敬天新聞4月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞4月号)


▼人の振り見て我が振り直せ、と言う言葉がある。生き方の教訓として、生涯に何度でも聞いてきた言葉である。しかし現実には、瞬間的には参考にしても、人生の教訓として長く戒めている人は少なかろう。

この言葉の意味を、日本が今ほど学ぶべき時代は過去になかったのではないか?世界が自国の繁栄に向かって、目まぐるしく変化し活動している。つい最近まで弱小国の一つに過ぎなかったフィリピンが犯罪に強い大統領を担いだだけで、国が纏まってきたし、勢いを付けてきた。

二つに割れてる朝鮮半島は、片や前時代的な政治を続け、人さらい、偽札作り、覚せい剤製造販売を国を挙げて実践している。その意向に従わなければ、身内でさえ見せしめの為に暗殺してしまうのである。反省の気持ちは欠片もない。

片やその危機を知っていながら、それより大事なこととして、反日運動に力を入れている。大統領の贈収賄弾劾よりも、目前に迫った経済困難よりも、昔の屈辱に対しての恨みの方が勝っているのだろう。

日本人が忘れてしまった「仇討ちの心」かも知れない。それなら、寧ろ虐げられた期間が長かった中国に対しての恨みが強くて良さそうなものだが、地続きでもあるし、実際に攻めて来る可能性のある中国には言えないのであろう。牙を持たない日本になら、何を言っても安心という読みがあるのである。

韓国という国は、国内でも地域によって好き嫌いがあって、仲が悪い。日本のように、一つに纏まるというのが滅多にない。唯一纏まるのが反日の時だけなのである。アジアは朝鮮半島と中国だけではない。

日本の平和への貢献、繁栄、成長を理解し、参考にしている国も多々ある。賛成ばかりが多いと為政者が裸の王様になる可能性もあるので、反対・批判も同じくらいあった方がバランスとしてはいい。一輪より二輪の方が政治も車も安定性があるのである。

日本にとっては、韓国、北朝鮮、中国との付き合いよりも、アメリカとの付き合いが大事である。アメリカに臍を曲げられたら、一瞬にして生死に関わる重体になる。そのくらい密接な関係になっている。

独立国家として、少しづつ自立できる道を模索して行かなければなら無いが、戦うことを忘れて経済だけに生きて来た日本が、自身で国家防衛しながら尚且つ経済的安定の道を歩むには、国民の意識改革がなければ無理である。国防は嫌だ、金儲けはしたい、外国が攻めて来たら話し合いで、と考える人にはバカかと言いたい。

日本がやってきたことを全て良しとは思わない。その歴史上の中で、必ずしも文武両道に優れ、義に強く情に厚い人がトップになったわけではなかろう。寧ろ、策略・策謀に長け、権謀術数の政治力を持った者が時代を執った可能性は高かったであったろう。

だがそれは、見る角度、切る角度によっても異なろうし、況してや相手から見れば、真逆にも見えるのである。外交の利害は常に相手とは真逆なのである。アメリカのトランプ大統領も参考になる人である。

アメリカは世界一自由で、民主主義の理想の国家という一面を持つ国である。宣言している内容はフィリピンの大統領と対して変わらない。誰もその国のトップに立ったら、自国の繁栄、安定、防衛など、だいたい同じようなことを考えるものである。しかし、国内での支持率は片や九十五%、片や四十%である。成熟すれば価値観が多様化するのである。

▼ダブルスタンダードという言葉がある。一つの基本的な基準とは別に、権力者側が自分に都合がいいときに使用する基準である。今は昔ほど過激派と言うのは実際にはいない。しかし、予算が降りなくなるとか、仕事がなくなるとかの都合で、さも彼らが危険な活動をして居るように装うことがある。

総会屋もそうである。実際には総会屋だけで食ってる人間はいない。しかし総会季節の六月になると、さも総会屋が活発に活動して居るように騒ぎ立てたりするのである。そんなことをしなくても、次から次に新しい犯罪は増えているのだから、警察の仕事は増える一方で、減ることはない。

だから、取り締まる側に演出や芝居は必要ないのである。警察だけではない、自衛隊だって増員が必要だろう。北朝鮮が日本の在日米軍に向けてミサイルを発射すると言っている。今までは、そんな能力はないと高を括っていた。

しかし、自国では粛清という名の暗殺を挙行し、外国でも堂々と暗殺を実行した。そんな危険な国が隣国にあるのだが、日本人の多くは、北朝鮮に対して、直接的な危機感をほとんど持っていない。他人事なのである。確かに米軍と互角に渡り合えるほどの実力は、北朝鮮にはない。

しかし、日本に打撃を与えるのが目的なのか、アメリカに打撃を与えることが目的なのかはかわからないが、日本を狙う可能性は十分にある。もし東京にミサイルが撃ち込まれたら、100万人が死ぬことになろう。韓国だって今は一応米軍との友好を保っているが、新しい大統領に一番近い男は、北寄りの思想を賛美すると言われてる人物である。

