平昌冬季五輪で政治的懸念を 吹飛ばした日本選手よ有難う

(敬天新聞3月号)


北の忖度五輪

韓国で平昌冬季五輪(二月九日〜二月二十五日)が行われた。国籍を問わず出場した全ての選手に心から敬意を表したい。大会のエンブレムのデザインに込められた「天と地の間で人々が一つになる広場」という平和的な意味を鑑み、引き続き行われるパラリンピック(三月九日〜十八日)の選手達にも暖かい声援を送ろう。

今回の冬季五輪は、開催前に核開発や軍事パレードを強行しようとする北朝鮮の動向と韓国政府の対応に注目が集まり、そこに各国の政治的思惑が絡んだ異様な空気で迎えてしまった感がある。開催に先駆けて行われた韓国の文在寅大統領主催のオリンピック歓迎レセプションは、各国の要人たちが出席するだのしないだの、目を合わせただの合わせないだの、言葉を交わしただの交さないだのという「にらめっこ大会」さながらの競い合いが関心事となった。

スポーツに於ける世界的な共通精神を明文化した五輪憲章では、いかなる種類のデモンストレーションも、いかなる種類の政治的、宗教的もしくは人種的な宣伝活動は認められないとしている。

ところが韓国政府は開催国でありながら、ホームページ内の「韓国の観光名所」のページで竹島を取り上げ、「独島は韓国人にとって特別な場所」であると宣伝した。

また日本海を韓国呼称「東海」と記載するなどの政治的主張を記述した。日本の岸田文雄外相が「スポーツの政治利用に反対し、相互理解を求める五輪憲章の精神にも反している」と批判したのは当然である。

特に目に余るのは、韓国が北朝鮮に振り回されていることだった。いや韓国がと言うより、文大統領がと言った方が正解かもしれない。祖国統一を成し遂げれば、自分の大実績に繋がると思ってるのか、無茶苦茶な北朝鮮の要求を飲んでるようにしか見えない。

北朝鮮のオリンピック担当は、「祖国平和統一委員会」という何とも耳障りのいい部署である。急ごしらえの部署とはいえ、如何にも夢のあるネーミングである。とにかく日韓分断、米韓分断が目的であるのは目に見えているが、あくまでも「祖国統一は同胞の問題だから、他者は入れないで」という平和的メッセージに見せかけているのだろう。「微笑み外交」も然りである。

だが、それに応じる形振り構わぬ韓国大統領に、韓国でも「まるで平壌オリンピックだ」と揶揄する声が相次いだ。北朝鮮の政治的参加で、すっかりスポーツとしてのオリンピックの影が薄くなってしまったのである。



翻弄する韓国

会場も盤石の態勢とはいえず、選手はつらい環境での出場を強いられているようであった。報道も北朝鮮の政治的背景ばかりが強調されてしまった。スポーツが政治をも動かす力があるのも事実だが、現実はスポーツが政治に翻弄される場合が断トツに多い。

今回もオリンピックとは直接関係ない、政治色の強い音楽団とか喜び組的応援団が中心であって、しかも選手は緊急に出場させた俄か選手ばかりで、その枠は韓国選手の枠を奪ったものである。その日を目指して練習してきた韓国選手が可哀想である。オリンピックが終われば、いそいそと韓国の大統領は、北朝鮮へ出かけることだろう。

北朝鮮は、あそこまで成功している核開発を、韓国の大統領が来訪したぐらいで止めるわけがない。時間延ばしや、日米韓の亀裂、国連決議の無効化、統一をエサにした援助等が目的であろう。

文大統領は、歴史に名を残す大統領という言葉に目が眩んで物が見えなくなっているのではないか?おそらく世界中に大恥を掻くことだろう。或いは、文大統領は世界情勢と各国の思惑を見据え、北朝鮮と各国の仲介者に成ろうとしているのではないかという擁護論もある。

何れにせよ、祖国統一という言葉にはそのくらいの重み(夢)があるということである。それは当事者でなければ、理解できない苦悩であろう。

よくよく考えれば分断と言うのは、時のリーダーたちの考え方の相違であって、他国のせいにするものではない。国民はその時々のリーダーに翻弄され、振り回され、犠牲にされるのである。

国民を納得させ意見を纏めるために、外国に敵を作り、その悪事を強調する手法と言うのは、昔から使われる手法ではあるが、先進国では多種多様な考えが尊重される時代である。

戦うこともリーダーの選択。戦わないこともリーダーの選択。韓国が日本より北朝鮮を大事にするのは、身内であるのだから当然である。しかも家族を大事にすることを第一義としている儒教を大切にする国である。

どちらの国が主導権を取って統一するのかわからぬが、誰がリーダーになるのかによって、その国の主体性が変わることだろう。ただ今の北朝鮮は、人権無視の人攫い国家であること、金体制に従わない者を法も駆使しないで殺してしまう人治独裁国家であること、偽札や覚せい剤を国を挙げて製造する国際法を無視する犯罪国家であることを、韓国の文大統領がどこまで理解しているかである。

それよりも、統一に拘るというのであれば、距離を置いて、日本はその後を見据えて、その後に備えていくしかあるまい。とオリンピックを見ながら考えた次第である。



スポーツの力

ともあれ、期待のメダルにあと一歩届かぬオリンピック前半に、政治色も絡みネガティブ思考に成っていた日本国民の不安を、日本の代表選手たちの活躍が一挙に吹き飛ばしてくれた。

日本のメダル獲得第一号となったスキー男子モーグルの原大智選手にはじまり、高梨沙羅選手、高木美帆選手、小平奈緒選手、渡辺暁斗選手、平野歩夢選手がメダルを獲得し、メダルラッシュとなった日本は、更にフィギアスケートの羽生結弦選手と宇野昌磨選手の金銀メダル獲得に続き、スピードスケートの小平奈緒選手が金メダルを獲得し、最高の盛り上がりを見せてくれた。パシュート女子も見事な金。冬季では過去最多のメダル獲得数となり、それまでの政治的な懸念を一気に吹き飛ばし、忘れさせてくれたのである。

実直にスポーツに打ち込む選手の力(姿)は偉大である。出場した全ての選手に改めて感謝を申し上げたい。若い力や新しい発想、ベテランの経験や英知が風をつくり、国と国との軋轢も、世の中の常識も覆すことがあるのかもしれない。

国内では、オリンピックフィーバーの影で偉業を成し遂げた中学生棋士・藤井聡太新六段の活躍も素晴らしかった。若者よ大志を抱け。フレー、フレー、日本。頑張れ日本!



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