敬天新聞5月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞5月号)



▼自民党の一強が続いている。これは民主党の貧弱振りが露出した反面教師が未だに国民に、トラウマになっているからである。当時の代表が酷かったから仕方がないのだが、その代表者たちが未だに印象が悪いから尚、影を引きずっているのである。

小沢も菅も決していいイメージはないが、トラウマの代表は鳩山由紀夫だろう。現実には政治を引退しているのだが、売国的なパフォーマンスが、国にマイナスイメージになると、多くの国民が思っているのである。

 その業界を終わった者は、その業界の邪魔をしてはいけないというのは常識である。本人は貢献しているという考えかも知れないが、国民目線からみれば大迷惑なのである。熊本の殿のように、隠遁すべきである。それにしても鳩山だけはどうにもならない馬鹿者である。

しかし何でもそうだが、一強というのはよろしくない。一強になると驕り高ぶるからである。今の自民党にも、その例が見え始めた。

甘利大臣の恐喝ほう助、歯舞(はぼまい)も読めない北方領土大臣。責任を果たさない下村文科大臣。ゲス不倫議員にホモ議員。一強だからと、余り油断すると足元を掬われるから要注意である。

野党が夏の参議院選挙の為に、党名を変えたり、合併したりと、模索しているが、政策が一致しなければ所詮野合と言われ、支持率を上げるのは難しいだろう。特に小沢一郎なんかを入れたら、また引っ掻き回されるのがオチで、政党として成り立たなくなるだろう。今や自民党に対抗できる政党と言えば、共産党である。

もし野党が共産党を含めた全野党共闘が出来たら、自民党には脅威になろう。共産党には信念がある。結党以来、主義主張を変えてないのは共産党だけで、そのブレない姿勢には党員以外にも、ファンは多いのである。 共産党と言っても、中国や北朝鮮のような政党とは違うだろう、いくら何でも今の時代に独裁政権はないだろう、一度共産党に政権を持たしても面白いかもしれない、というようなブームが起こらないとも限らないのだ。

共産党には物事に恐れない正義感と弱者の味方、与党や行政の不正に対する的を射た追及をするというイメージがある。一方自民党は、先にあげたような不祥事続きの他に、票を取るために安っぽいタレントを擁立するようであるが、売春をビジネスにしてるような男を愛人に持つような者を擁立するのは止めた方がいい。

もし当選すれば、その愛人を秘書にする可能性もあろう。そういう奴は、叩けば埃が出るだろうから、昔の仲間が、妬みと欲とで、情報を小出しにしながら、週刊誌に売って来ると思うよ。民進党が相手では取るに足らない、と舐めてかかると手痛いしっぺ返し食うと思う。真剣に取り組むべきである。

野党にも与党にも言えることだが、何でもっと犯罪に対して強く臨まないのだろうか?オレオレ詐欺を代表とする特殊詐欺に対して、少なくとも今の倍の刑に処すだけで、確実に犯罪は減るだろう。まさかオレオレ詐欺の実行者が言う「俺たちはタンス預金を表に出して、社会経済の循環に貢献してるんだよ」との理論を真に受けてるんじゃなかろうな。覚せい剤に対しても同じである。

本気で犯罪を撲滅する気があるのだろうか?それともう一つ、金にまみれた亡者が多すぎる。政治に金はかからない。金は選挙にかかるだけである。政治は国民の全ての幸せを追及する心こそ基本ではないのか。猛省せよ。



▼餃子の王将から不適切な金の流れを指摘された上杉氏は、美空ひばりとも付き合いがあったと報告書に書いてあった。そして長崎県の雲仙に別荘を作ったと書いてあった。私もこの別荘に泊まったことがある。

私が泊まった時は、高級旅館として営業してあった。もう20年近く前の話であるが、島原半島の中央やや北部に位置する雲仙は温泉地としては有名である。普賢岳噴火でも有名になった。今は寂れているようであるが、昔は宮崎県の青島と並んで、新婚旅行先として人気だった。

「君の名は」のロケ地として、「まちこ岩」もある。私が招待された時、業者から言われた口上は「この旅館は雲仙で一番高い旅館です。同和のドンである上杉という人が、『美空ひばりの為に作った別荘』を旅館にしたものです」と説明を受けた。田舎ではそのように語られていた。

私の田舎では解放同盟も同和も、あまり区別なく、すべて同和と一括りにされてるようである。同和と解放同盟の違いについては、私もよく知らないが、創設期の偉い人の名前で松本治一郎という名前と上杉佐一郎という名前はよく聞く名前である。

しかし、貧しさからの脱却と差別解放運動を起こした人が、大財産を残すというのも、目指した理念とは大きく乖離してはいないか。男の世界の基本は強さだから、天下を取った者が裕福になるのは当然の権利なのではあるが。

確かどちらも福岡県出身である。右翼の源流と言われる玄洋社(頭山満翁)も福岡県だし、福岡県というところは、本当に人材の豊富な所である。

戦後警察が無力化した時代、三国人が暴れ日本人の家屋敷を乗っ取られても警察が何もできなかった時代、彼らに対抗してくれたのはヤクザだった。

だが、そのヤクザも存在が大きくなりすぎた。縁の下の力持ちと言われ、所詮は裏稼業に過ぎない存在だったのに、表に出過ぎた。それゆえ、社会の敵と言われる存在となり暴力団と呼ばれるようになった。