アメリカ軍との友好関係を切って、北朝鮮と手を結ぶ可能性もある。そうなれば、アメリカファーストで、白黒のはっきりしたトランプ大統領の決断は早いだろう。そうなれば、否応なしに日本も巻き込まれていく。そんな時、専守防衛とか、後方支援とか、呑気なことをいってられるのか?他人事ではあったが、チャウシェスクやフセインが殺されたのを見て来たじゃないか。だから、ダブルスタンダードという姑息な手段を考えずに、為政者は信じた正義に自信を持って邁進すべきなのである。

ほとんどの国民は国対国の争いになった時、国民を守ってくれるのは自衛隊と思っている。それに備えての軍備は絶対に必要である。国の治安のためなら犯罪者は殺害しても構わないという、強い姿勢で臨むフィリピンのドゥテルテ大統領でさえ、「中国はあまりに強大であり、南シナ海で中国が進めている構造物建設を止めることはできない。中国と交戦すれば、我が国は明日にも全ての軍隊と警察を失い、破壊された国となろう」と語っている。これが、世界の現実である。如何に世界の現実では力が正義であるかを物語っている言葉であろう。

また国内では、犯罪から社会を守ってくれているのは警察である。しかし、警察もやり過ぎれば、一瞬にして積み上げてきた信用を崩壊させてしまう危険性もあるから気を付けるべきである。

先日、裁判所の許可なしで、窃盗団にGPSを取り付けていた問題で、最高裁が違憲という判断を下した。暴対法に関しては世論が後押ししたこともあって、二項詐欺問題も上納金脱税問題も一応、認められた。

日本は法治国家であるから、法を守るのが最優先ではあるが、オレオレ詐欺のような主犯が見えにくい捜査には、GPSでも、盗聴でも使用可能にした方がいいと思うが、ただ拡大解釈使用を一度でもすると、一瞬にして信用がなくなるので、それだけは十分に守って頂きたいのである。

▼今年の流行語大賞にも決まりそうな勢いの「忖度(そんたく)」と言う言葉が、いま大流行りである。本来、「他人の気持ちを推し量ること」らしいのだが、今は、「頼まれてはいないけど、先回りして気遣う心遣い」というような風に解釈されているようだ。

ということは、上司に対してとか、お世話になってる先に対してとか、自分の今後に影響力を持つ人に対してとかに気遣う心、という意味なのだろうか?私は、この漢字をついこないだまで読めなかったし、意味も知らなかった。知らなかったので、今使われる忖度の気持ちを表す言葉としては、ごますりとか、太鼓持ちとか、よいしょの名人とかの表現しか記すことが出来なかった。これで文章の幅が広がったと、密かに喜んでいる次第である。

しかし、忖度な考えを持てる人は、気が利くということでもあろうから、出世の早道として、どの世界でも重宝されたろうし、世間に幾らでもある話である。例えば子供の時、親に褒められようと忖度な気持ちを持ったこともあるし、先生に、先輩に、好きな異性に、忖度な気持ちを持ったこともあるだろう。

昭恵夫人は慈愛に満ちた天真爛漫な人だと思うが、今回はその思いやり優しさが仇になったようである。主人が一国の総理であるわけだから、影響力を鑑み、言動を慎み家庭の中で、内助の功として支える妻としての生き方を選ぶべきであったろう。そう思う世の男性は多いのではないか。私も妻にはそう望むタイプである。

縁あって総理夫人が名誉職に就いてくれたなら、主宰者からすればこの上ない名誉と力になったはずである。ただ、名誉職を引き受けてくれた人に、生臭い汚れた相談をしてはならない。常識である。

行政が政治家に弱いのは事実である。例えば、就職にしても、政治家が口を利いて、就職が決まったという話なんて、腐るほどあるし、当紙が過去に記事にしてきた話の中にも、今回のような土地疑惑や補助金疑惑のような話は幾らでもある。問題が大きくなるかならないか、風が吹くか吹かないかは、マスコミの本気度なのである。

今回は朝日新聞が中心になっての報道である。安倍総理がトランプ大統領と会談した時の「私と貴方には共通点がある。お互いにマスコミに勝ったことだ。貴方はニューヨーク・タイムズに叩かれた。私は(その提携関係にある)朝日新聞に勝った」というリップサービスが、朝日を本気にさせたのかもしれない。トランプ大統領の保護主義は安倍政権には追い風の傾向があったので、安倍総理に慢心があったのは間違いなかろう。

ただ今回の疑惑問題と、愛国教育方針の問題を一緒に取り上げてるメディアもあるが、それはおかしい。教育の自由、思想の自由という立場から、私立の学校がどのような教育方針を校是にしようが自由である。嫌なら行かなければいいだけの話である。

園児が君が代を歌い、教育勅語を暗記するなんて、素晴らしいことではないか。内容が理解できるようになる、小学校、中学校でも是非取り入れるべきである。どこの国でも、先ずは郷土愛祖国愛から始まる。

国が亡くなれば難民にならざるを得ない。難民・移民の悲哀はあちこちに嫌という程、見本があるではないか。「時代にも人生にも、四季はあるのである。」

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