敬天新聞7月号 社主の独り言

(敬天新聞7月号)


▼人の振り見て我が振り直せ」という言葉がある。舛添元都知事の言動を見て、つくづくこう思われた人は多かったのではないか。一つ一つはせこくて、確かに大したことではなかったので、本人も十分乗り切れると高を括っていたに違いない。

それに政治資金規正法で、使う内容についての説明が求められていないため、いい加減な使用が現実的である。国、地方、与党野党問わず、議員の殆どがザル法である政治資金規正法の恩恵に与っているのを知っているから、このことで追及されることはない、という甘えが舛添氏にはあったのである。

追及する資格のある者は議員だけと勘違いしたのが先ず最初の躓きだった。マスコミがどんなに騒ごうが、それは一過性のもので、それに法律違反的なもので騒いでいるのではないから、乗り切れるという誤算があった。

満を持して投入した「法律のプロ」であるヤメ検弁護士が、まさかの逆炎上したのである。今ヤメ検弁護士は大流行りであるが、謝罪の場面には似合わなかった。

やはりヤメ検は悪の追及にこそ、イメージが合致するのである。舛添氏は「法律違反はしてない」ということを強調したかったんだろう。それが裏目に出た。もう都民は法律違反を問うてはいなかった。

舛添氏の人間的なものにレッドカードを出していたのである。今風の言葉で言うと「うざい」ということだろうか?舛添氏の自惚れた優秀な頭脳が、風を読みを間違えたと言っても過言ではなかろう。

記者一人一人の頭脳で、舛添氏を越える頭脳の持ち主はいなかったのは事実だろう。だが、記者の後ろには億万の目と頭脳があることを舛添氏は忘れていた節がある。 その場での対応は記者たちだけだから、舐めてかかった節がある。記者の質問は練られていて、「億万の目を意識したプロの質問」をするが、優秀な舛添氏は「違反はしていないという自信に満ちた素人の答え」だった。

この差が、じわりじわりと風を起こして行った。どんなに優秀でも所詮は一人、相手は千三百万の頭脳である。終わり頃には、都民だけでなく全国民が参戦し、しかも全員が舛添氏の敵になってしまったのである。こうなってはどうにもならない。

それでも恋々しく、その地位にしがみ付こうとしたが、仲間であった与党都議団の、とりわけ公明党が野党と共に辞任要求書を提出した。一歩間違えれば、自党に飛び火しかねないと、自民党も右へ習いした。

斯くして舛添劇場は幕を閉じたのであるが、その一方で、その不適切な数々の出来事の内容は解明されず仕舞いだった。「辞めたのだから、武士の情け」と、綺麗ごとを言う議員もいるが、本音は、自由な使い放題の政治資金を規制や廃止にしたくないのである。

国会議員も都議会議員も半分の人数でいいし、一人の議員にかかる歳費等も半額で十分なのである。議員を就職と考えたり、利権情報受益者と勘違いしている者が多すぎるのである。

それにしても、舛添氏の終わり方は、前例のないみっともなさだった。自分の中で「悔しさ」とか「俺は悪くない」とかがあっての態度だったろうが、辞任会見、都庁職員への挨拶もしないというのは、余りに情けない大人げない対応だった。

飛ぶ鳥後を濁し放しの後味の悪い終わりだった。本当に悪くなかったら、辞めろコールは起こらない。

今は興奮して、物事を素直に見る目が欠けているだろうが、大半の人にノーと言われれば、静かに退場するのが世の中のルールであることを教訓として学んだ次第である。



▼熟年離婚が流行りだそうである。貧しい時は苦労を共に世間と戦ってきたが、子育てが終わりやっと自由になった時、老後をどこで過ごすか揉めるそうである。

成功したとまでは言わないまでも、やり遂げた満足感もあって、男は回遊魚の如く故郷へ帰りたがる。

対して女は、せっかく根付いた街に友達もできて、今更知らない旦那の故郷へ行って苦労はしたくないと意見が別れるのだそうである。四十年も一緒にいればお互いに金属疲労も出てこよう。

特にその歳になれば、女性は敢えて男を必要としないのである。必要なのはお金だけである。伴侶を必要とするのは、あくまでも男側だけなのだ。社会常識を恐れずに言うなら、人生二回結婚論というのが意外と的を射てるのかも知れない。所詮夫婦は他人だからね。

遠い親戚よりも近くの他人と言う言葉がある。どんなに血が通っている身内であっても、疎遠になって行き来が無くなってる身内よりも、たとえ赤の他人であっても、 日頃から付き合いがあり助け合って生きてる関係なら情も移り、その方が本人にとっては有り難い、というような意味を表す言葉である。

先人が長い間の経験から出て来た言葉であろう。また何十年離れて居ようとも肉親の愛は忘れないと、探し続ける人もいるわけだら、一概に全てに当て嵌まるかどうかはわからない。

