実録!日本大学ドキュメント 仁義なき田中理事長誕生秘話

(敬天新聞4月号3面)


写真騒動

葉桜の季節がやってきた。今年もまた多くの若者が全国から集い、夢と希望を抱いて日本大学で学生生活をスタートするのだろう。そんな純真な若者達の気持ちをよそに、日本一の助成金を預かり、大学運営を担っている執行部では、不幸なことに今もなお私利私欲に満ちた田中体制が盤石を期している。

当紙はこれまで多くの情報をお寄せ頂き、不正問題を報じてきた。だが、田中英壽理事長の牙城は崩せずにいる。それは、内部の者達が間違いなく爆発寸前の不満を抱えながらも、もう一つ勇気を持って告発できないでいるからだ。

その一因を担ったのは、間違いなく平成二十六年九月に起きた敬天襲撃事件であろう。その直前まで、相撲部のOBでさえ内部告発するまでにマグマは溜まっていたのである。この時期、日本最大の親分である山口組の司組長と田中理事長のツーショット写真が世に出回っていたのである。

これは外国の雑誌が写真を掲載した上で、二〇二〇年の東京オリンピックを「ヤクザオリンピック」と揶揄し、「JOC(日本オリンピック委員会)の副会長(田中英壽)がこれでいいのか?」と警鐘を鳴らしたものだった。

当紙はその時点では、ツーショット写真の存在など知らなかった。襲撃した犯人はその後、幾つかのマスコミに対して「敬天を襲撃した。ツーショット写真を掲載したら、敬天みたいになるから気を付けろ」と、わざわざ警告の電話を入れているのである。

当紙はその事実を伏せておいたが、何人かの知人の記者から問い合わせがあったので、翌日事実を公表した。

田中理事長は弘道会とも山健組とも交流があったので、それらの犯行を匂わせるような感じもあったが、あれだけの主流の大組織が直接動くわけがない。田中理事長が付き合っているのは、その組の末端ではなく、どちらの組もトップである。

へたをすれば、そのトップまで責任が及ぶこともあろう。それにわざわざマスコミに、襲撃した側が発表するというのも不自然である。中には会話を録音してたとこもあるだろう。今の時代当然である。

ある記者が田中理事長にツーショット写真の件で尋ねたら、「偽造だよ」と言ったそうである。それなら記者会見を開いて、堂々と自分の口で説明すれば、事は収まってしまう話である。第三者の口で否認するから、いつまでも疑惑が燻るのである。

因みに警察はツーショットの場所も日付も特定はしてるようだ。警察が特定したからと言って、記念写真ぐらいなんでもないことだ。そんな偉い人との記念写真なら、誰だって自慢げに見せびらかしたいものである。

また、実際は二人だけではなく、他にも女性や関係者が映っている写真であることを警察関係者から見せられて知った。現在も襲撃者に対する捜査は続いているそうだ。

平昌オリンピックが終り、いよいよ次ぎは東京オリンピックである。あらゆる日本中の有名な親分の力を背景にその地位を築きあげた田中理事長が、その役目を亀井静香元議員をリーダーとする危機管理隊に乗り換えて、成功するか否か、これからが正念場であろう。


誕生秘話1

田中英壽理事長による日本大学の学校法人らしからぬ運営を持続させてるのは、偏に亀井静香氏の防衛力である。自民党を離れて久しい亀井氏が何故こうも力を持ち続けるのか、一番の力は警察関係者を抱きこんでいることであろう。

田中理事長は元々、学内では一定の人気(票)を持っていた。その一番の魅力は相撲の強さだった。代々の学内の実力者からも可愛がられ、学外でも大口のタニマチを持ち、順風満帆の職員生活であった。

有名な学外のスポンサーと言えば、許永中氏であろう。許氏を紹介したのは、住吉会のトップまで昇りつめた福田会長と言われている。故郷の先輩にあたるらしい。

許氏と二人三脚で大阪に国技館を作り、大阪オリンピックを誘致すると、当時の大相撲の理事長であった境川親方(元横綱佐田の山)まで呼んで、石碑まで建立して運動していた事実は有名である。

