(敬天新聞4月号)
其の壱
▼安倍昭恵夫人がノー天気な女性であることは、今更強調する話でもないが、一年も同じ問題で追及される原因の一つに間違いなく夫人の配慮の無さはあるだろう。
安倍総理は主人であるわけだから、忖度まではいらないが、それにしても主人の苦境は続いているわけだから、もう少し外出や交遊を自重すべきである。本人は世のため人のためという認識だろうが、相手は必ずしもそうとは限らない。
総理夫人の出席はその式典に箔を付けるための意向が多分にあり、況してや名誉職参加は尚更のことである。初めは昭恵夫人が自分のことを「家庭内野党です」と言っていた言葉を聞いて、「総理には一般の声は届きにくいだろうから、世間の小さな声を拾い上げて、教えてあげる役目」のことを言ってるのだろうなー、と思っていた。
ところが、最近の言動を見ていると、本物の政治の野党と同じで、まるで主人の足を引っ張ってる家庭の中の野党である。
森友学園問題のような話は、過去に幾らでもある。国が一部の業者に安く譲るとか、情報を事前に漏らすとか、許認可を手続きを経ずに許可するとか。
代表例は田中角栄元総理であろう。他には例えば長崎県の諫早干拓の入植に関する問題でも、本来農業に従事した経験のあるものしか、入植の資格はないという規定があったにも拘わらず、金子源次郎参議院議員(当時長崎県知事)の娘と谷川弥一衆議院議員の息子夫婦が経営する法人が入植しているのである。百条委員会まで出来て騒がれたが、有耶無耶のままである。
田舎にはこういう矛盾事例がいくらでもある。都会に比べて柵が多いので声を上げにくいのである。森友学園の話も一時、終息に向かった時期もあった。
国民が「たった八億円の話なんてどうでもいいよ。もっと審議しなければならない大事な話が幾らでもあるだろう」と、話の中味に飽きていたからである。籠池夫婦が逮捕されたことで一件落着になる筈だった。
籠池氏が昭恵夫人という名をチラつかせ百万人の味方を得たも同然と強気で行政と交渉したのも事実だろう。またその言葉を裏付けるように夫人お付きの谷査恵子職員からも連絡が入れば、行政が忖度するのは当然である。国民の殆どもそのような解釈ではないのか。
政治家が口を挟めば、陳情の順番が繰り上がったりするのは世間の常識である。今は野党も尤もらしく責めているが、与野党に拘わらず、選挙民から頼まれれば、相談に乗ってあげる習慣があるのだから、どっちもどっちでもある。
何度でも終わりにさせるチャンスがあったにもかかわらず、これだけ長引かせたのは、偏に内閣の姿勢であったろう。野党に言わせるだけ言わして、それでも頭を下げ続ければ、国民は「野党もいい加減にしろ」となっていただろう。
選挙で大勝したことで、野党の質問に対して、ぞんざいで尊大な態度が目立つようになった。日本人が一番嫌う態度である。内容そのものは、一年前とそんなに変わるものではない。違うのはマスコミの力の入れようである。マスコミが本気で動き出せば世の中の空気が変わるのである。
今までのお浚いに過ぎないネタも新鮮に見えるし、言葉のマジックで前代未聞と言われると、そうなんだと思うのが庶民である。実るほど首を垂れる稲穂かな。
其の弐
▼私の能力の限界は既に臨界点を超えておりまして、思いつくまま記事を書いていますが、自分では新鮮な記事を書いてると思いながら、書いてるうちに、「あれ、この感じ、いつか書いた気がするなー」と思うことの繰り返しであります。
幾つまでが伸び盛りであるのか、開発の余地があるのかは、人それぞれでしょうが、大抵の人は還暦を境に、心身ともに下り坂でしょう。
中には、古希だ、喜寿だ、いや傘寿までは大丈夫だよという人もいるが、やはり全てが充実して居る人は、一握りです。公的機関で六十五歳定年説は、やはり理に適っていると思う。元気な老人もいるにはいるでしょうが、気力、体力、知力に加えて、金力も必要な時代になっては、なかなか勝ち残っていくのは大変です。
当人には厳しい言葉になりますが、現実は受け止めて行くしかありませんね。しかし、老人になってもやれることは幾らでもあります。自分の経験から、若者に苦言を呈し、人生を間違わないように指導してあげることです。
その時に必要なことは、価値観を押し付けないことです。若いときに、あれだけの名声があって、あれだけの力があるのに、何で引退なんかするのだろう?とか思う人を何人も見て来たが、やはり本人じゃなければわからない悩み、苦悩があるんだね。
ただ、いつも思うことは、自殺だけは余りにも勿体ないと思う。どういう環境であれ、せっかく世の中に生まれて来たのだから、最後まで生き抜く価値はあると思う。ある日宝くじに当たることもあるだろうし、理想としているような異性と巡り合うかも知れない。地道に努力していれば夢が叶うことだってある。
