ネット版敬天ブログ番外編気の向く儘に時事放談!

(敬天新聞4月号)

国連の政治利用 

国連の女子差別撤廃委員会が、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決を確認した昨年十二月の日韓合意に対し、「被害者中心の対応」が徹底されていないとの見解を示し、再燃焼しようとしている。

三月十日に行われた国連人権理事会では、フセイン人権高等弁務官が年次報告の演説で慰安婦を「日本軍による『性奴隷制度』を生き延びた人々」と発し、十一日には、日韓合意を評価していた国連の潘基文事務総長も、反日組織・韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の要請に応じ、国連本部で韓国人元従軍慰安婦とする女性と面会し、「彼女たちが経験した苦しみや痛みに同情する。日韓合意が人権の原則に沿って忠実に履行されることを希望する」との談話を発した。

潘事務総長は挺対協に対し合意履行の重要性を訴え、理解を求めたというが、いまいち曖昧な立ち位置であると感じ得ずにはいられない。公正に毅然たる態度を示していただきたい。

一見、関心の低い他国から見れば小さな声にも耳を傾け、今後二度と問題視されることが無いよう、完全決着をつけるよう促していると見えるかもしれないが、既に日韓基本条約で解決済みの話であり、何度も誠意を見せてきた挙句、世界情勢を鑑み、更に先般の日韓合意に至った事案である。日韓政府が重い楔を断ち、ようやく前に進もうとしている時に、国際平和の維持・安全保障、そして経済や社会などに関する国際協力の実現を目的としている国連が、何たる愚行を重ねるのだろう。

まして国連は日本に対し、合意の履行に当たっては「被害者の立場を十分考慮」し、「補償」などに取り組むよう注文を付けてきた。要は「被害を訴える全ての女性が納得いくまで金を出せ」と言っているようなものである。

ここまで来たら、もう国連は体を成していないと言わざるを得ない。全く日本の反論・意見に聞く耳を持たず、誰かの(何かの)一方的な目的達成に向け、動いているとしか思えない。聞けば女子差別撤廃委員会の報告書を取りまとめたのは、中国の民間団体「全国婦女連合会」国際部長を務める中国人の女性で、中国政府との結びつきが強い人物であるという。

このところ米国と対立関係にある中国が、安全保障で協力する日米に韓国が加わり進展していることに、歪を生じさせたいのは明白だ。偏向した女子差別撤廃委員会の物言いは、中国政府の働きかけによるものだと疑いたくもなるだろう。

国連の女子差別撤廃委員会による日本批判はこれだけではない。日本の抗議で改めはしたというが、男系男子による皇位継承を定めた日本の皇室典範が「女性差別」にあたるとして、見直しを求める内容が報告書最終案に盛り込まれていたという。

また、国連はこの報告書とは別に、女子高生に男性の接待などをさせる「JKビジネス」を挙げ、「性的搾取を促進し、搾取につながる商業活動」の禁止を勧告した。しかし、これは一部の違法ビジネス組織による裏ビジネスで、日本に公然と蔓延っている訳ではない。国内で取り締まるべく一つの犯罪に過ぎない。

国連と言えば、昨年十月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が、中国の申請した南京大虐殺の記録を、調査もせず世界記憶遺産に登録したのは記憶に新しい。どんなことでも槍玉に挙げ、何が何でも日本を「非人道的な民族」とのレッテルを貼り、「女性蔑視の国」として貶めたい中国や、それに乗じる各国の思惑が見え隠れしているように思えてならない。

日本を蔑視しているのは国連である。戦中に枢軸国に対していた連合国の名残が未だ消えず、イエローモンキーと肩を並べるなんて御免だと思っている者もいるのかな?と思えてしまうほどの愚行だ。

まして、他国の王室・皇室の在りかたにまで介入しようとするなんて、偏った思惑が先行し、正気を失っているとしか思えない。東南アジアなどで衣服を纏わない民族や、子供の内に鼻や耳に穴を開け、装飾や刺青を施す民族に、女性や子供の人権を無視した虐待だの、辱しめる行為だなどと声を上げる馬鹿もいないだろう。それぞれの国に深い歴史と文化と信仰があるのは言うまでもない。

 日本にとって単なる恫喝・恐喝組織に成りつつある「国連の政治利用」が止まらない。結局は弱肉強食ということか。


保育園落ちた

「保育園落ちた日本死ね!」と題した匿名のブログが話題と成っている。拍車を掛けたのは、二月二十九日の衆院予算委員会で、民主党の山尾志桜里議員が取り上げた祭、安倍首相が「匿名である以上、実際に本当であるかどうかを、私は確かめようがない」と答弁し、与党議員からは「誰が書いたんだよ」「ちゃんと(書いた)本人を出せ」とヤジが飛んだからだ。

