敬天新聞2月号 社主の独り言

(敬天新聞2月号)


其の壱

▼今年初めての独り言であるから、夢のある楽しい記事を書きたいと思っていたのだが、余りに強烈で、しかも現実に起きた話というから、やはり取り上げることにした。 十年ぐらい前に北九州で起きた妻の家族を皆殺しにする事件の内容が余りに凄惨である。今の平和な日本で起こった現実の話と言うから驚く。主犯は内縁の夫であった松永太死刑囚、従犯が内縁の妻であった緒方純子無期囚。最初は知り合いの男を、奥さんの悪口を言わせながら離婚させ、その男性の娘と二人を次第に奴隷にしていくのである。その男性から金を毟り取り、金が無くなったら、殺すのである。

そこで今度は内妻の緒方純子に金策を無心するのであるが、働きに出たのを、逃げたと勘違いし、親を呼び出し「純子が人を殺した。時効まで逃がすには金が要る」と嘘を言って金をせびりだした。親子の情を逆手に取っての犯行である。

親が騙されて金を取られてるのを知って、純子は家に帰るのであるが、待ち構えていたのは松永の暴力であった。暴力に支配された純子は、騙して自分の親を呼び出し、松永の手先となって親から金を奪い、金が無くなると松永と一緒になって、両親に暴力を振るうようになる。

やがて父が暴力で死亡すると、証拠隠滅のために死体を解体するのであるが、その解体を娘である純子と母親(妻)がするのである。後日、母親が粗相をしたという理由で松永に首を絞められて殺されるのであるが、そのとき、暴れる母親の足を押さえるのが、純子と純子の妹だったという。 後日殺されることになる純子の妹の旦那というのは、元警察官だったらしいが、その経験が全く役に立たないほど、人の心というものは、弱いものなのだろうか?結論から言うと、妹も殺され(この時は、元警察官の夫や子供たちが足を押さえたという)、妹夫婦の二人の子供も殺され、総勢七人が殺された事件だったそうである。

これでも貴方は死刑反対と思いますか?緒方純子は親を恨んで生きてきたわけでもなく、貧困や差別の中で生きてきた人物でもない。ごく普通の女性だったのである。それが高校時代の同期生ということで優しく声をかけられ、懐かしく再開したことで、人生が一変した。松永が社会に出て悪魔に変身していたことを知らなかったのである。人生には常に「まさか」が付き物である。 その点においては、人間より動物の方が自然の配剤、畏れに対しては敬意を表している。なぜなら、それらを守って生きなければ、全てが死に直結するからである。それに比べて人間は、自身が経験するまでどんなに教えても、学ぼうとも信じようともしない。

生まれてきた以上、生は永遠だと思っている節もあり、人が見ていなければわからないとか、法律を犯していなければ何をやってもいいとか、自分さえよければ他人は関係ないとか、傲慢な独りよがりの考えを持ってしまうところがある。

この事件を見ていると、人の性、弱さ、動物より卑劣な汚さ、貪欲さみたいなものが垣間見えてくる。そんな者にも等しく死は迎えが来る。死を迎えるようになって、或いは災難に直面して、人は初めて自然の偉大な営みを知り、生きてることの有り難さ、尊さを知るようになるのである。 人は死ぬまでを修行とする愚かな生き物であり、潔さは動物を見習うべきであろう。


其の弐

▼元TBSのニューヨーク支局長だった山口敬之という男が準強姦罪で逮捕状まで出ていたにも拘わらず、警視庁の偉いさんであった中村格という刑事部長が、一瞬のうちにもみ消したという話であるが、あれは頂けない。

権力者側の御用記者だったから助けたということだが、バレなければともかく、バレてしまったわけだから、関係者は処分されるべきである。

世の中には雄(男)と雌(女)しかいないのだから、性交は日常的にいつでも、どこででも行われている行為。動物の世界では雄が雌を追いかけ回し、雌は嫌なら逃げるしか方法はない。気に入った相手だけを受け要れるのである。

人間も本能的には動物的なところがあるが、辛うじてそれを法律や道徳で守っているのである。発展途上国や人治国家に行けば、女性の地位が低かったり、性的差別が顕著であったりする。人間も性交に関してだけは動物的なところ大なのである。

合意であることを和姦と言い、非合意(無理やり)であることを強姦という。準強姦と言えば、その中間のようなイメージにも感じるが、薬を入れて体の自由を奪った上での姦淫なわけだから、女性からしたら、納得がいかなかったのだろう。 その訴えを基に、乗ったタクシーの運転手さんから話を聞いたり、ホテルでの防犯カメラを解析した結果、準強姦には該当するということで、裁判所に適正な手続きをして「逮捕状」の許可が出た。それを執行しようとしたら、場違いな所からストップがかかった。

