敬天新聞2月号 社主の独り言(辛口)

(敬天新聞2月号)


▼トランプ大統領には政治で物を見る目はない。全てを経済的な目で見てしまう習性があるようだ。それはそうだろう。不動産屋一筋で生きてきたわけだから、全ての事案を不動産屋の目で見るのは当然である。

日本で言えば田中角栄首相に近いだろうが、角栄さんは土方の目を持つ一方、長く政治家もやって来た人であるから、政治もわかっている人だった。だがトランプ大統領は、まるっきりの不動産屋である。俗に言う千三つ稼業と言われる、千回に三回しか当りがない仕事をしてきた男である。

金儲け主義、利権主義、自国利益主義を全面に打ち出し、物事を全て金で判断するタイプである。貧困の格差は益々拡がるだろうし、発展途上に見向きもしない態度を取るだろう。

アメリカの大統領が世界をリードしてきた責任など微塵もない。アメリカ大統領の重さというものを、まだ理解できていないのだ。民主主義、資本主義の世界のリーダーとして、世界中が憧れ認めてきたアメリカの大統領としては、あまりに品がない。

今でも十分世界一の強国なのに、世界に気配りしないで、自国だけの利益を考えて行動したら、一時は国民の支持を集めるかも知れないが、早番世界中から総スカンを食うだろう。フィリピンなどの発展途上国がわがままを言うのとは訳が違うのである。

アメリカがわがままを言ったら、世界中がひっくり返ってしまうだろう。三十年前には「アメリカがくしゃみをすれば、日本は風邪をひく」と言われたが、今は「アメリカが風邪をひけば、日本は肺炎になる」と言うそうである。

時を経てより深く、より密接な関係になったということだ。今までは、ただアメリカの言いなりで着いていけば、それなりに見返りもあり周辺国からも守られてきた。しかし、同盟国と信じて着いて来たアメリカから、「自分の国は自分で守れ」と突き放された。中国は日本の海域を虎視眈々と狙っている。北朝鮮は誘拐した国民を返そうとしない。韓国は国と国との約束を果たそうとしない。

日本は舐められているのである。結局、外交は力である。そういう意味では強いアメリカを目標に掲げた単純明快なトランプ大統領の生き様は大いに参考になろう。アメリカが日本を守ってくれるなら、媚びへつらうことも、一つの選択肢かもしれないが、自分の国は自分で守れ、と突き放されてしまえば、自分たちで生きて行く道を模索するしかないではないか。

今や日本は世界第三位(実質二位)の経済力。化学力、技術力はトップ級である。あとは国民の、「自分たちの国は自分たちで守らないと誰も守ってくれない」という自覚と覚悟だけである。人も動物である。動物の本能で行動するような人が、世界をリードする国の大統領になった。

民主主義でも資本主義でもない、自分たちの国だけが良ければよい主義がスタートする。どこの国でも、そういう考えは一応ある。しかし現実問題として力がないから、思うように事を運べない。

しかし、アメリカの大統領は違う。全てに力がある。何でも思うように叶えて行くだろう。それを世界がどこまで許すだろうか?中国は大国ではあるが、この百年世界をリードしてきたアメリカとは、実践的には雲泥の差があろう。

アメリカの前では張り子の虎である。一応いい勝負ができるのはロシアぐらいではないか。トランプ大統領のごり押しを止めることのできる国も人もいないだろう。アメリカの暴走を止められるのはアメリカの良識でしかない。



▼隣国との関係と言うのは、いつの時代も付き合いは難しい。どうしても利害が絡むのでそういう関係になってしまうのである。日本は島国で、国境がないからまだいいが、国境が繋がってる国は大変だろう。特に片方の国が富国で、片方が貧国であった場合など尚更大変であろう。

中には、中国と周辺国のように、支配する側と支配される側のような関係が長く続くと声には出さないが、「恨み」が蓄積するだろうし、中東のように拮抗した勢力なら、上手くいってる時は均衡が保てるだろうが、上手く行かなくなると因縁の争いが続くのである。

隣国ではないが、我が国から一番近い外国の韓国とは、どうも相性が合わないようである。一時は韓流ブームが起きて、いい雰囲気になりそうだったが、やはり駄目である。日本でも昔は財閥との癒着は幾らでもあった。今でも多少の贔屓はあるのではないか。

朴大統領の弾劾になるまでの経緯を見ていると、日本での過去の事件にも似たような物はある。国は違えど、同じ人間だから考えてることも、やることも同じである。そのことに敢えて意見は言わない。自国の者が何を言ってもいいが、他国の者には言われたくなかろうから。

しかし、慰安婦問題に関しては黙っていられない。だいたい韓国との国の補償問題に関しては、一度清算が終わっている。国民が統治時代のことで不満があれば、自国を訴え、その補償を貰うべきである。個々の清算ではキリがないし、わからないから、当時の政府代表と話し合い合意して、その全ての補償として補償金を払った筈である。

だから今回も韓国政府にではなく、韓国政府が作った「和解・癒し財団」に支払いしたのである。それも事前に何度も協議して、韓国政府も合意したから、十億の金を払ったのである。受け取った以上約束を守るのが、筋である。特に、「外国の公館の安寧と尊厳を守る」という条約(ウイーン条約)が世界の約束事としてあるのにである。