その夢だって、二十代で叶うこともあれば、六十代で叶うこともあろう。だから私は、自ら死を選んではダメだと、言い続けているのである。 私の新橋での街宣は、この一語に集約されている。他の話は付け足しみたいなものである。政治も経済も況してや宗教など、イロハのイの字もわからない。そんな男が、大衆の前で話をし、記事を書き、人の相談に乗っているのである。
当たるも八卦、当たらぬも八卦に似たようなものである。ただ、人生の相談に乗るほど能力はないので、不正・不条理・違法があるかを聞いて、その事実を暴露しているのである。相談者は、自分一人では戦えないから相談に来る人が多いのだが、相手に訴えられた時ぐらい、せめて名前を名乗って一緒に責任を負うという覚悟を持ってくれないと、騒ぎが大きくなると、「私は関係ありません」では、余りに無責任である。
いまこのような日本人が余りに多い。竹島は返せ、北方領土は返せ、と言いながら、本気で取り返しに行く覚悟はない。日本人はマッカーサーの三S政策(セックス・スポーツ・スクリーン)で、性根を腑抜けにされてしまったのである。
個人的には犯罪になる行為でも、国として行えば犯罪にならないという行為が存在するのも事実である。しかし、それは勝った国の立場。負ければ全てを賊とされる。北朝鮮も国家的犯罪は幾つもあるが、誰もそれを問うことはできない。アメリカの強引さだって同じである。
結局は何事も「強い」と言うことだけが最後は正義となるのである。そう考えれば、国力の強さは必要になって来る。弱い国が国民を幸せに導いた例は世界の歴史にはない。
其の参
▼人心掌握術と言う言葉がある。人の心を掴むという意味であるが、代表例でよく例えられるのが、田中角栄元総理である。一回名刺交換しただけで、その人の名前を必ず覚えるだけでなく、その人の家族構成まで調べておいて、次回あった時に「・・ちゃんは元気かい?」とか言って相手を驚かし、相手は「この人は自分に興味を持ってくれてるんだ」と、いっぺんにファンになってしまうのだそうである。
人心掌握には、愛想も必要だろう。話も饒舌でなくてはならない。記憶力も大事であろう。と考えると、私には全くの才能がないことがわかる。
私はとにかく愛想がない。記憶力もない(最近は特に)。饒舌な話もできない。まず、男であれ、女であれ、慣れないと話をしない。それも一言も喋らないのだ。先日もクラブに招待されて、隣に座った女性と一言も話さないものだから、「怒ってるんですか?」と尋ねられたぐらいである。怒ってはいないのだが、初めての人とは話せないのである。新橋で大衆に向けて二十五年も街宣しているので、嘘でしょう、という方が多いのだが、現実に話せないのである。パーティーに出ても、自分の席から一切動かない。
本来目上の方が会場にいらっしゃったら、自分が先に見つけたら、先に立って挨拶に行かなければならないのだが、それもできない。とにかく動かないのである。そのため、学生時代は「生意気だ」と半年も入院するほどのヤキを貰ったりしたのだが、それでも一向に改めようとしないのである。
一昨年だったか、参議院のドンと言われた村上正邦先生が新橋にお見えになった。牛若丸と言われた山口敏夫先生も一緒だった。山口先生が都知事選に出るといわれた頃である。私の会場(街宣場所)を貸しての演説会だった。保守本流と言われた先生で、大先輩でもある。こちらから挨拶に伺うのは当然である。
色んな人が次から次に挨拶に行くのを見たら、気が引けるのである。誰かが紹介してくれないと、動かないのである。とにかく非礼というか、常識がないのである。加えて、感じたこと、思ったことをズバッという癖がある。決して悪気があるわけではないのだが、忖度とかおべっかとかは、全く言えないのである。電話がまた下手で、用件だけしか言えない。
慣れた人とは平気に話ができるのであるが、慣れるまでに時間がかかるのである。だからナンパなどしたこともない。知らない女性に声を掛けたことなど、生まれてこの方一度もない。平気で軽口を叩いて話しかける者がいるが、考えられない。パーティーの会場で、酒を片手に、次から次に女に声を掛けて行く男の気が知れない。羨ましいとも思うが、できないのである。
例えばこういう小さな新聞を発行する場合でも、業界紙になって体制に迎合する記事を書いていた方がその世界の権力者に可愛がられる。平たく言えば、よいしょ記事を書いた方が経済的には成り立つのである。
その分心は苦しいだろう。矜持さえ捨ててしまわなければいけないのであるから。私は性格上、自分の意思を殺してまでゴマすり記事は書けない。貧しい人、弱い人はは基本的に責めないという姿勢だから、自ずから権力者の不正に目を向けてしまうのである。
二十五年前に敬天新聞社を始めた時、どこかの記者に方針を尋ねられた時の答えで、半分冗談で「万年野党です」と答えたが、正に未だにその姿勢が変わらない。三つ子の魂百まで、雀百まで踊り忘れず、である。