これは法をも恐れぬ「権力者の驕り」そのものである。国民はこれを一番恐れているし、一番忌み嫌うものである。野党に説得力がないから、国民の怒りに火が点かないだけなのである。マスコミもそうである。御用記者になれば、確かにこのように利点は多い。

しかし、権力者の監視・違反に警鐘を鳴らすことこそ、マスコミとして最低の矜持であろう。この警視庁の幹部は正義の行動をしたと言わんばかりに自信を持って名前を名乗っているが、適正手続きを経て裁判所から出た「逮捕状」を一警察官の立場で否定していいのか?組織には組織の「適正手続き」と言うのがある筈である。

こういうことが、普段も罷り通っているのかと、国民が思うようになることが危険なのである。私は「犯罪を減らすべき」という立場から、あえて共謀罪に賛成であるという考えである。最初は国民が納得するために、最初の共謀罪の運用は間違いなく暴力団に使用されるであろうことは、誰もが考えてることである。

しかし、国民が共謀罪に慣れてくると、だんだん拡大解釈されて行くだろうし、権力者に恣意的に使われるようになり、その次は権力者の忖度に使われ、そのうち捜査機関の都合で使われるようになる危険性がある。

そう考えれば、共謀罪の成立は正しかったのだろうか?とついつい考えてしまうのである。

特別に悪質・危険な犯罪に対しては、事前の防止を考えて、準備段階での逮捕もやむを得ないと思うが、多くの犯罪にこの適用は止めた方がいい。

今ある罰則の厳罰化で十分なものもある。恣意的捜査の乱用が懸念されるし、間違いなく冤罪を増やす一因となろう。




其の参

▼アメリカのトランプ大統領の舌禍が止まらないようだ。とても先進国の上に立つような男ではないという実態が見えだした。動物の本能丸出しである。発展途上国のリーダーであれば、国民のハートを鷲掴みするところであろうが、世界のリーダー国のリーダーには、あまりに相応しくなかろう。

アメリカの築きあげてきた信用が、いま音を立てて崩れているようである。長い歴史の中には紆余曲折は当然ある。ところが、彼の考えの中では、常に断トツのトップでなければ気に入らないようである。

この一年間の実績を見ていると、小学生の子供が駄々を捏ねてるようである。要するにアメリカが長年かけて築きあげてきた世界的な実績を片っ端から壊しているのである。

パリ協定の脱退など最たるもので、「儲からないものはやらない。経済が後退するものは協力しない」という、常に商売人的発想から行動する人なのである。

本音を口に出す人物なので、わかり易くはあるが、貧しい国、発展途上国に対して、「屋外便所(肥溜め)」という表現は不味いだろう。誰でも、必死に生きているし、豊かになりたいと願いながら生きている。

貧しい国の人々が豊かな国に働きに行こうと思うのは、水が高い所から低い所に流れて行くのと同じぐらい当然のことである。それを否定するから、それなら強くなって見返すしかないと考えるのである。

北朝鮮の金正恩代表とアメリカのトランプ大統領を一対一で、お互いに好き勝手に言わせ放題にしていて、言動から評価されれば、トランプ大統領の方が、世界的に見たら評価が下がる可能性すらある。

北朝鮮は確かに独裁国で民衆を犠牲にして平然と国を挙げて犯罪をする国である。意に添わなければ直ぐに殺してしまう国ではあるが。一方アメリカは民主主義・資本主義の代表国で、自由と夢のある国と思われている。

しかし今、その夢が壊れかけているのか、全てに制限をかけだした。アメリカは多民族の集合体である移民国家の代表である。日本で言うなら東京のようなものである。その現実を忘れているのではないか。トランプ大統領は石原慎太郎都知事に似ている。石原氏は「東京が国を支えている」という考えが強く、地方をバカにするところがあった。

しかし、現実の東京は地方からの上京組で出来ている。先祖から東京人(江戸っ子)と言うのはそんなにいないのである。

問題はそんな商売人的発想で国のかじ取りをしているトランプ大統領に、盲目の信頼を置いて大丈夫だろうか?ということである。ドサクサに紛れて、防衛の補強をして居ることはいいことであるが。

日本が防衛に力をいれることは、過去に一敗地に塗れたロシアや中国は警戒することだろう。トランプ大統領の言動を見ていると、資本主義・自由主義の行き詰まりに見えてくるようである。

多種多様な人がいる現世では、どんな政治をやっても、永久不滅に完璧で満足な政治はあり得ない。

いい政治を行っていても、いずれ澱み飽きられる。多少の不満な状況であっても、感謝する心にこそ明かりを見いだせるのかもしれない。

先人の教えに学ぶなら、程々なところで、歴史を繰り返すしか方法はないのかもしれない。

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