これを期に、ブログの内容に共鳴した人たちから批判の声が相次ぎ、塩崎厚生労働大臣には二万八千人の署名が届けられ、安倍政権は騒動の火消しに回る事態となった。ヤジを飛ばし、その後もテレビで自論を展開していた平沢勝栄議員も謝罪に転じる始末である。

この騒動で、ブログの主も名乗り出た。東京都内で、もうすぐ一歳になる息子と夫の三人で暮らす三十代の女性で、事務職の正社員をしていて、四月には復職の予定だったが、保育所に子どもを入れられなかったのだという。

誰かに向けるつもりではなく、感情のまま、怒りに任せて、独り言のつもりで自分の思ったことをそのまま書いたと週刊文春の取材に答えている。ブログの内容は「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」と怒りをぶつける書きぶりで、安倍首相の目指す「一億総活躍社会」のかけ声とは裏腹に、なかなか解消しない待機児童問題を指摘する内容だ。

また、不倫問題で辞職した宮崎ゲス議員の補選で二億六千万円使われることやオリンピックの会場やエンブレム問題を例に挙げ、何百億円も無駄にするくらいなら保育園を作って欲しいと訴える。女性は週刊文春で「誰が書いているか」より「何をいっているか」を議論して欲しかったと述べている。確かに共鳴できる部分が大いにある。

当紙が今月も日大の田中理事長について記事にしているが、国会議員や大臣にも届いている筈だが反応なしだ。まさに「誰が書いているか」より「何をいっているか」を議論して欲しい問題だ。しかし当紙は匿名ではない。このブログが話題となった当初、賛否を分けた理由は「匿名」であったことに加え、タイトルと言葉遣いに原因があったのは間違いない。ブログ内容をよく読めば、言わんとする事は理解できるが、最初に読む気を失わせるタイトルであったということだ。逆に、このくらいインパクトのあるタイトルでないと、ここまで取りざたされることもなかったということか。

それでも、一つの事が思うように行かなかったからと言って、大抵はお世話になっている自国の名を上げ「日本死ね」は無いだろう。勿論、政策批判のつもりだろうが、聞き捨てならぬ言葉である。与党の議員がヤジり、安倍首相の初動を鈍らせた原因はそこにあるのではないか。

このタイトルを最初に目にしたとき、何て節度の無い奴だと思ったのは当紙だけだろうか?勿論、後からブログの内容を読んで、そのくらい怒りを抱いたという女性の気持ちを感じ取ることはできたが、ネット上で相手の見えない交流が当たり前と成りつつある昨今、「死ね」という言葉を軽率に使用するきらいがあることを危惧してならない。

言葉の乱れと、相次ぎ起きている命を軽視した事件事故は、密接な関係があるのだと考えられるからだ。勿論、本気で他人の命を奪いたい、殺したいという意味で使用しているのではないだろう。目の前の障害に対し、それが人であろうと物であろうと、出来事であろうと、払拭したいという思いの表れとして「〜うざい、消えろ」の同意語として「〜死ね」と成るのだろう。

しかし、楽しい酒席で気心知れた友人に、冗談を交えて言う「お前、死んどけ〜」とは訳が違う。軽率に、公然と「死ね」という言葉を使ってはならない。何時の時代も如何なる場合も「死」とは重く慎むべき言葉でなくてはならないと思う。

このブログをここまで持ち上げてしまった安倍政権には、国会での驕り高ぶりが招いた初動の誤りを、大いに反省して頂きたい。こんな騒ぎを繰り返していては、満ち足りた生活環境にいる議員なんて、しょせん庶民の生活観とは乖離していると思われても仕方がない。

だけど、ブログを書いた女性にも、たくさんの賛同者が現れ安倍政権に一石を投じることが出来たのだから、ブログの内容は良しとしても、タイトルの「日本死ね」の部分は改めて頂きたい。日本をどんなに嫌いか知らないが、これから日本で生きて行く可愛い御子さんの為にお願いします。 それから便所の落書きと誤解されるような汚い物言いも止めましょう。「金があれば子供産むってやつがゴマンといるのだから取り合えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ」なんて事も書いているけれど、金にモノをいわせて取り合えず子供を作られたのでは、子供の数は増えても亡国の一途を辿るのみだ。

子を持つ親としての心構え、所作を身に付けること、育てるに足る大人になる努力をすることも大切です。子供は親が育てるのが基本です。取り合えず出来ちゃったでは済まないし、手に負えないからといって誰でも、何歳の子でも預けることが出来たら、様々な弊害が生じることだろう。

保育所以前に考えなければならない大切な事もたくさんある。その前に、「この場に及んで国会で居眠りこいて、読書する自民党議員をなんとかしろや!」と言いたい気持ちもよく解るが。(日々更新!敬天新聞ホームページも御覧下さい)


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