追悼『安藤昇 お別れ会』安藤昇先生と私の出会い

(敬天新聞4月号)

昨年の十二月十六日に、八十九歳でこの世を去った安藤昇先生の「お別れ会」が、二月二十八日東京・青山葬儀所で行われた。安藤昇先生のプロフィールは今さら申し上げるまでもないでしょう。

その生き様と突出した男の魅力、圧倒的な人間力は多くの人々を魅了し、憧れ、鏡となった。そのため、芸能界、任侠界を問わず、各界でご活躍されている著名人から一般のファンの方まで、大勢の人達が亡き安藤昇先生を偲び、最後のお別れに集まった。この日、献酒を務めた俳優の梅宮辰夫さんが「また一人、昭和のスターが逝ってしまった。寂しいです。どうか、あちらの世界でもお元気で」と述べていたが、時代の流れと寂しさを深く感じさせる言葉だった。

それにしても、安藤昇先生のお別れ会は素晴らしいセレモニーだった。私(白倉)は晩年の先生の姿しか知らないが、男から見て本当にかっこいい人だった。 最初の出会いはもう三〇年近く前になる。安藤先生の兄弟分だった加納貢さんに紹介して頂いた。私の土方スタイルが、妙に受けて「戦時中のようなスタイルだなー」と言われたのが、最初の言葉だった。今思えば学生の頃から、安藤組四天王と言われた森田雅先生の所に出入していたから、見えない糸で繋がれていたのかもしれない。

安藤先生は都会的センス満載のスタイルに対して、私は究極の土方スタイルだし、街宣車もボロボロで、他の右翼の街宣車が近づくと怖いというイメージだったのだが、うちの街宣車はあまりにもボロで近づくと恥ずかしいイメージだったと、いつも笑いながら語られていたのが懐かしい。晩年リハビリで麻雀をされていたが、何度かご一緒したことがあった。

私は配牌の後、種類別に順番に並べておかなくては自分が何を持ってるのかわからないし、何を捨てていいかもわからないレベルで家族麻雀、子供麻雀の部類である。だから左手しか動かなかった安藤先生の下手に座ることを条件に参加したのである。

普通のレベルの人とやれば、早すぎて着いていけないというか、三回ぐらい順番が回ると、私の手牌はすべて透けて見えていたそうだ。これに日吉さんが加わって漫才麻雀だった。その明るい雰囲気と私の下手さ遅さが先生には、心地よかったようだ。

私が先生のお宅に呼ばれてお伺いすると、だいたい、今回の「お別れ会」で代表世話人をされた海老沢信さんと、向谷匡さんがいらっしゃった。晩年の先生には気が落ち着ける人だったのだろう。あれだけの有名人だから、多くの付き合いがあったことだろう。

お別れ会には、名だたる稼業の方も多く見えられていた。こういう偉い人たちが同時に参列される時は、主宰者は大変である。席順に苦慮するのである。付き合いの古さを強調するのか、今の立ち位置を選ぶのか、組織の大小もあるだろう。

だから先人は四方同席という言葉を重宝した。これが日本人の配慮である。私も傍目からは関係者の一人と見られていたので、私の所へも、あーでもないこーでもないと言ってくる人はいた。中には「私がやったらもっといい式典ができる」という人もいた。私は「それなら、迷わずやればいいじゃないか。安藤先生との付き合いがあったのなら、誰が主催しても協力して、参加することが恩返しだよ。どうしても嫌なら別途に主催するか、黙って参加しなければいい」と言った。

直会の席も、稼業の人たちと一般の人を分けて配慮してあったし、芸能人の人もリスクはあったろうが、安藤先生との義理を重んじ参席してくれて本当に有難かった。尤も安藤先生自身は、五〇年も前に作家・俳優業に転身されていたから当然か。

それにしても、安藤先生の最後のパーティーに相応しい、素晴らしい「お別れ会」だった。見えないところで苦労も多かったと思うが、実行委員会の方々に感謝と御礼を申し上げたい。 そして、安藤昇先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました。さようなら。また会う日まで。


【安藤昇先生の書】

↑これは、今も当紙が座右の銘として大切にしている安藤先生が本紙創刊時(平成八年十一月二〇日)に祝 辞と共に寄せて下さった直筆の「書」です。

《書》

男の怒りに私憤と義憤の二つあり「我」を生かし、見栄面子で怒るは私憤にして匹夫の勇なり。「我」を殺し、普遍の正義を以て怒るは義憤にして侠の勇なり。私憤に生命を賭するを与太者、義憤に生命を賭するを「国士」と呼ぶ。両者は似て非なるを知るべし。 国士の歩む道は正直なれど、火中の栗を拾うが如く労多くして報われることの少なし。平成太平の世に真の国士は何処にありや。

《祝辞》

白倉康夫君、敬天新聞の創刊おめでとう。政治屋、大蔵官僚、金融機関、大宗教という「政・財・官・教」が一体となって国民の血税を貪り私利私欲に走るいま、熱血の漢たる君が『国士の筆誅』を以ってこれを糾弾するのは誠に痛快至極。信ずる処にしたがって奔馬の活躍を期待します。継続は力なり。たとえ牛歩といえども歩き続けるならば、やがてその足跡は千里の道に印されることになるでしょう。国士啓蒙家・白倉康夫君の前途に幸いあれ。


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