日大田中体制誕生の真実と銭ゲバと化した者達の記録

(敬天新聞6月号)

盤石の備えと言われてきた日大田中英壽体制であるが、やはり現実はぐらついているようである。大きな理由は、世情に合わせ暴力団との決別を謳い、周囲を潔癖の高級弁護士軍団で固めたのはいいが、元々が暴力団との交遊を自慢し、夜遊び大好き人間の性もあり、自由にならない今に、ヤキモキしているのだという。

自身のライバルを作らないようにするため、各学部の裁量に任せてあった事業を、本部統括の「事業部」に纏めたものの、監視がきつくなり「中抜き」がやりにくくなって、結局は「事業部を通さない」事業を始めているようだ。

読売新聞が暴いた「たくみ」からの500万円の話は、関係者なら誰もが知ってる本当の話であるが、家賃か何かにすり替えられて、まかり通るのだから、世の中と言うのは金があればいくらでも真実はすり替えられるのである。現実は、その百倍の金が「たくみの園田氏」から流れていただろう。


それは掲載資料を参考にして貰えばわかるが、「たくみ」が行った日大の仕事量を見れば一目瞭然ではないか。土地の売買・建設・解体だけでなく、スポーツ機器、事務機、茶碗皿まで納入している。

嘗て田中の側近に米本明祐氏(故人)がいて、本来なら田中体制が潰れるまで苦楽を共にする仲だった(何でも知っているという意味)。ところが、田中の妻・優子姐さんが井ノ口姉弟を無理やり押し込む時、全ての側近の排除と共に、一緒に排除してしまったそうである。一時は、全てを暴露してやると息巻いていたそうであるが、藪の中だ。

田中の考えは間違っている。確かに不正をやり過ぎて、瀬在体制時に「謹慎」をくらい、田中の不正に関する調査委員会までできて「首」寸前のところまで行って、形振り構わず助けを求めて、あっちこっちに手形を切ったのは、心情的には理解できる。だが、その後の整理を大物暴力団に依頼し、助けてくれた人達に「直接電話はするな」はないだろう。当紙が過去に掲載した瀬在体制追及の記事を今からでも読み直してみればいい。

全て「田中英壽」の口から出た情報で書いたネタである。無敵の日大アメフト部篠竹幹夫監督のお別れ会で会った時は、「この恩は一生忘れませんから。自分が体制を取ったら、必ず恩返しをしますから」と当紙社主に言っていたのに、今では己が銭ゲバの暴君と化し、なんだこの有り様は。義理を欠くとんでもない男である。

当紙がきっちり仕事をしたからこそ、瀬在体制が倒れ、田中の時代が来たのではないか。

日大フェニックスで名選手だった井ノ口

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