何十年か前には、同和関係者が何をやっても無罪という無法時代があった。行政はやられっぱなし、やはり警察は見て見ぬふりで、為す術もなかった。逆差別という言葉も生まれ、余りの横暴さに国民が声を上げ始めた。そして確実に影響力は落ちた。それでも一部では、未だにこのように恐れられているのである。

一般に恐れられているというより、行政との癒着が続いているのである。昔のように脅迫してというより、今は行政の中に賄賂を貰って手心加えているような者がいるのである。だから、結局王将のように許認可などで頼みに行くのである。 また貧困ビジネスと言われる、生活保護受給に対しても行政に特別な関係を発揮しているようだ。しかし、確実に影響力は落ちている。

それより、今も密かに警察の手が出しにくいという集団があるとするなら、それは「在日犯罪者」であろう。しかも彼らは狡猾で、行政に毒饅頭を食わせるのが得意である。

しかも彼らは心の中に「反日」という気持ちを持っているから、犯罪に躊躇しないところがある。教育も、今の日本のように日和見で、平等主義で、ゆとり教育ではない。

愛国精神、軍隊精神をきっちり教え込まれているから、基本的に精神力が強い。彼らが動くとき、必ずと言っていいぐらい、毒饅頭を食った行政が手引きするという噂もあるぐらいだから、当局は国民の信頼を裏切らないようにして貰いたい。こういったところにも、まだ戦後神話が残っているのだろう。



▼人の「無いものねだり」と「欲」には際限がない。平凡な家庭を持つ人は、愛人のいる生活に憧れ、愛人のいる人は、行ったり来たりの二重生活に疲れ、平凡な家庭の良さを感じる。無くしてみて初めて感じる平凡な良さもある。

多少金を持つと、今の環境のままで、もう一度生まれ変われるなら、独身に戻りたいという人もいるが、言うだけでも罰当たりな発言である。自由(遊べる環境)が欲しいということと、恐らく嫁が、結婚する前は女性だったのに、歳を取るに連れて女性でなくなる姿に、疲れてくるのであろう。

本当はお互いさまである。歳と共に中性化してくるのである。そのくせセックスに対する欲望だけは、男は衰えない。あくまでも欲望(妄想)だけで、体はいうことは効かない。ここら辺が男と女の大きな違いで、女は子供を産むためにセックスを求めるが、男は精子を放出できれば相手を選ばないところがある。

だから、老人になっても女は一人で生きていけるが、男は女と一緒に住みたいと思う。そうかと言って、口うるさい女は嫌。料理作ってくれない女も嫌、掃除しない女も嫌、片づけが下手な女も嫌、明るい女がいい、楽しい女がいい、健康な女がいい。時々セックスの相手をしてくれる女がいい。外見や歳は関係ない。ただ価値観やフィーリングは合う女性がいい。

余世が少なくなった男からみた理想の女性像である。あくまでも男の勝手な言い分であって、女からも当然一言があろう。女ではないので詳しくはわからないが、これだけを要求するなら先ずは、満足するだけの金をくれ、ということから始まろう。

それから、自由な時間をたっぷりくれ。趣味や適度な外出に口を出すな。価値観を押し付けるな。自分の部屋が欲しい。等永遠に続き、お互いに条件を出し合えば、一緒になる前に破談になろう。結局若いうちに一緒になったから、一緒に住めるのであって、歳を取ってから愛で一緒になるのは、至難の業である。否、不可能である。 金が無ければ、こういうことを妄想するだけでも罪なことである。愛で飯が食えると信じてた頃が懐かしいな〜。そういう女も、今は昔。私も中性、貴方も中性、ってか。歳を取って来ると女性に髭が生え、男性はふにゃっとなる。

長く一緒に居る秘訣は、お互い譲り合って、見て見ぬふり、思いやり、助け合いが必要である。不思議なもので、貧乏している時は、これらの全てに我慢ができるのに、少し金が出来ると、忘れてしまうのである。 昔の人は、とにかく仕草や所作が女らしい。言葉の端々にも女らしさが溢れている。色気と言うのとは違うが女を忘れていないのである。女としての恥ずかしさを知っているというのか、他人の男には、見せてはいけないものは見せられない、というしっかりした矜持を持っている。

だから、昔の人は亭主に先立たれても、中々再婚とかしなかった。不満はあったろうが、我慢強かった。それに比べたら今の若い女性は、直ぐ離婚するし、直ぐ再婚する。胸に秘めるという思いもなく、恥ずかしい話でさえも全国民が見ているようなテレビで平気で話をする。

寧ろ離婚話の内容さえ売り物にするような下衆な連中さえいる。男女平等は歓迎すべき文化であるが、男女の特徴を失うようなものまで、同権や平等と名乗って欲しくないものである。それで中性になられたら、なんだかなー。

敬天ブログ敬天新聞トップページ敬天千里眼社主の独り言