敬天新聞3月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞3月号)



其の壱

▼羽生選手が金メダルを取ったことで、政治的プロパガンダの強かったオリンピックが、やっと本来のオリンピックの理念に戻ったようで、めでたしめでたしの安堵感と、喉に引っかかっていた小骨が取れたようなスッキリした気持ちになれた。

続いて、小平選手も金である。高木姉妹のパシュートも素晴しかった。痛快、痛快。やはり勝つべき人が勝つと、盛り上がるものである。

惜しむらくは、真央ちゃん級人気を博してきた沙羅ちゃんの金メダルだった。彼女には世界記録を打ち立てた後、次回の北京で金メダルを期待することにしよう。

私は羽生選手が中学生の頃から、いずれスターになると何度かファン心理で記事にしたことがある。その第一要素は容姿である。あのスタイルと顔の良さである。そして受け答えがしっかりしている。しかも技術が素晴らしい。

今回初めて知ったが、高齢の年配者に大人気なのである。今まで中年代女性に人気があるのは知っていた。中性的雰囲気で女性を魅了する宝塚の男役みたいな雰囲気があるし、アイドル的要素も抜群である。昔のハンカチ王子、ゴルフの遼君に続く、スポーツ界の全国区アイドルである。

テレビで年配の方が、話をしてるだけで感極まって涙を浮かべ、「滑ってるところは怖くて見れない」というのを、何度か聞いたことがあっても、俄かに信じられなかったが、今回その場面を目の当たりにしたのである。

私は決勝当日のその時間は、「軍歌祭」という集まりに参加していた。会が始まって間もなくであったが、ショートで一位通過ということもあって、気になって同じテーブルの仲間の人に「誰かテレビを持ってませんか?」と尋ねたら、夫婦で参加していたご主人が、スマートフォンの大きな画面みたいなものを持っていて、覚束ない手つきで操作してくれて、悪戦苦闘の末に映像が出た時、羽生選手が氷の上で、スタートポーズを取っていたのである。

私は一緒に見ましょうと、令夫人に画面を向けたが、「怖い」と言って、一切画面を見ないのである。私はジャンプを成功する度に「よしっ、成功」と拳を握って声を上げた。その声を聞いて令夫人はチラ見をするが、また直ぐに後ろを向くのである。

テレビで何度か見た高齢の女性の現実を、目の前で見たのである。ファンと言うより、孫を見守る愛のような気持ちのようである。その愛の中に、若い頃見続けた夢、「私だけの星の王子さま」的な要素が含まれてるような眼差しも見えた。

あれから四十年。見た目は黄昏たけれど、心に燃える愛は、青春時代とちっとも変わらない熟年世代の逞しさを羽生選手の活躍によって、見せられた思いがした。選手に取ってオリンピックは夢を叶える場所。国民にとっては一喜一憂する場所。ファンにとっては泣ける場所。

北朝鮮が生き残りに必死なのはわかるが、こういう場所を政治的に利用してはいかんね。

さー、二年後は、いよいよ東京オリンピックである。五十年前は国と国民の考えが豊かさへ向かって一致していた時代であった。

しかし今は多種多様な考えで、人々が自由な生き方を選べる時代である。まだまだ開催までに紆余曲折はあろう。それでも一つだけ決まったものがあるね。そ・れ・は、東京オリンピックの聖火ランナーの最終走者。どう考えても、羽生結弦選手で決まりでしょう。




其の弐

▼去年に続き今年も軍歌祭に出席した。友人の寺田さんの誘いである。愛国心の強い寺田さんは毎年二十名近く集めて参加するのである。

そこで、誰に遠慮もなく思い切り軍歌を歌うのだ。軍歌は歌詞がいい。どの歌を歌っても涙が出て来る。老人性涙腺崩壊現象もあるのだろうが、とにかく感動で涙が溢れる。去年は初めてだったので、思い切り歌っただけで、周囲を見渡す余裕はなかったが、今年はしっかりと観察した。

これは自衛隊を応援する人達が主催する会のようで、自衛隊を退職した人達の再就職を手助けする一環として行われている会のようだ。自衛隊は基本的に体力が必要だから、一般の就職に比べれば、退職年齢が早いのである。再就職を確保してあげないと、入隊する者が居なくなるということである。その支援活動である。

三百人以上の人が集まって、生の演奏で軍歌を歌うのは壮観である。殆どが年配者の方であるが、意外と女性が多いのに驚く。日の丸を頭に巻き、右手を振って軍歌を歌う様は、一旦緩急あらばいつでも喜んで戦地に赴きます、というような雰囲気である。

軍歌には人心を奮い立たせる歌詞とメロディーがある。この人達が、もっと世間でも、このような気持ちをはっきり発言すれば、憲法改正も早いだろう。この会場の中では、発言は勇ましいのであるが、一歩会場から出れば、一般庶民として発言をしなくなる人が大半である。

祖国を愛することは悪いことではない。どこの国の人にでも、祖国愛や郷土愛というものはある。余程不幸な環境で育たない限り、普通に自然に身に付くものである。日本では自衛隊に愛好心を持っている人は多い。