その後許氏の経済事件が発覚して、話はとん挫してしまうのであるが。若い頃の成長には、福田会長と許永中氏は欠かせない存在だったのである。

その後、福田会長繋がりで、K氏と知り合うのである。田中理事長の今日の隆盛には、少なからずK氏の力が反映したのは間違いなかろう。それだけお世話になったのは事実である。それは本人が一番理解している筈である。

田中理事長が出来た背景は、ヤクザ人脈のすごさ、怖さである。その繋がりを嫌でも見せつけられた教職員たちは、当時から田中氏に何も言えなかったのである。

常務理事になった時、あまりにも業者との癒着が酷いというので、時の学長であった瀬在幸安氏が、第三者委員会を作り、その不正を追及したのであるが、途中で瀬在氏の不正の方が注目を浴びることになり、田中常務の疑惑はウヤムヤになったのである。

この時の疑惑の一つだったのが、後に読売新聞が報じる業者からの五百万円の賄賂疑惑であったのだが、和解して、日大は読売新聞の大広告主や巨人軍のオフィシャルスポンサーになったのである。疑惑は事実であったのだから、読売新聞は全く和解などする必要はなかったのだが、大人の解決を優先し、マスコミとしての使命・矜持を捨てたのである。

この土俵際の田中常務を救ったのが、K氏人脈だったのである。田中理事長が全国区クラスの親分と交遊があるのは事実である。当紙も田中記事では、何度か注意されたことがある。

K氏は迷惑をかけてはいけないからと、自分では表に出ない人である。接待等の表舞台ではゴルフ部OBの米本氏を使いに出していたのである。その米本氏とも約束を破り、井ノ口姉弟を裏から入れて、今では表の執行部にまでしてしまった。やりたい放題である。

大物ヤクザとの交遊力で理事長の座まで射止め乍ら、なった途端に、ハイさようならである。

それでも過去は問わせないという「護り隊」がいて、それを認める世間に当紙は一石を投じているのだが、大金を自由に使える立場になってしまうと、マスコミさえも媚びを売るようになるから始末が悪い。

だが「護り隊」との仲もいつまで続くことやら。


誕生秘話2

田中英壽理事長は、日本大学の評議員で理事長の裏の側近中の側近だった米本明祐氏に自販機は全て任せるという約束をしていた。

しかし、米本氏が癌と宣告されたら、その話はいつの間にか裏口入学で日大の看板に泥を塗った筈の井ノ口忠男(現理事で姉は広報牛耳る橋本稔子)の案件になってしまった(理事長夫人優子姐さんの鶴の一声)。亡くなった米本氏は無念であったろう。

日本中の親分と知り合う切っ掛けは同郷の先輩である福田会長や許永中氏、その知人でもあるK氏などの人脈にもよるが、大物親分が入院するという情報が入ると、自ら出向き、挨拶をして、気脈の通じた差配できる医者を主治医として紹介し自ら開拓していった部分も大きい。

時には入院期間を延ばしたり、希望に副った診断書を作成したりと、相手に喜ばれ、多額の謝礼を貰うことも、あったという。その当時の関係者に病気入院の経緯について尋ねたところ、そのような言葉を聞いた。

山口組に若い衆(自分の知り合い)を斡旋するぐらいだから、その付き合いの本気度がわかろうというもの。警察はこういう事実を知っているのだろうか?

そんな人が未だに、大学の理事長であるばかりか、東京オリンピックで重要な役割を担っている公益財団法人JOCの副会長でもあるのだ。

この件を当時、維新の牧義夫議員(現希望の党)が国会で、文科省大臣だった下村博文議員に質問したことがあった。下村議員は調べて回答すると言っていたが、未解決のままである。亀井氏から「中止命令」が出たという噂もあるが、事実なら大変な事件であろう。国民を馬鹿にしてるといわざるを得ない。

だが、いずれ噴火する余地はあろう。理事長に登り詰めるまでに散々暴力団を利用した。そして今は散々警察を利用している。正確には警察に顔の効く亀ちゃん危機管理防衛隊を利用しているのである。

その亀ちゃんとも最近は利権を巡り、関係がぎくしゃくしているという噂がある。

また仁義無き使い捨てを謀るのだろうか。続く。


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