敬天新聞 5月号 社主の独り言(甘辛)

(敬天新聞 平成30年5月号)



▼新年度が始まって全てが活気づいている。自然の緑がまだ黄緑というか、薄緑で新鮮である。年金生活者にも、春は新鮮さを感じさせるのだろうか?歳を取ると一日一日が早いから、新鮮さや夢を追う日々が薄れ、思いでの繰り返しの毎日のような気がする。

四月から五月にかけては、仏教の行事では、「御忌」が行われる。今年もお説教を聞きにお寺に出かけた。平均年齢は後期高齢者の女性が大多数の約百名の中に入って、静かに話を聞いた。

今年の話は「臆病者のウサギ」という話だった。子供の頃、学校かどこかで聞いた話だったが、もうすっかり忘れてしまっていた。今の時代に本当に大切な話である。

むかしむかし、インドの西の海岸のヤシの木の林に、ビルバという木が生えていました。そこにはとても臆病なウサギが住んでいて、昼寝をしながらこんなことを考えました。「もしもこの地面が割れたら、いったい僕はどうなるんだろう?」するとそのとき、すぐそばの地面で、バシンと、ものすごい音がしました。

「そらきた! 地面がとうとう割れたぞ」、臆病なウサギは跳ね起きて、一目散に逃げ出しました。「どうしたの? なにかあったの?」他のウサギたちが聞くと、臆病なウサギは振り向きもせずに走りながら答えた。

「地面がわれたんだ!大急ぎで安全な場所へ逃げるんだ!」、「なに、それは大変だ!」ウサギたちは臆病なウサギの後に続いて、一斉に駆け出した。それを見た、森や野原の獣たちが、「どうしたんだ? どうしたんだ?」と、言いながら、ウサギたちのあとに続いて駆け出した。

ウサギの次にシカ、次にイノシシ、次に大シカ、次に水牛、次に野牛、次にサイ、次にトラ、そして最後にゾウです。臆病なウサギを先頭にして、それはもう大変な騒ぎです。森の奥には、一頭の大きな勇気あるライオンが住んでいた。ライオンは、逃げていく獣たちを見て、「止まれ、止まれ、止まれ!いったい何事だ!」と、ものすごい声で怒鳴りました。するとみんなはびっくりして、その場に止まりました。ライオンは、最後を走っていた像に、「いったい、何があったんだ?」と尋ねた。すると像が「はい、地面がわれたのです」と答えた。

するとライオンは「地面が割れた? お前はそれを見たのか?」、「いいえ。わたしは前を行くトラに聞きました」、するとトラは「私は前を行くサイに聞きました」という。順々にライオンが尋ねていくと、最後にウサギが「私は先頭を行くウサギに聞きました」という。

そこでライオンは先頭を行く臆病なウサギに、「お前は本当に地面が割れるのを見たのか?」と尋ねると、臆病なウサギは「私は地面が割れる音を聞きました」というので、「音を聞いただけで、見てはいないのか?」と尋ね、「それではその音を聞いた場所を見に行くので、案内してくれ」と言って、ウサギを背中に乗せ、ビルバの木の混じったヤシの林に着いた。

「ここです。ここで地面の割れる音を聞きました」とウサギがいう場所はどこも地割れなどはしていませんでした。そこには大きなビルバの実が落ちていたのです。その実が落ちた音を地割れと勘違いしたのです。

ライオンは獣が待つところへ帰り、みんなに見てきた事実を話し諭しました「いいかね。よく確かめもせずに、ほかの者が言った言葉を信じてはいけないよ」ライオンに叱られて、獣たちはすごすごと自分たちの住み家に帰っていきました。現在の日本人にぴったりのお釈迦様の話でした。



▼国が初めて生活保護者のパチンコ状況を調べたらしい。一年間で三千人の生活保護者に注意したという。注意だけでは、こういう不届き者の生活態度は治らない。生活保護は、遊ぶ金を国が出してるのではない。

 働きたくても何らかの事情で働けないとか、生活が困窮してる人達を助けるシステムであって、遊ぶ金なんて一円も余裕はないはずである。昔の人は、県や町から援助を申し出るように言われても、「恥ずかしい」と断る人さえいた。

ところが今は、羞恥心など欠片もなく、我先にと、貰う資格の無い者まで、書類を誤魔化して申請するといい、開いた口が塞がらない。中には外国人籍の者までいるという。また生活保護を貰う斡旋をシノギにしている者もいる。

「貧困ビジネス」として一時話題になったこともある。当紙でも何度も叩いたこともある。警察にも訴えたが、「あくまでも民・民(のビジネス)だから」と事件化にはならなかった。そこら辺で寝ている浮浪者を見つけてきて、役所に連れて行き、生活保護費を受給させ、そして自分が経営するマンションに押し込み、強制的に生活保護を取り上げてしまう業者の何処が民・民と言えるだろうか?生活保護者の受給額は、年金生活者より高いのもおかしい。

