敬天新聞8月号 社主の独り言

(敬天新聞8月号)


▼男社会は縦社会。女社会は横社会。男は最初の基準は年齢だが、やがて力関係で上下関係が決まってゆく。だから暴力団社会が成り立つのである。法律が守られるのは治安がしっかりしてる処の話で、無法地帯では暴力が優先する。法は暴力の前では無法である。

日本が平和だから、こういう意見に矛盾を感じるだろうが、現実には世界の多くでこういう現実があるのだ。そういう場所では女性は無力である。女性を性の対象にしか見ない国や地域はまだ沢山ある。本能的にオスはメスに対して、そういう気持ちを持っている。

そのオスの本能を上手に受け止め、利用するメスもいる。この本能を批判できる拒否できる今の日本は、女性には非常に住みやすい国ではないか。戦争は悲劇を多く産むが、一方で勝てば相手の財産を無条件で奪うことができ、しかも、敗戦国に有無を言わせない利点がある。そういう闘争本能がオスには根底に流れている。その考えはメスには理解できない。

日本が男女平等で女性の尊厳を精一杯高く評価する国になったとしても、外交先がそういう考えを微塵も理解しない国であったら、交渉は非常に難しくなる。それが国際社会との外交の難しさである。しかもお互いに自分たちの考えが正しいと思っている。

アジア・アフリカの性差別はひどい。プロポーズを断ったら火を付けて燃やしたとか、村人全員で一人の女性を強姦したりとか。そして法律より風習が優先するとか、長の意見が全てとか、そういう国がまだまだあるのだ。国連も為す術もなく手に負えないのが現状である。

国連総長でさえ、退任が目の前になれば、再就職の為に堂々と差別的行動をしたりするのも現実である。イスラム国と言う名のテロ集団も最近は、誘拐団に落ちぶれてしまい、村を襲っては老人子供は焼き殺し若い女だけ誘拐して、自軍の性処理係りとして連れて行ったが、女性たちが言うことを効かなかったとして、鉄檻に入れ、民衆の前で焼き殺したそうである。

平和な日本に住んでいると想像もつかないが、現実の話である。幸い日本は天皇制度があって、一人の乱暴者が天下を取って、傍若無人にその権力を振り回すということがない。外国ではトップが辞めれば、国がひっくり返るということが起こりうるが、日本では総理大臣が死のうが辞めようが、国の体制には殆ど影響はない。

国民が穏やかで勤勉で誠実なところがあるから、一生懸命に働くのである。政治が悪い、経済が悪い、と文句ばかり言う人もいるが、世界の情勢に比べれば、十分及第点ではないか。子育てがどうの?とか、福祉がどうの?とか、言う人もいるが、確実に改善はされているし、世界に比べれば遥かに優れているではないか。

病院の保険制度などは、世界一優れた制度と言われているし、日本独自の良さが随所に散りばめられている。あれもこれも完璧にはできるものではない。今もし早急に必要なものと言うなら、犯罪に対する厳罰化であろう。罰則の大幅強化と犯罪収益の時効無しの没収。外国人犯罪者は国外追放。例外なしの再入国禁止。宗教団体であろうが、政治家であろうが、犯罪に聖域を作らない。

その中には政治資金の金の使い方や、税金予算の無駄使いも含めればいい。物言わぬ国民ではあるが、先の参議院選挙で安倍政権が支持されたことの意味とはそういうことなのである。ここを野党は理解できないから、支持されないのだ。

政権を執るとは、口先だけ良いことを言うことではない。収入と支出のバランスが必要である。世の中は清と濁が混在して成り立っているのである。




▼子供の頃はプロレスが格闘技で最強と思っていた。全ての技を使っていいのはプロレスだけで、他の競技はルールがあって、殴ってはダメ、蹴ってはダメ、首を絞めてはダメとか、あったので、何でもアリのプロレスが最強と思っていたのだ。技が綺麗だから尚更華やかに見えたのだった。

小学校四年か五年ぐらいの時、力道山がヤクザに刺された傷が元で死んだ時、最強のはずのプロレスラーが何で敵討ちをしないんだと、不思議に思ったものである。俺がプロレスラーだったら絶対に仇討ちしてやると思ったものである。プロレス最強に疑問を持ったのは大学に行ってからである。

柔道場では畳が固いのでプロレス技を練習するのは難しいが、レスリング道場に行った時、ブレーンバスター(左手で相手の首を後ろ側から下に抑え込んで挟み、右手を相手のへその下辺りに当てて、右手で相手を持ち上げ、後ろにそり投げる技)の練習をしてみた。相手が自分からタイミングよく飛んでくれない限り、何回やっても投げれないのだ。他の投げ技も、相手が協力しない限り綺麗には決まらないのだ。

関節技や寝技は技術に優れていれば掛けられるが、投げ技はそんなに決まるものではない。華やかな大技になれば尚更、相手の協力がなければ飛ばないのである。裏投げのように抱き着いて横に振るような技なら、瞬間的なタイミングでかかる。

プロレスには縁があって、日本プロレス三代目社長であった芳の里淳三さんが縁あって、うちの役員になって十年ぐらい在籍したことがある。岩沢敏雄さんの紹介だった。岩沢さんは私が事務所を出していた新宿一丁目のボス的存在の人で、住吉会の重鎮だった小林楠夫さんのゴルフの会の会長だった。一方で警察OBがよく尋ねて来てた。

