日大理事長にみる五輪選手を批判する資格なき大人の社会

(敬天新聞5月号)

日大記事の反響

日大記事が少しづつ浸透してるのか、思わぬ人たちから、激励の電話が入るようになった。みな、「国が一丸となって東京オリンピックを成功させたい」という思いが、根底にあるようだ。

先月号では、「日大田中理事長が追徴金七億円で国税を口封じ?」という記事を書いた。それを見て、ある記者が国税に尋ねたら「そこまで多くはない」と言ったという話を聞いた。「そこまで多くはない」ということは、「そこまで多くはないけど、追徴課税があった」ということは事実だということだろう?それなら国税は発表すべきではないか。

日本大学は日本で一番多く、国から私学助成金を貰ってる大学である。そこの理事長が追徴課税をされることは大問題ではないのか?暴対法や暴排条例で暴力団が入院するのも難しいご時勢に、何人も日大病院に紹介し、謝礼を受け取ったという話もあれば、上場会社の社長令嬢を裏入学で入れて、謝礼を受け取ったという話もある。

そんな人が日本一助成金を受け取る大学の理事長で、日本オリンピック委員会の副会長であることに問題が無いといえるのか。


白鵬、日大田中理事長、大塚吉兵衛総長


社会の不条理

ところで、リオデジャネイロオリンピックのバドミントンで男子初のメダルが期待されていた桃田賢斗選手と田児賢一選手が、違法カジノ店で賭博をしていた問題で、公開処刑さながらの記者会見と週刊誌報道が続いている。桃田選手に至っては、スナックママとのハグやらキス写真やらも取りざたされている。何も知らず付いて行ってドリンクを飲んだだけという大学生の西本拳太選手も新たに処分された。

オリンピック・パラリンピック担当の遠藤利明大臣が、「本当に怒りを感じている。メダルを期待されているバドミントンなのに、皆さんの信頼を裏切り、大会に出場する選手の士気を下げてしまう。たとえ本人に優勝する力があろうがなかろうが選手として失格で、当然100%、リオデジャネイロオリンピックへの出場はありえない」と断じれば、日本バドミントン協会に対し遠征費用などの補助金を交付している文部科学省の馳浩大臣も、「スポーツには、メダルよりも大切なものがあります。そのことを勘違いしないでいただきたい。何のためにスポーツをしているのか、改めて本人は自分自身に問い直してほしいと思います」と厳しく断じた。

また、JOC(日本オリンピック委員会)の平岡英介専務理事も、各競技団体に対し法令順守を徹底する考えを示した。IOC(国際オリンピック委員会)もJOCも賭博や八百長、暴力といった問題は徹底的に排除するという考えだ。

そして、スポーツ庁の鈴木大地長官も、アスリート助成金に関して、違法賭博に関わっていた期間のものは「厳格に対応せざるを得ない」との姿勢を示した上で、「メダルの数や色も大事だが、社会の模範となる選手を育成することを政策の中心に据えたい」として、オリンピック関連組織、各団体に研修実施や行動規範の策定、相談を受ける体制の構築を求めた。

確かに、オリンピックで大きな活躍が期待されていた選手だけに、残念の一言に尽きる。軽率な行いで多くの支援者を裏切った両選手の罪に、弁解の余地はないだろう。

しかし、選手に対しオリンピックに関連する組織の長が、厳しく断じる資格が果たしてあるのだろうか?

JOC(オリンピック委員会)副会長で日本大学理事長の田中英壽氏に寄せられている疑惑はいったいどうしたのか?

田中氏が暴力団の大幹部と蜜月関係にあると米国メディアに報じられ、東京オリンピック開催国としての資質が問われているというのに、そのことに触れようともしない政府及びオリンピック開催を委ねられている関係組織が、桃田賢斗選手と田児賢一選手を批判する資格があるのかという事だ。

国会で牧義夫議員が、下村博文(前)文部科学大臣に問い質したのに、有耶無耶にしてしまったのは何故だろう?一部の選手が出場できなくなるという問題以前に、オリンピック開催自体にミソの付く大変な問題ではないか。

反発できない小さな相手や個人には、政府、オリンピック関連組織、マスコミが挙って批判反感を浴びせ袋叩きにするのに、反発が凄そうな大きな相手には沈黙するという、最近の日本の風潮を顕著に現している悪しき例である。

だいたい東京オリンピックの開催に伴い、世界中の集客に目を向け、巨大なカジノ構想を打ち立て、ギャンブル場の設置を推し進めてきたのは安倍政権及び多くの議員連盟ではないか?いったい、どの面さげてギャンブルは悪い事だとか、反社との交遊は厳正に対処せねばならないとか断じているのか?