逆に夫婦と言うのは元々は他人の関係で、うまく行ってる時は仲良く暮らせるが、何かの切っ掛けで歯車が狂ったら、もうどうにも改修は不可能である。言い訳をすればするほど、溝は深まるばかりで、一度心が離れたら、まず修復はあり得ない。

特に女性が一度心が離れたら、絶対に元には戻らないのである。男が未練を持ってうじうじ元の鞘に収まろうとするケースを望む場合が多いが、女性の方は嘘のようにすっぱりと未練を断ち切るケースが多い。こと別れに関しては女が男らしく、男が女々しいのである。

これは神様が、女がいつまでも別れた男に未練を持っていたら、次の恋に発展しない。ということは子供が出来ない。子孫が産まれなくなる。人間社会が滅びてしまう。 新しい恋に発展すればまた子供ができる。子孫が繋がっていく。神様がそのように作ったと言う神話を信じるしかあるまい。まさしく、芸能人の別離を見ながら、本当にそうだなーと、つくづく思う。

そして別れてしまえば嘘のように情も薄れ、全くの他人に戻って行くのである。よく憎しみ合ってなぐったり殺したりする者たちがいるが、とにかく先ずは別居することである。

会わなければ、自然と思いが離れていく。心が離れ、情が消え、元の他人になっていく。電話もメールもしない。或いは変える。時間経過と共にお互いに他人になっていく。

冷静に考えるようになるのである。一時は生活の変化に大変だろうが、それと引き換えに新しい幸せも入るようになるのだから、そこは踏ん張って我慢である。人生には我慢も必要である。



▼五月の二十二日に中学校の同期会が小浜であった。五十年ぶりに会う人達もいる。同期会だけは不思議な魔力がある。初老になった男女の再会も、話しているうちに青春が蘇り、その時代に戻って、みんなが若く見えてくるのだ。

私は昔からそうだが、慣れないと話ができない性格だから、みんなの輪の中に入っていけない。誰に対しても自分から話しかけていけないのである。自分の席を一切離れないのである。だから、声をかけてきた人としか話さない。

五年前の同期会の時は、一人の女性から「小学校の時は、あなたに 良く虐められた」と責められて、「多分、それは貴方の事を好きだったから、そういう表現方法しか出来なかったんじゃなかろうか」と言って乗り切った。

今回は私がこの独り言で「亡くなったらしい」と発表した女性がまだ存命だということがわかった。あるパーティーでその女性の兄と会った時、「妹が末期癌で、もう二、三日だから来てくれという連絡を受けて、これから千葉まで行くんですよ」と言う話を聞いて、それから何か月も経ったから、てっきり勘違いしていたのである。 また五年前に叱られた女性が来て「何言ってるのよ。私昨日電話で話したわよ」と言うことだった。またまた詫びた次第である。五十年の歴史は人も変える。

ものの見事に変身した人、そうでもない人。全体的に髪が後退し、だるまさん的体形で、引力の法則なのか気の性なのか、全体的に肉が緩み下の方へ移動しているような感じがした。

それでも正面から見たら、精一杯のキンキラキンが魅力的だった。ただ振り返った後姿は少しだけ哀愁的だった。

この前日、私が帰るということで、高校時代の恩師を囲んで数人の仲間と大村で飲み会をした。

この恩師は日本の伝統文化を重んじる人で、自分が教えた生徒は生涯生徒、という考えの人である。先生のお宅が集合場所だった。「君、差し支えなかったら、この人に応援してくれんか。無理はせんよ。無理はせんけど、頼むよ」と言って、自身が推薦する政治家の名簿記入をお願いされた。

私は思想信条が似ているので問題はないが、卒業して五十年も経つと、その歴史の中で立場上、政治的、宗教的、経済的等において、考えは変わって来る。

五人のうち四人は同意なのか大人の対応なのか、名簿記入したが、案の定一人は「すみません」と断った。翻って中学時代の恩師は、生徒に酒を注いで回り、他人行儀な丁寧な言葉遣いで、旧交を温められていた。 その人の生き方だからどちらがいいのかは、それぞれであろう。私は高校の恩師との縁が強かった。

二十三日には高校時代の一つ下の運動部に在籍した女性たちが飲み会を開いてくれた。

男勝りの松本君を中心に、腹回りが魅力的な飯田君と芋煮える夫人のようにスタイルがいい安藤君の、おかめとひょっとこコンビが楽しい。

三人とも踊りが上手である。松本君は日本舞踊、安藤君は社交ダンスの正統派だが、飯田君は無手勝流のドジョウ掬い派である。吉本新喜劇の田舎バージョンである。 いつも妹さんに「姉ちゃん、もう少し落ち着かんね」と言われるそうでる。何年か前には環ちゃんも会いに来てくれたが、去年亡くなったそうである。

生あるものは、いずれ死を迎えるのは自然の摂理。早かれ遅かれいずれはみんなが通る道である。悲しいと思うなかれ。

ふる里には、東京での喧騒を忘れるような、貴重な一瞬があるのである。


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