芳の里さんとは、息子さんを連れてハワイにも行ったし、うちの田舎にも行った。しかし、プロレスが八百長だとは一度も言わなかった。ただ力道山は酒癖が悪く、酒を飲むと暴れる癖があって、グラスをかみ砕く癖もあり、部下に同じことをやれというので、困ったそうだ。

その頃のプロレスラーに志願してくる者は、やはり腕に覚えのある者が多く、誰にも負けないという気迫だけは持っていたそうである。今はプロレスも下火になって、ドサ回り的興行になってしまった。いつかまた力道山のようなスターが現れたら、復活する可能性もあろう。あくまでもエンターテインメントである。

歴史は、色んなことを学べるし教えてもくれるが、人は愚かにも何度でも、良いことも悪いことも繰り返すのである。それは煩悩という欲に支配されているからである。不思議なもので、煩悩と言うのは、貧しければ忘れることができるし、死を悟れば消えてなくなるのであるが、人生の大半には生と隣り合わせに存在するものである。

目の前に蜘蛛の巣が張り巡らされていて、そこにトンボが引っかかって喘いでいる。助けようか、見過ごそうか迷いながら、暫く眺めていた。自分の立ち位置やその日の気分で、助けるか見過ごすかに判れよう。例えば蜘蛛が嫌いな人は、迷わず蜘蛛の巣を払うだろうし、自然界の掟に口を挟むべきでないと思う人は、見過ごすだろう。私は後者を選んだ。

だが、次回そういう場面に出会った時、同じ態度で臨むかどうかはわからない。普通の人の感覚は所詮そのようなものである。郷に入っては郷に従え、そういう考えを持って接することこそ、無用なトラブルを避ける秘訣であろう。




▼昔は上場会社の社長さんの二号さんと言えば、料亭の女将さんか芸者さんと言うのが相場だった。こういう一流の社長さんの奥さんは、それなりに上品で格式もある女性が選ばれるのであろうが、やはり人は完璧ではないから、その足りない分を補うように、二号さんに求めるのであろう。

女将さんも芸者さんも共通するのは、女の部分の所作の気品さであろう。お客を喜ばせるために、最高の芸と所作でもてなしをする。言葉遣い、しぐさ、動き、間、聞き上手、全てに惚れ惚れするのである。高い金を払ってでも、そういう場所に通い、その雰囲気を味わいたいというのは、男の憧れなのであろう。そしてその雰囲気を独占したいと囲うことになるのである。

完璧なまでに磨き上げられた女としての芸こそ、女の最高の武器となるのである。男の伴侶の理想は「昼は淑女の如く、夜は娼婦の如く」である。だが、一人の女で、この両方を兼ね添える女性と言うのは副うそういるものではない。どちらかに優れて要る人は、何度か拝見したことはあるが、両方となると、至難である。

この言葉は、男は女性の理想として、褒め称え尊敬の眼差しでの表現ではあるが、女性側の受け止め方は微妙に食い違い、性差別とか愛玩的物差しで女性を見ているとか、理解されるのである。確かに女性は可愛いもの、救いの手を差し伸べるものという考えが、男の根底にはあろう。しかしそれは紛れもない事実であって、オスとメスの役割の違いは動物自然界のそれと全く同じで、権利の平等は主張してもいいが、男女の性癖、習性、原理まで否定してしまうのはいかがなものか。と公園散歩をしながらつくづくと考える今日この頃である。

しかし、女性の今昔も変わってしまって、普段こういう女性にお目にかかれるのは皆無になってしまった。時代と共に人も変わって行くのである。私の周りではわずかに九十歳の女性が、その面影を残している人が居る。九十歳を女性と呼ぶかどうかは別にして、その人は腰が痛いと言うので、患部にサロンパスを貼ってあげようとしたら、「主人以外の男の人に裸は見せられない」とか言って断るし、風呂に入っても「何かあってもいけないから」と、中からガッチリ鍵をかけるのである。何かあるかどうかは別にして、お見事である。

その言動や所作の女らしいこと、日本女性の神髄を見た思いである。何故こういう話を書くかと言えば、男にはこういう憧れがあるのである。こういうことを書くことにも憚られる時代になってしまった。殆どの女性陣に叱られる(嫌われる)記事ではあろうが、男の本音として、敢えて書いているのである。

今年もまた終戦の夏が来た。ひとしきり反省と批判が繰り返されることであろう。国民性として、あまり戦いを好まない日本人ではあるが、オスの本能として闘争心があるわけだから、これを抑えるのは難しいのである。加えて、団結力では文化的に優れたものがあって、脅威と恐れられるのである。また日本人は公衆道徳の感性が高い。トイレの清潔度では世界一との評価である。

自己主張が下手で、配慮があって、引っ込み思案の日本人ではあるが、今その日本人の評価が見直されている。田舎に行けば、お盆の季節である。少しづつ忘れられつつある風習ではあるが、高齢者の方々がしっかりと伝統を守り続けていらっしゃる。枯れ木も山の賑わいと言うが、誰一人として、何一つとして、世の中に無駄なものはないのである。しっかりと生きて、生きてることで、何かの、誰かの役に立ってることを実践したいと願う夏である。

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