敬天新聞11月号 社主の独り言(甘辛)

(敬天新聞11月号)



其の一

▼ヤクザは武闘派こそ誉であって、商人が看板を持ったような経済ヤクザは潔しとはしない。それは何もヤクザに限ったことではない。政治家にも言えることである。政治力を自身の為に利用し、商人丸出しの政治家は多い。いわゆる政治屋である。

政治家である間は、生活の保障と政治活動をするための歳費や活動費は貰っているはずなのに、国民や県民の為に働く政治家は少ない。殆どが一部のスポンサーや自身の利益のための行動をする者が多い。政治は就職先の一つと解釈すれば、腹が立たない。

選挙に出るということは、口から出まかせとは言え、頭を擦り付け、恥を忍んでの、パフォーマンスをするぐらいの勇気はいるわけだから、一般の人にはできない神経とセンスは必要であろう。

 

だから政治学を勉強した人より、「雄弁部」、「弁論部」出身と言う人が当選するのである。当選したら、「国民から選ばれた、支持された」と解釈して、一段上のステージに上がった気持ちになるのは理解できる。

本当は、当選してからやることは一杯あるのだろうが、政治も数の力だから、一人では何も出来ない無力感を味わい、結局政治の闇世界に飲み込まれ、一段上にいるチヤホヤ感、優越感を味わいながら、何もすることも無く、つつがない日々を送り、生活は保障されるわけだから、次の選挙運動をするだけなのである。これが一般の政治家の過ごし方なのである。

ところが、このレベルの政治家であっても、政治家から尋ねられた行政(公務員)は、大袈裟に驚いて見せ、一般の人の相談より優先して回答する。一段ステージの上の選ばれた人だから、仕方がないと言えば仕方がないが、煽てるから益々つけあがるのである。

世の中が甘やかしているのか、そのようなシステムになっているのかは、わからない。そうかといって調子に乗れば、次に落とされるから、不安定な職業と言えば不安定である。

ただ、その人の行動は、余程でなければマスコミには載らない。マスコミの報道がなければ、一般の人は知り得ない。だからマスコミの監視は必要であるが、肝心のマスコミまでもが、相手を見ながらの報道しか出来ないのも事実である。

また、事実であっても揉み消されることはある。金で取引されることもあるし、相手が権力者故に引き下がることもある。政治にも一短一長はある。一人一人考えは違うわけだから、みんなを満足させる政治というものはない。

外国の政治を見て、あれがいい、これがいいと言うが、良い一面だけを見て、継ぎ接ぎに取り入れても政治にならない面もある。表裏セットになってるものもあれば、文化や習慣が違うものもあろう。

世界中から良いものは取り入れながらも、日本は日本の独自の文化も大切にしていくことが大事である。政治家の勘違いを指摘し正すのは、やはりマスコミの使命であろう。一線を越える分岐点の判断は人それぞれに違う。政治家に対する倫理観は、優遇さがワンステージ上なわけだから、当然ワンステージ上の倫理観を持って貰わなくては困る。

突然の解散だった総選挙も終わってみれば、安倍自民党の圧勝だった。これで間違いなく安倍総理は戦後を代表する総理になるのは間違いないだろう。誰も為しえなかった、憲法改正に踏み込むだろう。あとは驕りに溺れないことだけである。



其の二

▼今や日本は犯罪者大国になった。犯罪者天国といってもいい。治安はしっかりしているので、海外の観光都市で見られるような、ひったくりとか、強奪というような危険な犯罪ではない。また貧しい国でもないので、物乞いとか、下水を塒(ねぐら)にしているというような子供がいるというのとは違う。今の日本の典型的な犯罪といえば、詐欺であろう。

商材は何でもいい。とにかく買えば、売れば、投資をすれば、という類で何でもいいから、金を出せば、何割かの配当を永遠に払う、という嘘である。商品はあってもなくても、あまり関係はない。騙す相手を紛らかすために商品を介在させるだけで、元々二束三文の値打ちしかなく、その取引に本来は用はない。

相手から騙し取った金が全てであって、その騙された自分のお金から自分が配当を貰っているだけなのである。例えば年四十八%の利益があります、という話に乗った(騙された)とします。

そこに百万円預けたました。毎月配当が四万円あります。順調に行っても、二年で貴方に配当を払うだけで元金はなくなります。会社の経費、人件費、光熱費も払います。何かに投資してるわけではありませんから、金はどんどん目減りします。何より他人の金を騙してるような輩ですから、毎晩豪遊しています。

一年間配当が来れば稀な方です。次から次から、だまし続けて新規被害者を勧誘し続けないと、金の流れが滞ってしまうのです。だから大体、一年ぐらいで破たんするのが普通です。

そうすると、少しでも警察が介入する(事件になる)のを遅くするために、投資金や預り金として受け取っていた金を、借入金とかに切り替えて、時間稼ぎをするのです。借入金は、両者の合意の貸し借りだから、民事として扱われ、刑事事件になりにくい。また騙すのである。