本当に貧しい人に渡っているならいい。働ける健康な体の人間が朝からパチンコ屋の前で並んでいるのである。生活保護者は、病院代もタダなのである。

実はこれが大きくて、大きな病気した時に、金がかからないのである。どこかの市で、生活保護者がパチンコばかりして、注意しても止めないので生活保護受給を打ち切った。そしたら、おかしいと抗議されて、謝罪してまた再開したという記事が出てた。全くこの行政の姿勢は正しい。

パチンコで遊ぶ遊興費を生活保護として出してるのではない。苦しい生活を保護するために支援してるのである。行政は議員の口添えや似非同和の押し込みに毅然と臨み、本当に貧しい人で、真面目で弱い人を選ぶべきである。

今年の二月より一回の遊びで五万円を超えない儲けにギャンブル性を抑えられたから、依存性の強い客も減りそうだし言い傾向である。パチンコ業界は脱税の温床、北朝鮮への闇送金等、おおよそ法律への遵守規範に欠けている業界であるから、客が減るのは良いことである。

組織と言うのは官であれ民であれ、人の集合体であるから、完璧ではない。そこにつけ込んで、無理を言う政治家や不届き者が居るのも事実である。世の中は人の集りだから、考え方は種々雑多。完璧はあり得ない。

日本人は真面目だから、大抵の人は、その組織に入ったら、遵守規範を守り、また矜持を持って、精進する。だが、どこにでも一握りの不埒な輩はいる。不正な誘いに負けるのである。

横槍的に議員の顔を押し付けるのは、だいたい自民党議員が多い。与党だから行政に対しても優越的地位と勘違いするのである。貧乏人の味方というような感覚で口を挟むのは共産党が多い。だから何をやっても正義の声のように聞こえるが、イデオロギーとして主張するときは、賛成しかねることは多い。

パチンコ屋で遊んでばかりいるから、注意を受けたり、取り消しになったりするのは当然なわけだから、その行政に文句を言って、元に戻させることが、正しいとは思わない。生活保護は真に貧しい人に使われるべきである。



▼愛人を持つというのは、金持ちの男の特許というイメージがあるが、女でも金があれば若い男を囲いたいという心理は同じらしい。男でも女でも歳を重ねると、シミ、シワ、タルミが出て来る。しかも肌に水分がなくなりカサカサになってくる。それに比べて、若い頃は痩せてても、太っていても、ぴちぴちで肌もつやつやしている。

歳を取ると、あのぴちぴちつやつやの肌の感触に憧れるそうである。時々、若い男の子大好きおばさんに、「何で貴方は若い子が好きなの?」と尋ねたら、「私より上の爺なんか汚いだけで、触れただけでゾクゾクって寒気がして、気持ちが悪いわよ」という。「若い男を覚えたら、もう年上の男なんか、全く興味がないね」と付け加えた。そこまで言うかい?男は勝手に、女は自分より少し年上の男が好きと思いこんでるところがある。実際女性に尋ねると、同年代か少し上と答える女性は多い。

確かに爺は汚い。勿論婆も汚いが、昔の女性は身だしなみをしっかりしてる人が多いので、男よりかは女の方が、全般的には汚い人は少ない。それでもそれは、衣食住足りてのことであって、衣食住も足りないとなれば、そんなことに構ってはいられない。若い男を好きな人は、自分も気持ちが若いのである。

繋ぎ融資の詐欺女も三十歳もサバ読んで、三十歳も若い男に狂って、人生を間違えたと他人は言うが、本人は刑務所を出たら、その若い男の処に行って、一緒に暮らすと言う。再び会うとすれば七十代での面会である。金もない婆さんを若い男が相手にしてくれるだろうか?金もない爺さんを若い女が相手にしないのと同じである。

若い女だけじゃない。同年代の女性からでも相手にされないのである。女は無理に男がいなくても生きていけるが、男は女がいなくては生きていけないところがある。一緒に永くいると、妻の良さを忘れてしまいがちだが、各々方、今一度見直された方がいいで御座ろう。

もし先立たれたら、再び巡り合えるのは金次第。全てに満足の行くような女性が欲しければ、全てを叶えてあげるほどの金が必要と言うことである。貴方にそれだけの器量がありますか?ということです。歳と共にレベルを落として、気持ちが合えば、それだけでもう十分です。高を括ってる間に人生は終わります。平成の世でさえ、もう三十年が過ぎようとしてるのです。

来年には年号が変わります。長嶋選手や若大将だった加山雄三さんが傘寿です。高校三年生を歌っていた舟木一夫さんが古希です。こないだまで、大リーグの記録を塗り替えていたイチロウ選手でさえ、もう引退する歳です。真央ちゃんも引退しました。ハンカチ王子でさえ過去の人となり、今おばさんたちの恋人は羽生結弦選手と大谷翔平選手です。

代はすっかり変わってしまいました。首のシワ、頬のタルミ、肉が落ちた尻、これらも全て生きた証です。病院に行っても高齢者だらけ、銭湯に行っても高齢者だらけ、スーパーに行っても高齢者だらけ、行く先々が「おばあちゃんの原宿」巣鴨状態です。夢に向かって活気のあった、あの昭和がだんだん遠くなって行く。春だというのに、物悲しいですなー。

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