一番の理由は、災害が起こった時に、真っ先に駆けつけ、昼夜を問わず重労働を敢行し、目的が遂行したら、愚痴一つこぼさず、恩も売らず引き上げる姿が、真に清々しいのである。殆どの国民は、自衛隊にそのようなイメージを持っている。まるで月光仮面の団体である。

一方、自衛隊に嫌悪感を持ってる人もいるようだ。もっともっと、この軍歌祭が拡がって、自衛隊に対する理解が広まって欲しいものである。

今回が第三十二回の主催だったということは、三十二年も続いているということである。これが東京(東部方面隊管轄)だけで行われているものなのかは知らないが、できれば各地方でも主催して欲しいものである。

そして後楽園とか、武道館とかで、堂々と軍歌祭が主催されるようになれば、自分たちの主張をはっきりと言える人達も増えて来るだろう。名前を名乗らない主張は無責任な主張である。一部では軍歌特集で、二部では懐かしの歌謡曲である。

来年には天皇譲位があり、年号も変わる。昭和がだんだん遠くなってくる。しかし世界は今また、徴兵制の見直しを考えてる国が増えている。多様化した考えを尊重する一方で、国を大切に思う心を養うことの重要性にも気付き始めたようである。軍隊だけに国防の負担を押し付けるではなく、その補佐的な任務、その手伝い、という軽いものでも共有することの意義を身に着けようとの教えである。

男には、強く無ければ生きていけない、生き残れないという、本能的な戒めがある。戦おうとする心、戦いに勝とうとする心のように、悟りとして生まれ持った力は否定できないのである。それを精力善用することが大事である。縁の下の力持ちである自衛隊の努力には、国民の一人として本当に頭が下がる思いである。感謝申し上げます。




其の参

▼異性を選ぶ対象は人それぞれだけど、若いときは美を対象にする場合が多く、歳を重ねたら優しさを求めることが多いような気がする。だが男と女は求めるものが違うような気もする。また一時的に付き合うだけと言うのと、生涯一緒に居たいというのでも、求めるものは違ってくる。

動物は雄が雌を求めて放浪する。メスは簡単には受け要れない。気に入った相手だけを受け要れる。その時の条件と言うのは、「強い子孫を残す」。これだけだそうである。メスがオスに求めるのは「強さ」である。

自然界を生き残って行く為に「今日勝つ」逞しさを持ってることを第一義として、相手を選んでるのである。対してオスは、相手を選ばず伴侶を求めている。美とか優しさを求めていない。求めているものは只一つ、「子孫を残す」ことである。相手を選ぶ時の条件は「健康な子供が産める」ことである。

昔の親が自分の息子の嫁に欲しいのは、「健康でお尻が大きくて働き者」というものだった。この条件は理に適っている。ところが、若い頃には、その理が理解できないから、顔が小さく可愛くて、モデルのようなスタイルで、美人薄命に憧れるのである。

ところで、男は自分の器量は棚に上げて、一緒になりたい女性に対して、多くの条件を持っている。綺麗さ、可愛さ、優しさ、料理が上手、掃除が上手、整理整頓が上手等。

対して女は、やはり「生活力」を重視するのではないか?動物のメスがオスを受け入れる時、家庭を作ることを覚悟する。その一番大事な作業は子育て。そのためには一緒になったその日から、オスが出会う敵たちと今日も勝って、エサを運んで来てくれることが何よりも最低の条件になる。

食物連鎖の中での弱肉強食の世界に勝ち続けてくれないと、家庭が崩壊してしまうのである。と考えると、嫁をもらったことで、最も大切な男の条件は「生活力」ということになる。細かく言えば男に必要なものは「生活力と精力」ということになろう。

女は「産む力と子育て力」となる。女は十代後半から四十代前半まで女の役目を果したら、あとは役目がないから、中性として好きなように生きればいい。男は、中性になった妻であっても、食べさせる責任があるし、自分も食べなきゃいけないので、死ぬまで働くしかない。

中には中性になった女でも、生活力のある者もいるので、その時は甘えてもよいが、(一般に女の仕事と言われている)掃除、洗濯、飯炊きは男がやらねばならない。今の時代はこれらが混同して、何が何だかわからない、幸せなのか不幸なのかわからない時代なのである。

それから、もう一つ男の勘違いを付け加えると、中年以降の酔っぱらい親父に多いことだが、何かのパーティーとかで女性に話しかけると、社交儀礼的に挨拶を返してくる女性を、「自分に気がある」と勘違いして、どんどんエスカレートして口説こうとするバカがいる。大人の女が金や名前もない男に誰が振り向くものか。自分から名刺交換して来たり、擦り寄ってくる女は、何か利益関係を作りたい目標があるに決まっているのは常識である。

わからなくなったら、動物の行動を思いだせ。そして見習え。今月の金言・「女は愛か金がなければ振り向かない。男は女であれば相手を選ばない。」という習性がある動物である。そして人は後悔と失敗を繰り返すのである。

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