そしてその間に、また新しい投資話を考え出したり、被害者の中で、大金を持ってるような人を再度誘い込んで、「貴方の分だけは、特別に返済したい」と再度騙すのです。あまりに、こういう詐欺が多いのと、明らかな金利が高いような詐欺に騙された人は、果たして被害者と呼べるのか?という疑問も成り立ち、中々事件化しにくいのも事実である。

しかしこれらを一挙両得で取り締まる方法はある。犯罪の厳罰化である。犯罪を厳罰化したからと言って、一般の人は困らない。困るのは犯罪者だけである。

それなのに、なぜ政治家は真剣に犯罪の厳罰について取り組もうとしないのだろうか?被害者と加害者を見ても、人権を尊重しているのは明らかに加害者である。死刑囚になったりすると、急に人権を配慮する。死刑の判決が出る者は、死刑に見合うだけの犯罪を犯したから、死刑なのである。冤罪と疑わしいのは、また別問題である。一人殺せば基本は死刑。

人一人の命を奪ったのだから、自分だって命を亡くして償うのが当然ではないか。取り返しのつかない大事件、大事故を引き起こした本人が、取り返しのつかない厳しい償いを受けるのは当然ではないか。という考えが根付けば、命の尊さ、大切さが尊重されるようになり、殺人の犯罪を犯す前に、「俺は今何をしようとしてるのか?」と一呼吸するのではないか?他人に大被害を与える重犯罪の厳罰化の制定は、早急に必要である。

今のままでは世界中から犯罪者が集まる危険性がある。



其の三

▼これから温泉が恋しくなる季節に向けて、「ケツの穴洗え」シリーズです。今年も夏に帰省した折、温泉に通って、風呂に入る前にどのくらい、しっかりケツの穴を洗うか観察した。

たいていの人が、前側に一、二回桶でお湯を掛けるだけで、尻穴を洗ってる人はいない。ひどい人は、お湯もかけずにそのまま入浴する者までいる。そういう親の子供は、「お尻を洗う」教育をされてないから、当然のように、そのまま入ってくる。

何回も言っているが、風呂を提供する側も、「入浴する前に、体をよく洗いましょう」とか漠然と書かないで、「みんなが不愉快な思いをしますので、入浴する前に、尻の穴とその周辺をしっかり洗って下さい」と書くべきである。初めは違和感があるかもしれませんが、周知徹底すれば、当たり前のようになって、誰も恥ずかしいとか思わなくなるのである。

例えば、女性の生理用品や便秘の薬など、最初テレビで宣伝が始まった頃、「何でこんなのテレビでやるんだろう。みっともない」と、思ったものだが、今は当たり前に放送されてて、全く違和感もないし、恥ずかしくも、汚くもない。

風呂に裸で入るという文化は、世界では珍しいそうだから、入浴の清潔なイメージを世界に発信することも、これからは必要であろう。

理想は入浴場に書いてあるように、「入浴する前に、身体全体を一度洗ってから入浴する」ことが、習慣づけばいいけど。冬は冷えた体を早く温めたいから、どうしても入浴が先になる。だからせて、入浴前にケツの穴を洗う習慣を身に着けるべきなのである。食べることと、排便することは、表裏一体である。生きていくうえで、避けて通れない。

だが、誰も口にはしたがらない。確かに食うことが優先で、食わなければ排便もないだろうが、排便ができなければ、次の食うは続かないわけで、やはり表裏一体なのである。それなのに、食は美と表現され、排便は不浄と表現される。まことに不条理である。だから、あえて書くのである。いつも感心するのであるが、トイレに関して日本が一番進んでいる。

トイレットペーパーに関しても同じである。尻を拭いた後の紙をそのまま流せない国もある。紙の質が悪いので、流せば管に詰まるのである。高齢者が履く、紙おむつも世界一履き心地がいい。恥ずかしがり屋で、他人(他国)との触れ合いが下手な島国発想が、より便利で豊かな発明を導くのであろう。

ところで、今でも小学校や中学校では、子供たちが学校では大便をしないそうである。恥ずかしい年頃であろうから、そのような状況になるのであろうが、国によっては、同じ年頃であっても、しっかり排便の大切さを認識させ、恥ずかしがるようなことでない、と教えている国もあるのである。

不思議なもので、体の中にある時は、全てが愛おしく大事にするのに、体外に排出された途端に、汚い物に差別される。さっきまで自分の体の中の一部だったのである。それが、外に出た途端に忌み嫌われるのである。大便もたまったものじゃない。垢だって爪だってそうである。

さっきまで体の一部として本人を支え、生きる為に必死で協力してきたはずである。それなのに、体から切り離された途端に、ゴミ扱い、汚い物扱いである。何という不条理なことか。と思いながらも、風呂に入る前には、しっかりとお尻の穴を洗いましょう。

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