゃあるまいし、所構わず発砲するわけないだろう!そして批判するべき対象は、警察でもなく、この犬でもなく、飼い主である。

こんな批判をする暇があったら、熊谷市で起きた連続殺人事件の犯人逮捕の際に、なぜ警察は発砲しなかったのか?という苦情をいうべきではないか。まして逃走中に起きた殺人事件であるというではないか。

この事件は、9月18日、熊谷市石原の住宅の浴室で、無職白石和代さん(84歳)が死亡しているのが見つかり、更に約100メートル離れた同市石原の住宅で、無職加藤美和子さん(41歳)といずれも小学生の娘で美咲さん(10歳)と春花さん(7歳)が死亡しているのが見つかった事件で、容疑者とみられるペルー人の男(30歳)が逮捕された事件である。この二日前には、1キロ先の住宅で五十代の夫婦が殺害されたばかりである。

このような凶悪犯罪を起し、刃物を振りかざし、血まみれになって民家に立て籠もって警察に抵抗していた犯人に対し、警察は大声で説得を図っていたけれど、これこそ迷わず発砲するべき事件ではないか?

犬の確保に3人の警官が13発を発砲したのなら、この凶悪犯には130発の発砲をしても差し支えないだろう。

なぜ、警告の発砲すらしていないのか。犯人が外国人だから躊躇したのではないか。この犯人に対し、抵抗を阻止する為に、1発も拳銃を使用していない理由はなんなのか?不思議でならない。警察は、我が身を護るために拳銃を所持しているのではない。社会秩序を乱し、生命を脅かす凶悪犯から一般の人達を護るために所持しているのだ。

現場では即座に判断しなければならないのだから、人の生命を脅かす凶悪犯に対しては、それが犬であろうと外国人であろうと、躊躇なく発砲して良いのである。

一部の不甲斐無い警察官の不祥事で、警察批判が相次いでいるけれど、平和な社会は多くの真面目な警察官によって守られている。そのことを忘れ、ミソもクソも一緒にし警察批判を繰り返し、まともな捜査を委縮させるようなことがあってはならない。

凶悪犯のくせに発砲されて、後から警察に慰謝料を訴える馬鹿野郎もいる御時勢だ。警察の士気を高めるために、私たちは日夜、頑張っておられる全国の真面目な警察官に対して、心から感謝し応援をしよう!。


相次ぐ不祥事を問う

それにしても不祥事を起す一部の警察官には、憤りを感じ得ずにはいられない。この二ヶ月間を振り返るだけで、どれだけ問題が起きているのか。真面目に職責を全うしている人達にとっては迷惑千万である。

9月には、大阪府警箕面署刑事課の巡査部長と元大阪府警警察官の男が、インターネットの掲示板で集団強姦を呼びかけ仲間を募り、女性を監禁し集団強姦した容疑で逮捕された。(後に理由は伏せて不起訴)。

また、埼玉県朝霞市で元タクシー運転手の男性が、首を絞められて殺害されているのが見つかった事件で、浦和署地域課の巡査部長が殺人と住居侵入の疑いで逮捕された。

さらに、電車内で二十代女性の体を触ったとして、警視庁の警部で滝野川署刑事組織犯罪対策課長が、痴漢の疑いで逮捕された。

千葉県警船橋署では、警視庁の五十代の男性警視が船橋市内の商業施設内で万引きし、窃盗容疑を問われている。この警視が盗んだものはスポーツ用品店のトレーナーやTシャツなどで、書類送検されたという。10月には、部下の腹部に実弾入り拳銃の銃口を押しつけたとして、群馬県警が高速隊の男性警部補(48歳)を銃刀法違反容疑で書類送検した。

また、女性のスカートの中を盗撮したとして、岐阜県警が県警運転免許課の四十代警部補の男を県迷惑防止条例違反の疑いで書類送検し懲戒処分にした。例を挙げれば切りがない。

痴漢や万引きが書類送検で済まされているのは何故だろう?深く反省し、逃亡の恐れも無く、被害者が「穏便に済ましましょう」と言ったとしても、逮捕して自らが犯した罪の重さを、しっかり反省させる必要があるのではないか?

罪の重さと言っても、法的に問える罪の重さ軽さだけを言っているのではない思いやりの心で悪事を思い止まる、自戒の心や道徳心といった、法を超越した日本人の伝統精神への裏切りを、深く反省して欲しいのである。自らの職責を如何に心得ているのか?警視でありながら万引きをするという精神構造は全く理解が出来ない。

生活苦から犯罪に手を染めてしまったという動機すら感じられない軽率さに、これまた腹が立つのである。警視庁の警視といえば、警視総監、警視監、警視長、警視正に次ぐ階級で、埼玉県で殺人事件を起した巡査部長に比べたら、三つも上の階級ではないか。(因みに痴漢した警部は警視の一つ下の階級)。

殺人事件に比べれば、万引きなんか大した事ではないと馬鹿にするかもしれないけれど、つい魔が差してしまったという主婦や少年の万引きと、現職の警視の万引きを同等に扱ってはならない。

国家公務員や地方公務員は、国民が安心して生活していく上で密接な関係があり、国民の信用に足る職責を担っている。だからこそ、より重要な個人情報の扱いを委ねられているのだ。そのような立場にある者が、社会の信用を失墜させる不祥事を犯したならば、一般より重い罪を課すべきである。

当紙の地元埼玉では浦和署地域課の巡査部長が殺人事件を起したことで、埼玉県警が臨時の署長会議を開き、出席した県内全三十八署の署長や県警本部の部課長らに対し、県警本部長が「県警史上、例を見ない事件で痛恨の極み。警察職員の原点である倫理観を、職員一人一人に改めて浸透させる必要がある」と綱紀粛清を呼びかけた。また、埼玉県議会は事態を重く受け止め、埼玉県警に綱紀粛正求める決議を可決した。

 

因みに「綱紀粛清」とは、「国家の規律や秩序、また政治のあり方や政治家・役人の態度の乱れを正して厳格にすること」である。他県の畑違いの他人事と済ませず、集団強姦であろうと、殺人であろうと、例え万引きであろうと、痴漢であろうと、全国の国家公務員ならびに地方公務員、警察に限らず公職に携わる全ての者が、この「綱紀粛正」を深く受け止めなければならない国家の重大事態である。

また、私たちも、批判反感がばかりではなく、真面目に頑張っている警察官を街で見かけたなら、昭和の時代に倣い、「ご苦労様」「いつも有り難う」と声を掛け合うことを習慣づけたいものだ。昔の日本人が警察官に抱いていた信頼を知るには、曽根四郎さんが歌う「若いお巡りさん」という歌を聞くといい。素朴なメロディーと歌詞なのに、なんだか心が温まり、目頭が熱くなることだろう。

そういえば亡き祖父母たち昔の人たちは、お巡りさん、郵便屋さん、新聞屋さん、牛乳屋さん、みんなと自然に労いの声を掛け合っていたなぁ。「ご苦労様、頑張ってね」、そして「善いことも悪いことも、お天道様は見てますよ」と。 法を超越した防犯の原点である。


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