しかし、世界の約束事よりも、国民感情が優先する韓国の外交姿勢もわかる。国民が「慰安婦問題は、世界の約束事よりも大事」と考えてるなら仕方がないじゃないか。嫌いな国を批判し裏切ることは、自国から見たら正義の行動だろう。外交とはそのようなものである。ロシアが「戦争の終わる一週間前に、日ソ不可侵条約を破って参戦してきた」と言い続けたところで、犬の遠吠えみたいなもので、ロシアは何とも思っていまい。

勝つためには裏切りだろうが、土下座であろうが、嘘で塗り固めようが、全て作戦のうちなのである。勝ってしまえば正論は幾らでも後付けできる。それは歴史が証明しているではないか。外交で勝たなければ富は生まれないのである。

日本の政治家が靖国神社参拝に行くのを中国が批判するのも、韓国が慰安婦問題をいつまでも持ちだすのも、向こうの立場からすれば、外交の一環としては当然である。それに一憂一憂して反応するから、尚更調子に乗るだけである。受けて立つ力を誇示できるなら反論してもいいが、そういう力を発揮できないなら、無視するしか方法はなかろう。

いい例が竹島である。竹島は日本の領土である。敗戦のドサクサに紛れて上陸されてしまった。すぐに「泥棒」と叫べばよかったが、敗戦の衝撃と復興途上で、取り返す余力もなかった。すぐに文句を言わなければ、「認めた」と相手が考えるのも当然である。

一度上陸させて年月が過ぎれば、既成事実が発生する。取り返すには実力行使しかないのである。イギリスはフォークランドをアルゼンチンに占領された時、地球の裏側まで行って直ぐに取り返した。こういう覚悟が今の日本にはない。言葉で、「返せー、返せー」と叫んだところで、返すわけがない。今度、竹島に慰安婦像を建てるらしい。そんなものを日本政府が、「遺憾である」と言ったところで、痛くも痒くもなかろう。

現状乗っ取られて、力で取り返すことが出来ないなら、そこに相手が何を立てようが、どうすることもできまい。幾らでも建てさせればいい。日本が竹島を取り返した時、ユンボで撤去すればいいだけの話である。大使館前や総領事館前だけじゃなく、韓国中に慰安婦像を気が済むまで建てさせればいいじゃないか。世界の約束事を守ることよりも、自国の経済が疲弊していることを心配するよりも、大事なことである慰安婦像建立なら仕方ないじゃないか。

韓国から日本は嫌われてるということである。そんなに嫌われてるのに、どうやって仲良くやってゆけるんだよ。こちらから幾ら近づいても無理なら、中途半端に妥協しないで、向こうから「友達になって下さい」と来るまで、何年でも放っておくしかないよ。一切口も利かない。金も貸さない借りない。行き来もしない。で、いいんじゃないの。



▼いつも思うことだが、自分のことと言うのは本当にわからない。他人のことはあんなによく見えるのに、何で自分のことになると見えなくなるのだろう。欲が絡んでるからとか、煩悩があるからとかで、片付けられないのである。よく、当事者はその中にいるから却って本質が見えなくなる、と言う言葉がある。

確かに周囲に居た方が、冷静にその状況を判断できる場合が多い。利害に絡まず、どちらの意見も冷静に聞けるし見れるからである。ところが自分の人生となると、いつがピークで、いつが下り坂で、いつが引き際で、と言うのが全くわからないのである。遥か後になって、あーあの時が自分のピークだったのかと、振り返ってわかるものである。功なり名を遂げた人こそ、勘違いするものである。

しかし、気付いた時には、もうすでに遅しである。人生は二度はないからである。ところが、倒産しながら、また這い上がって来る人がいる。逞しいのか、厚かましいのかわからない。倒産した時点では、周囲に相当な迷惑をかけている筈である。

中には責任を取って自殺する人もいる。自殺が責任を取ったことになるかどうかは、人それぞれであろうが、日本人の場合、仏様になれば許容する習慣があるようだ。倒産から這い上がって、再度成功した人が、過去の迷惑をかけた人に恩返しをすれば、有り難い(当たり前)ことであるが、実際に仕事に勢いが着くと、債務を許してくれた人の恩を忘れて、踏ん反り返るのが人の本質のようである。

自分ならあんなことはしない」と思うのは、そういう立場じゃないから思える殊勝な気持ちであって、現実になると人はわからない。動物は単純明快に力が基本である。人間もそういう処は十分にある。特に外交ではそうである。弱い国は飲み込まれてしまう。

一見、弱い国に優しい態度を見せるのは、有利な外交を望んでいるからであって、相手が思う通りの答えをくれなかったら、直ぐに牙を剥く。アフリカ辺りにあまり攻め込まないのは、メリットよりもデメリットが多いからであって、優しさではないのである。

資源が豊富であるなら、大国は直ぐに手を出そう。法治国家では、国内では法は有効である。しかし世界では法より暴力が勝り優先する現実がある。日本は何処へ向かうのか、今こそ、高齢者の知恵と経験が物を言う時である。


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