桃田賢斗選手と田児賢一選手の罪は、期待されてる選手だから悪かったのか?、やったカジノが違法店であったから悪いのか?、合法のギャンブルなら問題ないのか?そのカジノ店が暴力団関係者と繋がっていたから悪いのか?反社と交遊の噂があるスナックママと一発やったら悪いのか?


正道の失墜

一方、JOC(オリンピック委員会)副会長で日本大学理事長の田中英壽氏は、巨額な助成金を国から受けている日本大学を私物化し、私腹を肥やしても、暴力団組長と交際しても、数億円を脱税しても、報じられることも無ければ、オリンピック担当大臣も文部科学大臣も知らん顔だ。国会で問題を質された安倍政権も、追及した野党議員も知らん顔。

暴力団と関係のあるカジノ店とは知らなかったという桃田賢斗選手と田児賢一選手は、連日メディアで女性関係まで晒されて、追及され続けている。

「何故、このような行動に気が付かなかったのか?」と選手が所属していた団体組織や周辺者の監督責任まで問われているが、田中英壽氏の問題を知っていながら知らないふりをしている「大人の社会」と「大人の事情」こそが、昨今の道理をわきまえない若者たちの事件事故を生じさせている原因ではないのか。

嘗て日本のスポーツは、健全な体づくりと共に、礼儀作法と道理条理を身に着ける躾の要素を多分に有していた。だから、昔の親たちは子供達に、人が生きる上で学ぶべき「道」をスポーツを通して学ぶことを勧めた。少年柔道、少年剣道などのスポーツがそれである。

そして、教えて下さる先生、先輩、共に学ぶ仲間、支えてくれる親兄弟、祖父母、といった人のみならず道具に至るまで、神前を通して敬う心を会得した。公の存在を理解してこそ、個の存在が生かされてくる。自分のためだけでなく、支えてくれる人や物の存在を身に染みて理解していれば、それらを裏切る軽率な行動は決して出来るものではない。

ところが昨今は、個性や自由を尊重するあまり、躾という型にはめることを避け、勝敗という結果のみに拘るゲームスポーツに成り下がった。ゆえに嘗ての「道」は失われつつある。公という存在に気が回らず、個の考えに固執する要因だ。「日本代表」という、期待を背負っている事への重みを、実感できないのも無理はない。

日本代表選手が「せっくだから、取り敢えず、楽しんできま〜す」みたいな、スーパーの懸賞で旅行が当たった主婦みたいなセリフを言うことも珍しくなくなった。

結果オーライ!金と力がこの世の全て、と言わんばかりに「正道」を見失った「大人の社会」こそが、一選手のモラルを問うこと以上に、よっぽど問うべき大問題ではないだろうか。相撲会の白鵬批判も同様、教えるべきことを教えずして、伝統文化の継承を衰退させたのは、組織を束ねる協会にこそ責任がある。

日本の相撲は神道を崇める「相撲道」であり「SUMOU」ではない。勝敗の結果に拘り、金儲けや名誉や権力争いに傾倒した団体組織の長たちが、真の教えを怠った結果ではないか。

夢や希望に満ちた争い事の無き世を語り、子供や若者を欺き続ける大人たち。若者たちが、夢と現実の狭間で迷走し、過ちを犯すのも無理ないか。

人は「道」を外れ、路頭に迷い、自分探しに迷走すれば、現実逃避に快楽を求め欲情に溺れる。未来ある若者たちがそうならぬ為にも、先ず年長者達が心を入れ替え、「道」を正して行かねばならないのではないか。社会の不条理、此処に極まる。続く。


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